ラッキー君の思いで・・・など(2)

ラッキー君が我が家の一員になり、後ろ足の手術も成功してすっかり元気になった夏のことです。

Lucky

在りし日のラッキー

私たちが住んでいる住宅地はかつては密柑山だったところで、小高い丘陵地を切り開いた場所にたっています。そこから15分ほど下っていくと小さな川が流れていて、暑い日などは夕方になるとワンコたちをつれて水遊びによく出かけました。

その日はラッキー君が仲間に加わってから初めての水遊びでした。

川までは歩けば15分ほどの距離なのですがけっこう坂が急です。行きはいいのですが、思いっきり遊んでからその坂道を登って帰ってくるのは大変なので、ほとんどいつも車にワンコたちを放り込んで川のほとりまで出かけます。そして、河原に降り立つと誰もいないのを確認してからリードをはなして自由に水遊びをさせます。
ゴールデンレトリバーのユングは早速に水の中に入ってご機嫌です。水が少し怖いボニーは、入ろうかやめようか迷いながら水辺でチョロチョロしています。初めてのラッキー君も最初はとまどっていたようなのですが、やがて意を決して水の中に入っていきました。
ユングとボニーは基本的に根性がないので、リードをはなしても私たちの近くからは絶対に離れません。私たちが川縁をぶらぶらと歩けば、何か楽しそうなものを見つけて夢中になっていてもすぐに後を追ってきます。
ところがラッキー君は雄犬だからでしょうか、それとも彼本来のキャラクターなのでしょうか、ユングやボニーや私たちが何をしていても我関せずで好き勝手なことをしています。
小さな川なので簡単に横切れるものですから、こっちの岸からあっちの岸へと行ったりきたりしたり、何か見つけたのか、それを必死で追いかけ回したりと、実に活発に、かつ好き勝手に遊んでいました。そして、その場の雰囲気に慣れてくるにつれてだんだんと行動範囲を広げていって、気がつくと向こう岸にある階段を上っていって、その上にある畑や草むらの中にまで匂いをかぎまわっています。

ただ、ラッキー君には不思議な特性があって、自分一人だけの時は人間は言うに及ばず、他のワンコとは絶対にもめ事を起こさないと言う得意技を持っていました。とにかく他のワンコと出会ってトラブルが起きそうになると、その直前にスーッと進路を変更してそういう厄介ごとを実に上手く回避します。ですから、その日もあちこち好き勝手にうろついていても、それはそれなりに安心して遠くから様子を見守っていました。

いつものことですが、最初は水が怖いのでなかなか踏ん切りがつかなかったボニー君も、一度飛び込んでしまうと今までのへっぴり腰はどこへ行ったの?というぐらいの勢いで水の中を走り回っています。ユングも遊び疲れたのか、浅瀬にへたり込んでクールダウンしています。二人とも十分に遊んだようなので、呼び寄せてバスタオルでゴシゴシとこすって車で帰る用意を始めました。
さて、ラッキー君は?と見てみると、相変わらず向こう岸の一段高くなった草むらで匂いをかぎまわっています。「ラッキー、帰りますよ!」と何度声をかけても全く無視で、相変わらず自分勝手に好きなことをしています。

ラッキーは「呼び」の悪いワンコでした。

深夜の人気のない公園でリードをはなして遊ばせることもよくあったのですが、ユングやボニーが一声呼べばすぐにでもとんでくるのに、ラッキー君は呼ばれても聞こえないふりをしてあらぬ方向に行ってしまったりすることがよくありました。仕方がないので、すぐ近くまでいって、これで聞こえなければおかしいだろう!というほどに「ラッキー君、きなさい!」と声をかけると、「あらら、呼ばれていたんですか?全く気づきませんでした、これは実に申し訳ない。」という顔をしてノロノロと歩いてきたものです。
ただし、その日は、それと同じ事をやろうとすると、私が川をよぎって向こう岸にわたり、さらに階段を上がって草むらの中に入っていかなければなりません。だいたいが聞こえていないはずはないので(ユングやボニーにおやつをやると、それがどんなにかすかな気配でもむくっと起きあがってどこからともなく姿をあらすのですから・・・)、できればそんなことは願い下げにしたいものです。ですから、ラッキー君がこちらを無視するなら、こっちも無視をするふりをしてやれと言うことで、「ラッキー君、呼ばれても来ないのだったら、先に帰りますよ。」と声をかけて車の方に向かい始めました。

その時に、私たちの生涯で決して忘れることの出来ない事が起こりました。また、そのことは、捨てられた経験のあるワンコの深い悲しみを改めて私たちに教えてくれた出来事でした。

いくら呼んでも無視を決め込んでいるので、私たちも帰るふりをして河原から道路へとあがる階段を上り始めたときです。
それまでは、いくら呼んでも聞こえないふりをしていたラッキー君が、突然にパニックになったのです。おそらく、置いていかれると思ったのでしょう。

今までの聞こえないふりは吹っ飛んでしまって、悲愴な泣き声をあげてこちら岸へと向かう道を探し始めたのです。おそらく落ち着いていればそんな道なんか簡単に見つけられる賢さはあるはずなのに、その時は完全にパニック状態に陥ってしまって同じところをぐるぐると回るばかりです。そして、突然に何を思ったのかその草むらの崖っぷちのところまできて鳴き始めたのです。そして、二声、三声と悲愴な泣き声をあげながら、そこから飛び降りようとし始めたのです。

その崖は護岸工事で作られたもので、高さは5メートルほどあります。そこから15メートルほど離れたところに下へ降りる階段があるのに、パニック状態のラッキー君はそれには全く気づく様子もなく、その崖から決死のダイブをしようとしているのです。
その様子を見て、私も妻もさすがに真っ青になってしまって、必死で「ラッキー君、やめなさい!」と叫びましたが、ついに意を決したラッキー君はそこから飛び降りてしまったのです。

一瞬、二人とも目を覆ってしまいました。

飛び降りるラッキー君の姿がまるでスローモーションのように落下していって、地面にたたきつけられました。

思わず息をのんでしまいましたが、ところがラッキー君はそこからムクリと立ち上がって、今度はもっとすごい勢いで川を横切って私たちのところへと走ってきました。それはそれはすごい勢いで川を横切り、河原を走り抜け、そして階段を駆け上がって私たちのところに走ってきました。
あまりの出来事に凍り付いていた私たちも、駆け寄ってくるラッキー君にようやく我を取り戻して、抱きかかえるようにして怪我はしていないかと体中を調べました。
おそらく飛び降りた場所が草地で枯れ草もつもっていたためにクッションの役割を果たしてくれたのでしょう。また、ラッキー君もそのコンクリートの壁を駆け下りるように落ちていって、最後の最後で着地姿勢をとったからでしょう、どこを探しても怪我一つありませんし、骨折もしていないようで平気な顔をしています。
ラッキー君は甘えるのが下手で、抱かれるのも好きな子ではありませんでした。あんまり長く抱きかかえられると身をよじって腕の中から抜け出してしまうのですが、その時ばかりは私たちが手を離すまでじっとおとなしくしていました。

この子には、たとえ冗談であっても、おいていくような素振りを見せてはいけないと深く心の底に刻み込みました。そして、高さが5メートルもある崖の上で、悲愴な泣き声をあげたラッキー君の姿に、捨てられたワンコの悲しみを思い知らされました。
ラッキー君にとって、自分を迎え入れてくれたこの新しい群は、それこそ言葉通りの意味で「命がけ」で守らなければいけない存在でした。あの崖から飛び降りた瞬間は、疑いもなく命がけのジャンプでした。それは、「命がけで頑張りました。」とにこやかにコメントするような甘いものではなく、本当に命を懸けるとはどういうことなのかという「凄み」を感じさせてくれるジャンプでした。
そして、その「命がけ」の凄みが私たちを圧倒しました。

ラッキー君との7年間の生活の中で「ラッキー君行方不明事件」とならんで、一番忘れることの出来ない思い出です。(次回、「ラッキー君行方不明事件」に続く)