夜明け前のマーラー

何でもありの面白い時代

2013年6月23日 追加

Mahler
マーラーの交響曲が本当の意味で多くの人に受け入れられるようになったのは80年代以降のことだと思います。当初は「マーラブーム」などと言われて一時期の下手物趣味みたいな見方もされました。
しかし、気がつけばクラシック音楽の王道たる交響曲の最後を飾る定番レパートリーとして定着してしまいました。その証拠として、ブーム到来の80年代以降は様々なアプローチが試みられるようになり、極北はギーレン流の外科手術型演奏から、極南はテンシュテット流ののたうち型まで、百花繚乱ともいうべき多様性を獲得することになりました。

しかし、言うまでもないことですが、そのような爆発的ブームをむかえるまでには、数多くの献身的努力が存在しました。そのような献身的努力の中で最も大きな役割を果たしたのがバーンスタインが60年代に行った録音であることに異議を唱える人はいないでしょう。

既にいいくつかの録音がパブリックドメインとなり、「Blue Sky Label」でもすでに幾つかの録音を紹介しています。

この録音の最大の意義は、マーラーが言いたかったことをバーンスタインも心の底から共感して、その共感をありのままに表現したことにあります。
それ故に、バーンスタイン以前にあった「分かりやすくして受け入れてもらおう」とか、「整理して見通しを良くしよう」などと言う「手加減」が一切加えられていないと言うことに大きな意義があったのだと思います。
おそらく、こんな書き方をすると異論が出ることは承知しているのですが、あえて言い切ってしまえば、私たちは60年代のバーンスタインの録音によって初めてマーラーと出会うことができたのです。

非常にザックリとした言い方ですが、マーラーの演奏史を俯瞰してみれば、2つの分水嶺が存在すると言うことです。

一つは60年代、もう一つは80年代です。
そして、驚くべきは、その2つの分水嶺において決定的な役割を果たしたのがバーンスタインの新旧2つの全集録音だったと言うことです。おそらく、この一事だけで、バーンスタインの名前はクラシック音楽の歴史に永遠にその名が刻み込まれる価値があると言えます。

しかし、最近になって妙に気になってきたのが、60年代のバーンスタイン以前のマーラー演奏です。とりわけ、ワルターやクレンペラーというような弟子筋ではない連中がどのようにマーラーを取り上げていたのだろう、と言う興味です。
少しひねった見方をすれば、「価値観」の定まる前の「夜明け前」の時代というのは「何でもあり」のなかなかに面白い時代だったようにも思えるのです。

と言うことで、今回は1953~54年に録音された4つの巨人を捜してきました。
雰囲気としては、考古学の発掘作業みたいな感覚なのですが、掘り起こしてみると結構面白い演奏が聴けたりします。

  1. クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1954年6月録音
  2. シェルヘン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1954年9月録音
  3. ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1954年録音
  4. スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団 1953年2月10日録音

シェルヘン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

ただし、一番最初に聞いてはいけない類のものであることも事実です。そう言う「聞いてはいけない」タイプの典型がシェルヘンのマーラーでしょう。

シェルヘンがマーラーを積極的に取り上げたのは「同時代の音楽」としての面白さによるものでした。彼がシェーンベルグなどの新ウィーン楽派の良き理解者であったことは周知の事実ですが、おそらくはマーラーの交響曲にもシェーンベルグなどの作品のような「取り上げるべき新しさ」みたいなものを認めていたのでしょう。

しかしながら、マーラー作品というのはありとあらゆる要素がごった煮のように同居しているのが特徴です。
シェーンベルグたちの無調の音楽につながっていくような新しさを内包しているかと思えば、そのすぐ隣で脳天気に軍楽隊のラッパが鳴り響くという体です。結果として、さすがのシェルヘンも「もてあまし気味」の感があったようで、あちこちを平気でバッサリとカットしたような演奏をやったりしています。

さらに言えば、マーラーがあちこちにイジイジと書き込んだ細かい指示などはほとんど無視して、極めて直線的でメリハリの強い音楽に仕上げています。オケの機能も今と比べれば著しく劣りますから、結果として「それはないだろう」と思うような演奏になっているのですが、それでも最後まで聞き通してみると、不思議なことにマーラー作品に内包されている「狂気」がクッキリ浮かび上がってくるのが不思議と言えば不思議です。

精緻であり、ゴージャスな響きは堪能できても、聞き終わった後に「何だったんだろう」と虚しさを覚えるような演奏とは対極にあります。

クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

二つめがクーベリックです。

クーベリックはマーラーの同郷人であり、そう言う共感を梃子に全集を仕上げている人ですが、この50年代の録音は、バイエルンのオケと完成させた全集とは随分と雰囲気が異なるので驚かされます。
ひと言で言えば直線的で、悪く言えばのっぺりとした感じの音楽になっています。

やはり、バーンスタイン以前の時代にあっては、マーラーが指示した曲線路は彼にも理解できなかったようです。
交響曲というものはベートーベンのようなものであらねばならないという規範意識は、この時代にあっては今の私たちの想像を超えるほどに強かったと言うことなのでしょう。

ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

そして、ワルターによる現役時代のマーラーです。

もしかしたら、バーンスタイン以前の時代にあって、マーラー作品の本質を本当に知っていたのは彼だけだったのかもしれません。
しかし、彼は音楽的には師であったマーラーよりも保守的であり、さらに言えば「売れてなんぼ」の劇場的感覚に秀でた音楽家でした。

マーラーという男の本質をそれなりに理解はしていたものの、そして理解していたがゆえにその本質をさらけ出すことは決して多くの人に理解されないことを知り抜いていました。結果として、マーラーの音楽の分裂的要素を受容可能な範囲に上手く丸め込んでしまいました。
しかしながら、未だ現役の指揮者であったこの時代のマーラーは、コロンビア響との有名なステレオ録音と比べるとはるかに勢いがあり、そしてこれもまたかなり直線的に造形しています。その強い推進力と勢いはそれはそれで、聞くものを充分に魅了する力は持っています。

スタインバーグ指揮 ピッツバーグ交響楽団

そして、最後が53年録音のスタインバーグです。
彼も結構守備範囲の広い指揮者で、職人的オーケストラビルダーとも言うべき人でした。

この録音を聴くと、50年代の初頭において、いかにしてマーラーをベートーベン的な価値観で再構築するかに腐心していたかがよく分かります。
ぱっと聞く限りでは、この上もなくすっきりとした直線的な演奏なので、50年代初頭の新即物主義に則った演奏であるかのような錯覚に陥ります。しかし、即物主義というのが原典尊重を錦の御旗にしているだとすれば、これは全く持って原典尊重ではありません。

マーラーの特徴の一つは「曲線」です。何も、そんなところを無理してくねくねと進んでいかなくてもずばっと真っ直ぐに行けばいいじゃないか!!と思えるほどに曲線路を進んでいくのが特徴です。
ですから、昨今のマーラー演奏というのは、そう言う煩わしさを一切煩わしいとは思わずに、ひたすら指示通りに丹念に曲線路をたどっていきます。
そう言う、マーラーに慣れている耳からすると、このスタインバーグの演奏は「これって、確かマーラーだったよね?」という「疑問」が頭をよぎるようなものになっています。とにかく、細かいマーラーの指示などは一切無視をして、まさに剛球一直線で突き進んでいきます。
まさにベートーベン風に仕立て直したマーラーになっているのです。

しかし、これこそが50年代のアメリカにおいて、マーラーというものがどのように受け止められていたかを示す歴史的遺産だと言えなくもありません。
そして、こういう前時代の演奏を念頭に置くと、60年代の初頭からバーンスタインが行ったマーラー演奏の衝撃の大きさが少しは感じ取れるのではないかと思うようになりました。

真っ直ぐ行けるところをどうして曲がりくねって進まなければいけないのか?
こう言う演奏を掘り出してくれば来るほどに、バーンスタインの凄さを再認識させられます。


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One comment

  • ヨシ様

    昨今のマーラー演奏は、指揮、オーケストラ、録音、録画等の技術が向上して
    素晴らしいのですが、心に残る個性的な演奏は少ないように思います。
    往年の名指揮者のマーラー演奏のそれは素晴らしいこと!
    特に自分はジョージ・セルのマーラーを最大に評価します。
    もちろん、バーンスタイン、ショルティ、クーベリック、テンシュテット等の
    マーラーもそれなりに評価しますが…。

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