ベートーベン:ピアノソナタ第1番 ヘ短調 作品2の1
- 作曲:1793年~795年
- 出版:1796年
- 献呈:フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
(P)クラウディオ・アラウ 1964年4月録音
ハイドンと若きベートーベンの確執については色々なエピソードが残っています。
ハイドンに学んでいるときに訂正してもらった楽譜にたくさんの誤りがあって、「ハイドンからは何も学ぶことがなかった」と失望した話や、「作品1」として発表したピアノ三重奏曲の中で最も自信のあったハ短調の作品を出版しないように忠告されてひどく感情を害した、などです。
しかし、そんなハイドンに対して作品の2として書き上げた三曲のピアノソナタを献呈しているのですから、その行き違いはそれほど深刻なものではなかったようです。
片方はヨーロッパに威名をとどろかせていた大作曲であり、かたやウィーンに出てきたばかりの駆け出しなのですから、喧嘩になる方が難しかったのかもしれません。
それに、なんといっても人格破綻者の多いクラシック音楽の世界ではハイドンは珍しいほどの人格者でした。ベートーベンの才能も高く評価していましたから、そんな尖ったベートーベンに対してやんわりと対応して、喧嘩になるのは難しかったのでしょう。
実際、ベートーベンにしてみても、落ち着いて考えてみればハイドンはやはり偉大な音楽家であり、自分の才能を見いだしてウィーンへの道を切り開いてくれた恩人であることは間違いないので、こういう形で謝意を表したのでしょう。
第1楽章 アレグロ ヘ短調
冒頭の第1主題を聞いてどこかで聞いたことがあるような気がした人は鋭い!!
この出だしの部分はモーツァルトのト短調シンフォニーの終楽章との類似性がよく指摘されていました。おそらく、偶然ではなくてベートーベン自身も強く意識してのことだったと思われます。
ベートーベンという人は、同時代、もしくは先駆ける時代の作曲家と比べると短調の作品の割合が多いように思われます。この3つのソナタから作品2でも、冒頭の1番にイ短調のソナタを持ってきています。そう言う意味では、音楽に強い劇的な感情を持ち込んだベートーベンの萌芽がこういうところにも垣間見ることが出来そうです。
そして、これもよく指摘されることですが、この後音楽が長調に移っても臨時記号で一貫して短調の雰囲気が保持されています。そして、最後はそのような色づけの中で明らかにヘ短調に舞い戻ってそのまま終結を迎えます。
第2楽章 アダージョ ヘ長調
この楽章は18世紀的なオペラ的なアリア様式の音楽になっています。形式としては、アリアの両端、つまりは提示部と再現部だけで真ん中の展開部が欠けたような構造になっています。いわゆる、カヴァティーナ形式と呼ばれるものです。
音楽の最後も主調のヘ長調で完全終始するので、非常に静かに幕を閉じるような印象が残ります。
第3楽章 メヌエットア レグレット ヘ短調
伝統的なABA形式で書かれていますが、トリオの部分には挿入句を入れて少し工夫が為されているようです。
第4楽章 プレスティッシモ ヘ短調
まさにベートーベンの若さが持っている激しさが爆発したような音楽になっています。作品2の3曲のソナタの中では最も独創的で大胆な音楽だという人もいます。(私ならば、第3番のアダージョ楽章を取りたい。)
至る所にフォルティッシモの指定があるのも、後のベートーベンを彷彿とさせる楽章です。
色々なピアニストで聞いてみよう
ほほほ、これまた壮大な企画ですね、非常に楽しみです。
この第1番は、私でも技術面からすると比較的楽に弾ける曲なのですが、第1楽章のテンポの取り方がいつも難しく思います。というのも、大部分のピアニストのように快速に弾き飛ばしてしまえば演奏効果も上がるのですが、それだと冒頭の3連符を正確に弾くのはほぼ不可能ですし、聞き取れなくなります。その後の微妙なニュアンスも均されてしまいますし。かと言ってケンプほど遅くしてしまうと、ちょっとトロいというか...個人的には、ケンプ+20%くらいのテンポが丁度良いと思っているのですが、なかなかそういう自分が考える通りの演奏には巡り合えませんし、自分で弾いても思い通りにならない事の方が多いです(第2,3楽章も同じ、フィナーレはその点楽ですが)。意外にこういう曲は弾くのが難しくて、かえって初めから演奏効果をしっかり念頭に作曲されたワルドシュタインなどの方が、あまり深く考えずとも弾けるので、楽なんですよね。
yung君が (2) を出す前に、私も第2番を少し練習しておこうかな。