CD評価の難しさ

もう10年以上も前の古いページなのですが、これまた捨ててしまうのも勿体ないので収録しておきます。

常々分かっていたと思っていることでも、一つ新しい出来事に出会うことによって、その分かっていることが実は余りよく分かっていなかったんだと気づかされることがあります。今回もまた、自宅を建て替え、リスニングルームを一新したことによって、今まで十二分に分かっていたと思っていた録音された音楽を評価することの難しさを再認識させられました。

音楽を評価することの難しさ

一般的に言って音楽を評価するというのは難しいものです。それが、生成された端から虚空に消えていく「演奏」という行為を評価しようと思うとその難しさはひとしおです。

たとえば、バーンスタインがイスラエルフィルを率いて来日して日本各地で演奏した最晩年のマーラーの9番!!
最終楽章がとてつもない遅いテンポで、さらには極限とも言えるピアニシモで演奏されたその解釈には絶賛の嵐が吹き荒れました。しかし、大阪においてその「歴史的演奏」に立ち会う「幸せ」に恵まれた私には、「つきあいきれんな!」というのが正直で率直な感想でした。そして、その思いは今も変わることはありません。
さて、この演奏をめぐって絶賛した人々とそうでない人々との間でその是非を論じようと思うとどうなるでしょうか。検討すべき対象が実体としてはすでに虚空に消え去り、結局は互いの記憶だけを頼りに論議しなければならないとすれば、何とも言えず頼りない話です。
ですから、この手の話は結局はエライ先生が「素晴らしい」と言えば素晴らしい演奏だったことになり、「つまらない」と言えばつまらなかった演奏だったということになるのが一般的です。
音楽評論ほど権威主義と事大主義がはびこっている世界はありません。

しかし、そこである人は次のように言うかもしれません。
確かにライブ演奏ならばその実体は虚空に消えてしまい、それ自体としては客観的な検証は不可能かもしれないが、録音された演奏ならば、それは何度でも繰り返し聞くことができるが故に、それを検証の材料としてある程度は客観的な論議ができるはずだ、・・・と。

確かにそうです。
演奏会に対する評価と違って、録音された演奏に関してはそれほどあからさまな権威主義や事大主義は影を潜めつつあるかのように見えます。ネット上を垣間見るだけでも、一枚のCDに対して百花繚乱の評価が咲き乱れています。

録音として固定された演奏でも難しさは残る

しかしです。話はそれほど単純ではないのです。

録音された演奏は確かに何度でも再生が可能です。しかし、当たり前の話ですが、その録音された「もの」を、音楽として私たちが耳にするためには「再生」というフィルターを通さざるを得ません。かつてLPレコードの全盛時代にとある高名な評論家先生が、レコード盤に刻まれた溝の模様を眺めて「これは名演だ!」と言ったとか言わなかったとか・・・という話がつたわっていますが、CDの時代となっては、その銀色の無機質な再生面を眺めているだけでは音楽の欠片すらも伺い知ることができません。これがPCオーディオになって再生の媒体が「ファイル」になってしまえば、その姿形を見ることすら出来なくなってしまいます。

そして、この再生というフィルターは、色違いのメガネほどにも観察する対象をねじ曲げてしまうものなのです。ある人は赤いメガネをかけて対象物を観察し、また別の人は青いメガネをかけて対象物を観察していることもあり得るのです。そのような両者が自らの観察結果を持ち寄って論議をはじめたとしても話がかみ合うはずがありません。
ライブの演奏なら、どうせ客観的な検証は不可能なのですから、意見が違ったとしても「しょせんは生きる世界が違うのね!」と言うことで右と左へ分かれていけばすむ話です。しかし、これがCDに対する評価となると、客観的に検証が可能だと思うがゆえに、意見が違う相手に対しては何が何でも屈服させてやろうとして熱くなる場面が往々にしてあります。

しかし、まったく同じものを聞いてそこまで意見が食い違うというのは、お互いの価値観の違いと言うよりは、そこに介在する「再生」というフィルターによって、実はまったく違うものを聞いていたことの方が多いのです。
なんだか抽象的な話を持って回ってグダグダと書いてしまいました。
もう少し具体的に、簡明に書いてみましょう。

再生環境で全く別物のように鳴り響く驚き

今回リスニングルームの設計に関しては随分とわがままを聞いてもらいました。(2004年)
まず、部屋からできるだけ平行面をなくすために天井は勾配天井にしてもらいました。おかげで、部屋全体の容積もかなり大きくとる事ができました。本当は側面の壁も平行にしたくなかったのですが、設計の人にそれだけは堪忍してほしいと言われたので残念ながらそこまでのこだわりは諦めました。
しかし、部屋の部材に関しては出きる限り無垢の木をつかってもらいました。床は桜材の無垢板を張ってもらいましたし、天井も松の木をはってもらいました。CDラックも無垢材で作ったものを壁に埋め込んでもらいました。
一生に一度のことですし、私にとっては唯一の道楽ですから、それぐらいのわがままは聞いてもらいました。(誰にって?もちろん妻にですよ・・・^^)

さて、そうして完成した部屋にとりあえず機材を運び込んで、スピーカもラフにセッティングした段階でとりあえず音出しをしてみてひっくり返りました。
オーディオにとって部屋の大切さは分かっていたつもりですが、こんなラフなセッティングをしただけなのに、今まで聞いたことがないほどにクリアで透明な音楽が鳴り響きました。今まで私の機器がこれほどの音で鳴ったことは一度もありませんでした。
それから約一ヶ月、あれこれと細かい調整を繰り返して、ようやくにして満足できるセッティングにまで追い込むことができました。
自画自賛になるかもしれませんが、私のオーディオセットからこれほどの音楽が鳴り響くとは想像すらできませんでした。
そして、そうなると困ったこともおこってくるのです。

その困った事というのは、今までは「これはダメだ!」とほっぽり出していたものでも、まったく違って聞こえるものがあるのです。

たとえば、新しいところでは、ヘニング・グラッゲルードによるグリーグのヴァイオリンソナタ!
8.573137
以前聞いたときは(それは仮住まいのひどい環境でもあったのですが・・・)とても聞けたものでないとおもったのですが、今回あらためて聞き直してみてその素晴らしさに呆然とさせられてしまいました。きれい事の欠片もない、ある意味ではピアノとヴァイオリンが命のやりとりをしているような熱さに満ちた演奏として私の前に立ち現れました。

以前のリスニングルームでは音楽はこのような鳴り方は絶対にしませんでした。
もし、この一枚のCDをめぐって、以前の私と今の私が論議すれば、両者ともに「こいつは絶対にアホや!音楽のことなんかなんもわかっとらへん!」と思ったことでしょう。

あらためてCDを評価することの難しさを教えられる一件でした。

リスニングルームはオーディオ機器の評価にまで影響を及ぼす

さらに、リスニングルームを一新することで大きな影響を受けたのがCDプレーヤーでした。
CDプレーヤーは今まで三台使ってきました。

SONY CDP-701ES
cdp-701es
DENON DCD-3500RG
dcd-3500rg

DENON DVD-5000
dvd-5000
最初はソニーのプレーヤーで、次がデンオンのプレーヤー、そして最近はデンオンのDVDプレーヤーをCDプレーヤーとして使っていました。(追記注:これを書いたときから数年後にPCオーディオの世界に踏み込み、さらにそこから数年後にはリスニングルームからCDプレーヤーが姿を消すことになりました。)

最初のソニーのプレーヤーはひどい音がしました。これは、デンオンに乗り換えたときに他人に譲りました。次にDVDプレーヤーを買ったのは、SACDやらDVDオーディオなどの仕様を巡って先行き不透明な時期だったので、様子見のつなぎとして購入したものです。これを買い込んだときには、明らかにデンオンの古いプレーヤーよりは優秀なように思えたので、古い方はサブシステムの方に隠居させました。
ところが、今度新しいリスニングルームで両方を音出ししてみると、明らかに古いプレーヤーの方が生きた音がします。おそらくコンパチと専用プレーヤーの差なのかもしれませんが、古いプレーヤーの方がたくさんの情報量を拾い出して、その情報をあまり色づけしないでストレートに出しているのがよく分かります。コンパチのDVDプレーヤーの方は音を作りこんでいるような部分があって、汚い部分は適当に色づけをしてから出してくる雰囲気が手に取るように分かりました。

以前の古い部屋だと、この汚い部分が残響などによって増幅されていたようで、その結果としてコンパチのDVDプレーヤーの方がきれいなように感じていたのです。
しかし、ライブでヴァイオリンなどを間近で聞くと、結構汚い音や鋭い音が出ていて、それが演奏をただのきれい事で終わらせないための重要なファクターになっていることがよく分かります。この汚い部分をストレートに再生してくれるプレーヤは部屋の影響によって時には「汚すぎる」音になってしまうのですが、条件さえよければ音楽を実においしく再生してくれるのです。

今回この二つのプレーヤを何度も聞きくらべてみたのですが、どのジャンルの作品を聞いても古い機種に軍配があがってしまいました。
そして、この復活したプレーヤーで何枚かのCDを聞き直してみたのですが、ずいぶんと印象が異なるものがあります。こうなると、今まで書いてきたCD評価はすべて見直す必要があるのではないか!などと思ってしまいます。
あらためてCDを評価することの難しさを感じた次第です。

3件のコメント

  1. 目から鱗が落ちる感覚で、興味深く拝見しました。これほど再生環境によって変化するのですね。
    もしかしたら、気温や湿気といったものも影響するのかな、と考え込んでしまった次第です。

    ところで、ネットショッピングや某掲示板などに同一のCD(バッハの曲ですが)について、声部の歌い分けができていない、という意見もあれば、一方、見事に声部を弾き分けているという、理解に苦しむ意見の相違を幾度となく見てきました。
    再生環境の違いが生み出すのかな?でも声部の弾き分けは、環境に依存しなさそうなのですが。
    リスニングルームを新しくされて、そういった点、何か感じられることはありましたか?

  2. 再生環境の違いが生み出すのかな?でも声部の弾き分けは、環境に依存しなさそうなのですが。

    それは間違いなく依存します。極端な話をすれば、風呂場のような残響過多の環境で再生するのと無響室のような環境で再生するのとでは全く異なってきます。
    声部の聞き分けはオーディオ的に言えば「分解能」に依存するのでしょうが、それはもうアンプの発熱状態ですら影響するほど繊細な領域です。

    もちろん、聞き手の側が何を持って「声部の歌い分け」が聞き取れていると言っているのかという大前提の定義が曖昧な状態なので、もしかしたら同じように再生されていても、ある人は「聞き分けられる」、別の方は「聞き分けられない」と言っている可能性はあります。
    ただし、そのレベルの話を始めるとネット上では議論不可能になりますので、取りあえずはそう言う定義に対する合意があるという仮定の下で話を進めれば、「聞き分けられない」という人が片方にいて「聞き分けられる」という方々方にいれば、それは一般的には「聞き分けられない」方の再生環境に問題があると見るべきです。

    当然この環境は多くの要因を含みますが、機器が半分、部屋が半分というのが通り相場でしょう。ただし、そこにはそう言う部屋と機器の特性を前提に「使いこなせている」と言うことが暗黙の了解として存在します。
    当然の事ながら、リスニングルームを新設して高価な機器を導入しても、使う側に腕と愛情がなければ酷い音で鳴るのがオーディオというものです。

    その昔、そう言う部屋と機器で演歌しか聴かないという人のシステムを聞かせてもらったことがありますが、それはそれは酷い音でなっていたものです。
    やはり、日々精進あるのみなのでしょう。

  3. なるほど、と拝読しました。また、意見の書き込みをされている方々の再生環境や個々人の聞き取り能力など、要因が多岐にわたるため、これ以上の推測は難しいですね。
    かくいう自分自身も、声部の弾き分け、何をもって弾き分けができているとするのか、基準がよくわかりません。

    >やはり、日々精進あるのみなのでしょう。
    これは本当にそうですね。
    昔好きでなかった曲でも、こちらの感受能力の上昇で好きになった曲もたくさんできたた経験も数多くありますので。

    ありがとうございます。

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