まず始めに断っておきますが、私はカラヤンの良い聞き手とは到底言えません。おそらく家中探してもカラヤンのレコードは50枚に満たないでしょう。それも、大部分が60年代までの古い録音ばかりで、70年代以降のものとなると数えるほどしかないはずです。
最近になってようやくにして彼の業績をきちんと振り返ってみようという気になり、まずは50年代のフィルハーモニア管弦楽団との仕事を聞き込んでいる段階です。ですから、以下述べることは長く彼を聞き続けてきた人にとっては何を今さら!!と言う内容でしょうが、長年のアンチ・カラヤンによる再評価の戯言としてお聞き流しください。
さて、アンチ・カラヤン派からは、「星の屑」ほど録音を残した冷やかされるカラヤンですからベートーベンの交響曲全集もたくさん残しています。
調べてみると、以下の6回です。
- 1951~1955年:フィルハーモニア管弦楽団
- 1961~1962年:ベルリンフィル
- 1971~1973年:ベルリンフィル(映像作品)
- 1975~1977年:ベルリンフィル
- 1982~1984年:ベルリンフィル
- 1982~1964年:ベルリンフィル(映像作品)
このうち映像作品に関しては全くの未聴ですし、80年代の全集も他人様のCDを借りて聞いたことがあるだけです。しかし、残りの全集は一応手元にありますし、特に60年代の全集は私が初めて購入したベートーベンの交響曲全集なので、若い頃にかなり聞き込んでいます。
その経験からまず気づくのは、少なくとも最初の3種類の全集はそれぞれに存在価値を持っていると言うことです。もしも、80年代の老醜をさらすような全集さえリリースしていなければ、彼はベートーベンに関しては実に意味のある活動を展開したと言えたはずです。
しかし、最晩年に老醜をさらすような業績を残してしまうのは何もカラヤンに限ったことではありませんし、ベー○や朝○奈なんかと比べればまだしも落ち込みは少なかった方だとは言えます。
しかし、私には老醜としか思えないような80年代の録音も含めて概観してみれば、彼は10年ごとに己のベートーベン像を問うていたと言えます。
まずは、彼が初めてベートーベンに挑戦したのがレッグとのコンビによって成し遂げられたフィルハーモニア管弦楽団との全集です。
私がこの録音を聞いたのはベルリンフィルによる3種類の全集を全て聞いてからのことでした。つまり、カラヤンにとっては最初のチャレンジだったこの録音を、私個人としては一番最後に聞いたことになります。
私はベートーベンの全集を聞くときは必ず「エロイカ」から聞くことにしています。そして、冒頭の和音が鳴り響いて低弦が第1主題を提示する部分を聞いただけで、すっかり驚かされてしまいました。それは、私の予想に反してあまりにも当たり前すぎるほどのテンポで始められたからです。
ベルリンフィルを相手に初めて完成させた60年代の全集ではまさに「若きカラヤン」という感じの颯爽たる快速テンポで全曲が貫かれていました。ですから、私の中になんの根拠もなく50年代のフィルハーモニア管との録音ではさらに若さにあふれた演奏が展開されていると思っていたのです。
ところが、スピーカーから流れ出した音楽は、あまりにもありふれた「スタンダードなベートーベン像」だったのです。
部分的にはオケを煽り立てていくようなところもあるのですが、それは作品そのものがその様な面をもっているからであって、決してあざとさは感じさせません。
カラヤンと言えば「俺が俺が」という自己主張が前面に出て、どんな作品を振っても全てがカラヤン色に染められてしまうものだと思っていただけに、このあまりにも謙虚なスタンスには正直言って驚かされました。そこには「帝王カラヤン」のおごりは微塵もなく、ひたすらベートーベンの音楽に仕える真摯な姿がうかがえるだけです。
そう言えば、この時代のカラヤンは「ドイツのトスカニーニ」と呼ばれたこともあるそうですが、この50年代の録音を聞くとトスカニーニよりはワインガルトナーなんかの方がより近しいのではないかと思ってしまいます。奇をてらわず音楽を自然な形で構築していく姿はそう言う先人たちの姿にだぶるものがあります。しかし、音楽の造形という点では、オケの力量に開きがありすぎるからでもありますが、より引き締まった筋肉質な作りにはなっています。
ぼんやり聞いていると、この50年代のフィルハーモニア管弦楽団との録音は特徴のない面白味のないものに聞こえるかもしれません。しかし、一切のはったりを排して音楽をあるがままに造形することでこれほども説得力の強いものを作っていくというのはなかなかどうして、並大抵の力量ではありません。
それに対して、60年代の全集を貫いているあの快速テンポが、あまりにも正統的なチャレンジで完成させた50年代の全集に対する新たな挑戦であったことにも気づかされます。
おそらく、何も聞かされずにこの2つの全集を提示されれば、ほとんどの人が60年代の録音の方が若い時代の録音だと答えるでしょう。それほどまでに、颯爽たる若さを積極的に演出したのが60年代のベルリンフィルを相手に完成させた全集だったといえます。
そして、70年代の録音は私たちがよく知っているカラヤン美学に貫かれたベートーベン像が提示されています。
カラヤン美学とは徹底したレガート奏法と、ピッチを高めに調整した弦楽器群の輝かしい響きによって聞き手を陶酔させることを何よりも大切にした美学だったと言えます。(うーん、ちょっと大雑把すぎるかな・・・?)
ですから、ベルリンフィルを完全に手中に収めて全ての録音にその美学を徹底させてからは、どんな作品を演奏してもその美学が前面出てしまっているように聞こえました。その事が少なくない人をカラヤンを嫌いにした理由ともなりましたし、逆に彼を「帝王カラヤン」に祭り上げていった原動力ともなりました。
そして、70年代の全集はベートーベンに対してもその様な美学を適用したらどうなるかを問うたものでした。
ですから、70年代以降のカラヤン美学に惚れ込んだ人にとってはこの全集こそがベストだと断ずるでしょうし、私のような者にとっては出来れば敬遠したい録音だと言うことになります。
しかし、そう言うアプローチへの評価はいろいろ分かれるかもしれませんが、全く何の意味もなく同じ作品を「星の屑」ほど録音したという批判はこの3種類の録音に対してはあてはまりません。
そして最後の80年代における最晩年の全集です。
こればかりは、いったいどの様な意味があって録音したのかは全くもって私には図りかねます。おそらくは己の美学をより徹底した形で残したかったのでしょうが、その緩みきった演奏を聴かされると成功しているとは言い難いです。何よりもその方向性であれば70年代の仕事で十分やりきっているわけですから、出来れば誰か止める人がいれば良かったと思ってしまいます。もっとも、それが止められないのが老いの悲しさなのかもしれません。
と言うことで、個人的には50年代のフィルハーモニア管弦楽団との全集か、60年代のベルリンフィルとの全集が好ましく思えます。もしどちらか一つと言われれば録音の問題もありますので一般的にはベルリンフィルとの全集を選ぶんでしょうか。
そう言えば、グラモフォンがSA-CD化にあたって選んだのもこの 1回目の全集でした。
もし、録音の問題にこだわらないのであれば、このフィルハーモニア管弦楽団との全集がもっとも好ましく思えます。
しかし、ベートーベンの交響曲という巨峰に対してかくも多様なアプローチを試みて、それぞれで高い完成度を示したと言うことは、やはりカラヤン恐るべしと言わざるを得ません。
私のあやふやな記憶で申し訳ないのですが、80年代といえば、その前の70年代末にバーンスタイン&ウィーン・フィルの全集が発売されて、それが(当時の)新しいスタンダードのように言われていた時期だったと思います。それから、当時はデジタル録音が新しい技術として持てはやされていた頃で、カラヤンとしては、新しい時代の基準として、バーンスタインを超えるものを残そうとしたのではないでしょうか?まあ、結果はyungさんのおっしゃるとおりだったと思いますが。
カラヤン論には色々な見方があると思いますが、私としては
若い頃は音楽に燃えた指揮者(フィルハーモニア管、パリ管時代)、
ベルリンフィル時代に入ってビジネスとして音楽を演奏していたのでは
ないかと思っています。
ベルリンフィル時代の全盛期の演奏は、「ここでこういう表現をすると大衆にウケるだろうな」という
計算が透けてみえる演奏が多いと思います。ベルリンフィルとのリハも音楽的とはいいかねる
ものと思っていますし、自分の映像映りを気にしていたことも、その表れかと。
音楽が好きな人は、音楽に共感をもって演奏していた若い頃の演奏に惹かれるのは
当然かなと思います。