ベートーベンのピアノソナタ全32曲を聞いてみる(8)

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 ハ短調 Op.13

  • 作曲:1797年~1798年
  • 出版:1799年
  • 献呈:リヒノフスキー侯爵

(P)クラウディオ・アラウ 1963年9月録音

揺れ動くダイナミックな感情の表現に自らの進むべき道を見いだした

ピアノソナタという形式はベートーベンという稀代の音楽家の人生を辿る上での「道しるべ」のような役割を果たしてくれます。その視点からこの作品を眺めてみれば、これは「初期ソナタ」における一つの到達点という位置にあります。
そして、その事は、ベートーベン自身がこのソナタに「Grande Sonate Pathetique」というタイトルをつけて出版したことからも明らかです。

もちろん、これ以外のピアノソナタにもタイトルはついているのですが、その大部分はベートーベン以外の人が勝手につけたものです。
ベートーベン自身がタイトルを与えたのはこの「悲愴」と作品81aの「告別」だけです。

ベートーベンが初期ソナタの総決算として書いたこのソナタに「Pathetique(悲愴)」という感情的なタイトルをつけた背景には、ダイナミックに動き始めた社会の変化があったことは明らかです。
人々は与えられた封建的な秩序の中で静かに美しい均衡を保って生きていく事を否定し、さらにはその秩序に異議申し立てを行ってそれを破壊し、よりダイナミックに揺れ動く率直な感情を大切にし始めたのです。
そして、ベートーベンもまた一連の初期ソナタの到達点として、スタティックな古典的均衡よりは、揺れ動くダイナミックな感情の表現に自らの進むべき道を見いだしたのです。

そう考えれば、彼がこのソナタに自分の手で「Grande Sonate Pathetique」とタイトルをつけたと言うことは、それは一つの「宣言」であった事が分かります。

冒頭の一度聞いたら絶対に忘れることのない動機がこの楽章全体の基礎になっていることは明らかです。この動機をもとにした序奏部が10小節にわたって展開され、その後早いパッセージの経過句をはさんで核心のソナタ部へ突入していきます。

悲愴、かつ幻想的な序奏部からソナタの核心へのこの一気の突入はきわめて印象的です。

その後、この動機は展開部やコーダの部分で繰り返しあらわれますが、それが結果としてある種の悲壮感が楽章全体をおおうこととなります。
それがベートーベン自身がこの作品に「悲愴」という表題をつけたゆえんです。

続くAdagio楽章は、それまでに彼が書いた数多くの緩徐楽章の中ではもっとも優美な音楽であり、ベートーベン自身によって冒頭に「cantabile」と指示が為されています。
しかし、この指示を忠実に守って演奏するのはそれほど容易くはないようです。
それは、その優美さを実現するためにはフレージングの豊かさが必要であり、それは音符の数が少ないからといって弾きとばしてしまえば、さらには自分勝手な思い入れだけで演奏したのでは全てが台無しになってしまうからです。

ここに聞ける悲壮感は後期の作品における、心の奥底を揺さぶるような性質のものではありません。
長い人生を生きたものの苦さと諦観の彼方に吐き出す悲しみではなく、それはあくまでも若者が持つところの悲壮感です。

しかしながら、後期のベートーベンの作品は後期のベートーベンにしか書けなかったように、この作品もまた若きベートーベンにしか書けなかった作品です。
ここにあるのは疑いもなく「青春」というものがもつメランコリーであり、それ故に、年を重ねた人間にはかけない音楽です。

また、ローゼン先生の指摘によれば、出版社はベートーベンの「アクセント」と「スタカート」の指示を正確に読み取って区別する注意力を最後まで保持できなかったようです。
そして、このソナタの自筆譜が既に失われているために、出版譜に含まれている様々な不都合の訂正は演奏家の義務と言うことになります。
それは、どれほど新しい版の楽譜が出版されたとしても、自筆譜が失われている以上は、それを頭から無批判に受け入れることは許されないのです。

なお、最後のアレグロ楽章は主調であるハ短調で書かれているのですが、それもまた中期以降の悲劇性をもつことはなく、どちらかといえば長調の雰囲気が濃厚です。
このソナタがいかに初期ソナタにおける一つの到達点であったとしても、ベートーベンは未だロンド形式に壮大さを与えるところまでには至っていないのです。

  1. 第1楽章:クラーヴェ – アレグロ・ディ・モルト・エ・コン・ブリオ ハ短調 (ソナタ形式)
  2. 第2楽章:アダージョ・カンタービレ 変イ長調 (3部形式)
  3. 第3楽章:アレグロ ハ短調 (ロンド形式)

色々なピアニストで聞いてみよう

  1. (P)アルトゥル・シュナーベル 1934年4月23日録音
  2. (P)ヴァルター・ギーゼキング 1949年5月24日録音
  3. (P)ソロモン・カットナー 1951年6月22日録音
  4. (P)イヴ・ナット 1951年録音
  5. (P)ヴィルヘルム・ケンプ 1953年1月23日録音
  6. (P)ヴィルヘルム・バックハウス 1953年11月録音
  7. (P)ヴィルヘルム・バックハウス 1958年10月録音
  8. (P)アニー・フィッシャー 1958年10月12~14日録音

3 comments for “ベートーベンのピアノソナタ全32曲を聞いてみる(8)

  1. jukose
    2018年4月11日 at 1:23 AM

    8番「悲愴」ソナタの演奏について、最近気が付いたのですが、ピアニストによって第1楽章の提示部の後の繰り返し方に3種のパターンがあります。
    [第1の型]は、提示部後の繰り返しはやらないで、1番括弧を飛ばして2番括弧に入り、そのまま展開部に突入していく形。バックハウスの2回の録音も含めて、この上に出ているピアニストの演奏は、ほとんどこの形のようです。

    [第2の型]は、提示部の繰り返しは、曲の序奏Graveの後のAllegroの頭のところに戻り、再び提示部を経て、2番括弧、から展開部のGraveに進む形。このページで演奏しているクラウディオ・アラウはこの形です。私が持っているホロヴィッツ1963年録音のCDもこの形。現代の一般的に手に入る楽譜では、提示部の後の繰り返しは、序奏のあとのAllegroの頭にもどるという記号が付いています。つまり,この形の演奏が一般的な楽譜どうりです。

    ところが[第3の型]は、私の持っていたCDのルドルフ・ゼルキンの1962年の演奏などで、提示部の後の繰り返しでは、なんと、もう一度曲の序奏の冒頭に戻って、再び提示部、2番括弧を経て展開部に入ります。ちょっと不思議だったので、いくつか検索して調べると、他にも何人かのピアニストがこのような曲の冒頭にもどって繰り返す形で演奏しているらしいです。最近でもシフやツィンマーマン、仲道郁代などがこの形で演奏しているとのことです。

    どうやら、ベートーベンのオリジナルの譜面では、提示部の繰り返しをどこに戻るかの指示がないらしく、
    このオリジナルの形のまま出版されている譜面もあるらしい。結局、どんな楽譜によって演奏しているのかということと、演奏者の解釈判断によるのでしょうか。
    どのような形で演奏するべきなのかという議論もあるらしいけれど、これにあまりこだわりすぎるのもきりがない気もします。
    まあ、この人はこの提示部をどう繰り返すのかなということも、ひとつの楽しみにしたいと思います。

  2. benetianfish
    2018年4月12日 at 1:35 AM

    おお、確かに、初版では Allegro di molto (以下アレグロ)の所に繰り返し記号がありますが、後のブライトコップ旧全集版やビューロー版では、それが消えていますね(こういう時に IMSLP は便利です)。ウィーン原典版や最近のバリー・クーパー版ではどうなっているのか、興味があります。

    私はいつもアレグロの所へ戻りますが、今度は序奏のグラーヴェまで戻るのも試してみます。しかし、もし冒頭のグラーヴェまで戻すのがベートーヴェンの望みだとすると、どうして初版でそうなっていないのかわかりませんし(尤も当時の出版社は時にいい加減であったうえ、ベートーヴェンの自筆譜も相当読みにくいものだったそうですけれど)、序奏全てを繰り返すのはさすがに冗長すぎるように感じます。展開部冒頭のグラーヴェ並みに短いものに代えれば、アレグロの勢いを削がずに繰り返せるのですけれど、それならベートーヴェンがそう書いていたでしょうし、逆に冒頭まで戻ることによって展開部のグラーヴェとの整合性を保つ、とも見る事も出来ますから、難しいですねぇ。また、繰り返し記号の片割れが無い場合、当時でも必ず曲の冒頭まで戻っていたのか、なんらかの慣習でテンポが変わるところまでしか戻らなかったのか(この場合、グラーヴェの終わりの小節には二重線が引かれていますし)、そのあたりはどうなっていたんでしょう(誰かしら研究していると思いますけれど(笑))。

    最終的には、序奏の提示を重要視してそれも繰り返すか、アレグロの勢いを重視して序奏は端折るか、大まかにどちらかのスタンスを取ることになると思いますけれど(まったく繰り返さないのは、また別の問題・解釈だと思います)。

  3. jukose
    2018年5月23日 at 11:38 PM

    古い録音の場合には、提示部の繰返しなどを省略している理由として、当時のレコード盤の録音可能時間の問題もあるかもしれません。
    1分間に78回転のSPレコードでは片面で5分程度、両面でも10分程度だったと思います。ここに楽章一つ収めるためには、繰り返しを諦めざるを得なかった場合が結構あるはずです。33回転のLPレコードになっても片面で40分程度が限界だったと思います。
    昔聞いたベートーベンの第9交響曲のLPレコードでは、たしか3楽章の途中あたりで一度止めてからB面に裏返して続きを聞いていたと思います。CDの時代ではA面、B面なんてなんのことかわからない若い人もいそうですが。

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