思い返してみると、ラッキー君は他の人からほめられたことのないワンコでした。ちょっと悲しいですけれども、私たち以外の第3者から「かわいいね。」とか「かっこいいね。」などとほめてもらった記憶が全くありません。
ユングは生まれながらに美人でした。ですから、すっかりお婆ちゃんになった今でも、「かわいい!」とか「優しそうな顔!」などと言われて、いろんな人からなでなでされてご機嫌です。
ボニーは赤ちゃんの時は顔にしわが寄っていてとっても不細工だったのですが、大きくなるにつれて意外なほどにかわいい顔立ちになり、さらにその引き締まった体つきと相まって最近ではユングをしのぐほどの人気があります。ただ、人見知りが激しいので、知らない人からなでなでされるなどというのは真っ平御免です。それでも、けっこういろんな人からその姿の立派さをほめてもらっています。
ところが、ラッキー君に関してはそういうふうに他の人からほめてもらったという記憶が全くありません。散歩の時に、ユングが愛想をふりまき、ボニーもその凛々しさをほめてもらっていても、いつもラッキー君は蚊帳の外でした。
ラッキー君はとても手の掛かるワンコでした。
保護した時点で健康面ではボロボロだったので仕方がありませんが、おなかをこわして下痢気味になることがよくありました。散歩の時も自分の行きたい方に引っ張りまくるという「コマッタちゃん」でした。それに、何といってもパニックになったときの破壊活動には本当に手を焼きました。
その最大の原因は「雷怖い」でした。
保護した当初は緊張感があったのか、それほど気になることもなかったのですが、完全にこの群に受け入れてもらえたという安心感を持つようになったころから、この「雷怖い」が表面化し始めました。
人間にはとうてい気づかないようなかすかな雷の音でも、ラッキー君は敏感に察知して挙動がおかしくなり、落ち着かなくなって家の中をうろうろし始めます。そして、呼吸が荒くなってきて涎の垂れ流し状態になります。時にはお疾呼をちびったのではないか?と思うほどに涎が床の上にたまっているときもありました。そして、ついにはパニック状態になって本当にお疾呼をちびってしまう事もよくありました。ですから、雷が鳴り出すと庭にだして出すべき物は出させてからもう一度家の中にいれるようにしていました。
ところがさらに大きな問題は、私たちが不在でワンコだけで留守番をしているときに雷が鳴り出したときです。
私たちが一緒にいるときは、雷が鳴ってパニックになったとしても、挙動不審になってお疾呼をちびるレベルでとどまっているのですが、不在の時は完全にパニック状態になってしまいます。
おそらくは恐怖のあまり外へ飛び出そうとすると思うのですが、結果としてはとんでもない破壊活動につながってしまいます。カーテンをたたき落としたり、網戸を突き破ったり、さらに、襖に穴をあけ、障子の桟をバキバキに折ったりと、パニックになったラッキー君によって破壊された物は数限りなくあります。(^^;
私たちが住んでいるところは大阪南部の山沿いの地方なので、夏になると突然の「雷雨」がよくあります。ですから、こういう「惨事」は、夏の夕方に妻と二人で食事に出かけたときによく起こりました。
レストランで食事をしていると、突然に雲行きが怪しくなって雷とともに雨が降り出したりすると、もう笑うしかありませんでした。
「あー、今頃ラッキー君はパニックになっているだろう。」と思うのですが、その期待が(^^;、裏切られることはほとんどありませんでした。
一度などは、帰宅して二階を見上げてみると、妻の部屋の障子の桟がぼきぼきに折られていてまるで廃屋のような風情になっていたこともありました。
しかし、そんな困ったことも多く、誰からもほめられたことのないラッキー君ではありましたが、それでも、私たちにとってはとても愛すべきワンコでした。
その一番の理由は、彼の「忠誠心」です。
私としてはこの「忠誠心」という言葉はあまり好きではないのですが、しかし、ラッキー君が持っていた「かけがえのない美質」を言い表すには、残念ながらこれ以外の言葉を思い浮かべることができません。
辞書を引いてみると、「忠誠心」とは「主君や国家に対し忠実に仕える心。」と書いてあります。これをワンコの世界におきかえてみると、「飼い主と群に対し忠実に仕える心」ということになるのでしょうか。
一般的に、捨てられているところを保護されたワンコは自分を救ってくれた飼い主に深い恩義を感じるようです。このことは、今までに何匹ものワンコを保護してきた経験からいっても断言できます。ところが、この深い恩義というのが、ラッキー君の場合は今までのどのワンコよりも深く、そして大きく感じていたようです。
とにかく、ラッキー君は飼い主である私たちや、さらにユングやボニーに対して危害を加えそうなものに対しては、身の程知らずなまでに向かっていきました。人のいない草地の斜面でリードをはなして遊ばせていても、恐がりのボニーの一声泣いただけで、何をしていても駆けつけてきました。そして、ボニーをいじめたのは誰だ!という感じで向かっていったものです。それが全く「身の程知らず」なのでこちらとしてはハラハラさせられる原因になるのですが、その心根を思えば無碍に叱るわけにも行きませんでした。
ラッキー君は一人だけの時は、どのワンコとも絶対にもめ事を起こさないというまれにみる才能を持っていたのに、みんなと一緒だとその性格が一変します。
とにかく散歩の途中で他のワンコと出会ってそのワンコがこちらに向かってほえようものなら、絶対に許さないという姿勢で向かっていくのです。それが、大型犬のシェパードだろうが、超大型犬のピレネーだろうがお構いなしです。一度油断をしていてリードを振りほどかれたことがあり、そのままピレネー犬に突っかかっていったこともありました。ラッキー君が相手に向かってほえるのは「虚仮威し」なのではなくて本気で向かっていく「根性」だということがその時思い知らされました。
そして、ワンコというのは一に気力、二に知力、そして最後に体力の世界ですから、体が小さい割にはそういう大型犬を相手にしてもけっこう互角に渡り合っていました。
実はこの根性は家の中でも発揮されて、ユングがわがままを爆発させて私たちの袖口を引っ張りにこようものなら、すごい勢いでそれを制しにきました。体重はユングの方が倍ほどありますし、体力だって圧倒的にユングの方が優位なのに、とにかく私や妻にその様な態度をとるのが絶対に許せないということでいつも突っかかっていました。おかげで、ユングの方はすっかりストレスがたまってしまい、一度だけ食欲がなくなってしまってあわてて病院に駆け込むということもありました。
つまりは、伝統的な日本犬の美質を体いっぱいに持ったワンコ、それがラッキー君だったのです。そういう惚れ惚れするような立派さとどうしようもない困った側面がラッキー君という一匹のワンコの中で不思議に融合していました。そういう意味では、何ともいえないほどに陰影に富んだワンコでした。
ちなみに、残された彼の写真を整理していて、一番気に入ったのがこの一枚です。
思慮深く、陰影に富んだラッキー君の良さが一番よくあらわれた一枚だと思います。