バッハ最晩年の作品であり、「フーガの技法」と並んで特別な地位を占める作品なのがこの「音楽の捧げもの」です。
よく知られているように、この作品はプロイセンの国王であったフリードリヒ2世が示した主題(王の主題)をもとにした作品集です。王の主題は、「3声のリチェルカーレ」の冒頭に提示されています。
見れば(聞けば?)分かるように、非常に「現代的」な感じが漂う主題であり、バッハの時代においてはかなり異様な感じのする旋律だったはずです。当然の事ながら、これを主題として処理していくのは不可能とまでは言わなくても、かなりの困難さがあることは容易に想像がつくような代物です。ですから、本当にフリードリヒ2世自身がこの主題を示したのかは疑問です。
当時、プロイセンの宮廷には息子であるフィリップ・エマヌエル(C.P.Bach)が勤めていたのですが、そこへ親父であるバッハが尋ねてきたのです。おそらくは、この宮廷楽団の中でバッハ一族の力が伸びていくのを快く思わなかった一部の音楽家達が、その鼻っ柱をへし折ってやろうという「悪意」に基づいて作り出したものではないかと想像されます。(真実は分かりませんが・・・)
何故ならば、フルート奏者としても名高かったフリードリヒ2世は作曲も行っていて幾つかの作品が残されているのですが、その作風はこの主題とは似てもにつかないギャラントな性格を持っていたからです。
ただ、バッハの高名はプロイセンにも届いていましたから、その実力の程を試してやろうという「悪戯心」は王も共有していたかもしれません。
しかし、王にとっては一場の座興であったとしても、バッハにしてみれば真剣勝負であったはずです。そして、「どう頑張ってもこの主題をもとにフーガに展開などできるはずがない!!」とほくそ笑んでいる反対派の音楽家を前にしてみれば、絶対に失敗などできる場面ではなかったのです。
それ故に、ここではバッハという人類が持ち得た最高の音楽的才能が爆発します。
バッハは王の求めに応じて、即興でこの主題をもとにした3声のフーガを演奏して見せたのです。おそらく、この時の即興演奏が「音楽の捧げもの」の中の「3声のリチェルカーレ」として収録されているはずです。
想像してみてください。
どう頑張ってもフーガに展開などできるはずがない、上手くいかずに醜態をさらすのを今か今かと待ちわびている宮廷音楽家達の前で、彼らの想像をはるかに超えるフーガが即興で展開されていったのです。その驚きたるやいかほどのものだったでしょうか。
しかし、それでは彼らの面目は丸つぶれなので、さらに彼らはこれを6声の主題によるフーガに展開することを求めます。
これも容易に想像がつくことですが、3声を6声に複雑化するのは難易度が2倍になる等という単純な話ではありません。単純な順列組み合わせで考えても、3声ならば組み合わせパターンは6通りですが、6声ならば720通りになってしまいます。フーガがその様な算術的計算で割り切れるようなものでないことは分かっていますが、それでも難易度が飛躍的に上がることは容易に想像がつきます。
さすがのバッハもその求めに即材に応じることはできずに1日の猶予を願い出るのですが、それでもその様な短期間で6声に展開することはできなかったので、バッハは自らの主題に基づいた6声のフーガを演奏してプロイセンを離れます。
結果としてこの勝負は1勝1敗となった訳なのですが、これほど不公平な勝負をドローに持ち込んだだけでも「人間技」をこえています。
しかし、バッハにしてみれば、この1敗が気に入らなかったようです。
彼はプロイセンから帰ってくると、この王の主題に基づいた6声のフーガに取り組み、その成果を13曲からなる「音楽の捧げもの」としてフリードリヒ2世に献呈するのです。なんだか、バッハの「ドヤ顔」が想像されるようなエピソードですが、そのおかげで私たちは人類史上例を見ないほどの精緻なフーガ作品を手にすることができたのです。
この「音楽の捧げもの」は大小あわせて13曲からなるのですが、それをどのような楽器で演奏するのか、さらにはどのような順番で演奏するのかが明確に指定されていません。(楽器については3曲だけが指定されている)
ですから、今日の研究では、これを一つの作品として全曲を通して演奏することは想定されていなかったとされています。しかし、全13曲が以下の3つのグループに分かれることだけは確かなようなのです。
- 第1部:「3声のリチェルカーレ」「6声のリチェルカーレ」
- 第2部:「王の主題に基づくトリオソナタ Largo~Allegro~Andante~Allegro」
- 第3部:「王の主題のカノン的労作 第1グループ(6曲)~第2グループ(4曲)」
なお、この作品群を詳細に紹介する力は私にはないので、そう言う細部に興味ある方は、「音楽の捧げ物」などを参照してください。
しかしながら、このエピソードには残念な後日談があります。
それは、これほどの作品を献呈されたにも関わらず、さらには、自らが命じた形になっていたにもかかわらず、フリードリヒ2世はこの作品集には何の興味示さなかったらしいのです。ですから、この作品が、その後プロイセンの宮廷で演奏されたという形跡もありませんし、もしかしたらフリードリヒは楽譜に目も通さなかった可能性もあるのです。
バッハのような「知性」を必要とする音楽よりは、陽気で楽しい音楽が持て囃される時代へと移り変わるようになり、フリードリヒの嗜好もその様なものだったのです。
おそらく、時代はバッハを理解しなくなっていたのです。
そして、この残念な後日談は、その後100年近くにわたってバッハが忘却されることを暗示する最初の出来事だったとも言えるのです。
王の作ったテーマが、魅力的だと感じます。
ド、ミ♭、ソ、ラ♭、シ、ソ、ファ♯、ファ♮、ミ、ミ♭、レ、ド♯、ド、シ、ソ、ド、ファ、ミ♭、レ、ド・・・。
ハ短調が確定してから、落下して、半音階的に音が動きます。声部の多いフーガを作るには向かないテーマだと感じます。①別のパートを突き破る音程の幅を持っている。②半音階的。この二つが大きな理由です。
バッハのフーガは、何調であるかが、明確なフーガです。しかも、テーマとして魅力的。半音階的な部分は、バッハか息子さんのような、プロ中のプロからの示唆が、有ったのかもしれないと想像します。
良いテーマで来たなと思ったら、六声でフーガを作れと言われて、困ったでしょう。さすがの彼も。
六声のリチェルカーレは、バッハの名曲中の名曲だと感じます。自分自身は、ピアノやチェンバロ、弦楽合奏で演奏するよりは、ウェーベルンのオーケストラの編曲で聴くのが好きです。
四十代の小澤征爾がベルリンフィルで演奏した時に、一音だけ演奏する管楽器が、一瞬の出番に音が出せなくて、次へ過ぎていくのを聴いた覚えがあります。もちろん、FM放送です。
ボレロの難しさ以上じゃないのでしょう。音色の冴えも素晴らしいでしょうが、それは放送でも感じ取れる物です。舞台上だけではなく、フィルハーモニーの建物の中を、音が三次元的、四次元的に飛んでいくのを、録音では捉えるのは無理です。(説明が足りませんね。)
それをバッハが想定するのは無理無理、ウェーベルンだって無理。小沢の西欧人では無いから与えられた才能を、観客が感じ取ったのだと思いました。
古代の日本製の石の鳥笛を、学者が吹いたのを聴いたとき(音楽学の講演で)、実際に鳥が飛んだように感じたのと繋がります。ピーっと音が鳴った時に、会場の後ろへ飛んで出て行った鳥が、前から瞬間的に出て来たのでした。四次元的です。
そんな現象も、バッハは許してしまいます。余りに感覚的な話で済みません。