ベルリンフィルがスタジオ録音でベートーベンの交響曲全集を初めて完成させたのは50年代の後半でした。その時に指揮者として起用したのはカラヤンではなくてクリュイタンスでした。
何故クリュイタンスだったのかは今となっては謎ですが、カラヤンが帝王への道を駆け上がっていく50年代の後半に、そのカラヤンではなくてクリュイタンスをベルリンフィルは選んだ訳です。
ところが、この全集は、日本では何故か評価が高くありません。一つは薄曇りのようなと言われる録音の悪さがあげられますが、決定的だったのは吉田大明神による「ダメ出し」でしょう。
大明神は、7番を取り上げて、何故にそれが気に入らないのかを詳しく述べています。
まあ、色々なことを書いているのですが、掻い摘んでひと言で言えば、「アゴーギクがディナーミクに結びついていないことに強い違和感を感じる」と述べています。
アゴーギク・・・?
ディナーミク・・・?
それ何?と言う方もおられるでしょうから、簡単に説明しておきます。
アゴーギクとは、「テンポやリズムを意図的に変化させることで行う、音楽上の表現の一つ」と説明されるのが一般的です。
ディナーミクとは、「音の強弱の変化ないし対比による音楽表現」と説明されます。
それで、この「アゴーギクがディナーミクに結びついていない」というのはどういう事かというと、例えば7番の終楽章は長く持続的にクレッシェンドをしていく訳なのですが、そう言うときは事の当然として次第次第にテンポが上がっていくのが普通なのに、クリュイタンスの演奏では何故かそのテンポが頑として動かないので、それはあまりにも不自然だろう、と言うのです。
クリュイタンス指揮 ベルリンフィル 1957年2月録音
これは、他にも同じようなことが起こっています。
例えば、第5番「運命」の終楽章では音楽は最後の頂点に向かって長い階段を上るように盛り上がっていくのですが、クリュイタンスはそこでも頑としてテンポを動かしません。
実は、こう言うところは、トスカニーニやセルでもごく自然にテンポがあがっていますから、確かにそれは異形であり、まさに「インテンポの鬼」とも言うべき演奏になっています。
しかし、インテンポの鬼と言えば、もう一人思い当たる大物がいます。クレンペラーです。
ところが、不思議なことに、このクレンペラーに関しては、その不自然さを指摘して「ダメ出し」をするような事を大明神はしていません。
クレンペラー指揮 フィルハーモニア管 1960年10月&11月録音
ただし、この二人の演奏はともにインテンポの鬼なのですが、聞き終わった後のテイストは随分と違います。
クレンペラーのインテンポはまさに重戦車が驀進して地上のあらゆるものを薙ぎ倒していくような迫力を感じるのに対して、クリュイタンスの方はそう言う「重さ」は微塵もなく、音楽はあくまでも明晰で風通しはいいのです。しかし、その明晰さの中で執拗なテンポの維持から来る繰り返しはクレンペラーとは異なる不思議な迫力を生み出します。
さて、このクリュイタンスの演奏は、果たして吉田氏が指摘するような不自然で作為的なベートーベンでしょうか?
あれこれ聞き込んでいくと、クリュイタンスのベートーベンはこの上もなく明晰でなのですが、どうもその明晰さはこの鬼のインテンポによってより一層際だっているようにも思えるのです。そして、ベルリンフィルがカラヤンではなくてクリュイタンスを選んだのは、彼らの初めての全集にそのような明晰さを求めた結果ではなかったのかという思いもよぎるのです。
そう思えば、「アゴーギクがディナーミクに結びついていない」事のみでダメ出しをするのはいささか躊躇われます。それに、このインテンポが生み出す不思議な迫力に魅力を感じる人もいるでしょう。正直申し上げれば、私もこの不思議な迫力は結構好きです。
私たちは、ボチボチ大明神の呪縛から抜け出してもいいときかもしれません。
それから、評判の悪いこの時期のEMIのステレオ録音なのですが、再生システムの入力系を締め上げると、世間で言われるほどに悪いものとも思えません。同じ事が、スピーカーの真ん中で音場がお団子になっていると酷評される90年代の録音にも同じようなことが言えます。
パソコンでCDをリッピングして、純度高くアンプに送り込んでやると、それほど悪くないので驚いたことがあります。
とはいえ、MP3にエンコードした音源でどこまで伝わるかは疑問ですが、個人的には世間で言われるほど悪い録音とは思えません。
このページで両方の録音の聴き比べが出来るのは嬉しいです。
クリュイタンスもクレンペラーもベートーヴェンの交響曲全集はEMIですね。
この7番の一番の違いは4楽章です。クレンペラーはテンポが遅いです。
クリュイタンスのテンポは、クレンペラーを聴いた後では速く聴こえます。
これが聴き比べの楽しいところですね。
クリュイタンスのベートーベンを初めて聴いたのは、東芝EMIのセラフィムシリーズの廉価版LPが最初でした。
特に、クリュイタンスの指揮した交響曲No9は、第一楽章から、レコード針の心地よい微細な雑音と相まって、随分と熱気を帯びた演奏だなとの印象を、当時覚えたのを思い出しました。この録音は残響音も非常に美しく、ベートーベン交響曲の入門演奏としては十分でした。他の録音も、完成度の高い演奏が多く、特に交響曲No2は弦楽器の処理が素晴らしく、今でも名盤の呼び声が高い演奏です。さて、フランス系の指揮者がベートーベンを、しかもカラヤンより先にベルリン・フィルを指揮してベートーベン交響曲全集を完成させていた事は、随分と後に知った事でした。今回の録音の理由は、EMI側の思惑が多分に働いたのは間違い有りません。無骨で、重戦車並みにの演奏はクレンペラーに任せ、美しい音色のベートーベンはクリュイタンスに任せたという事でしょう。