黄金の時代

2011年8月13日追加

暑い日が続きます。
こんな時は、クーラーの効いた部屋でまったりと過ごすに限るのですが、「節電」を呼ばわる世間の声に負けて、いささかそう言うライフスタイルに後ろめたさなどを感じてしまうのは、私のココロが弱いからでしょうか。

それでも、考えてみれば子どもの頃(昭和30年代)はクーラーなんてものは存在しませんでした。
いやいや、クーラーどころか冷蔵庫などというのも「金持ち」の家にしかないので、日頃はそれほど親しくもない金持ちの子のところに悪ガキどもで押しかけては、その冷蔵庫で作られるという「氷」をかじったりしたものです。
とは言え、いつもいつも押しかけるわけにもいかず、結局は川に出かけては岩の上から飛び込みなどをしたりして暑さを凌いだものです。

私が生まれ育ったのは山間の小さな村ですから、そこを流れる川は実に綺麗なもので、夏でもけっこう水は冷たかったように記憶しています。

river1

バケツに網を持って、川下から川上の方に向かって魚を捕まえながら遡るのがいつものやり方でした。そして、淵に来るとそこで泳いだり岩の上から飛び込んだりして汗を流すと、また上流に向かって遡っていきます。
魚を捕まえるのに釣り竿なんか使うやつは一人もいませんでした。
川の中にザブザブと入っていって岩の下に隠れている魚を網ですくったり、荒っぽいやつになると、その岩に大きな岩をぶつけて魚を失神させて捕まえていました。この「漁法」を私たちは「ゴットン」と言っていました。まさに、そのまんまの表現方法です。
そんな調子で、暑い昼間を川ですごせば、バケツの中は魚でいっぱいになり、その魚は夕食で天ぷらとなって出てきたものです。

しかしそんな熱いなかを一日中走り回っていても「熱中症」になるやつなんて一人もいませんでした。そもそも私たちの中に「熱中症」なんていう言葉すら存在しませんでした。
それ以前に、「川は危ないから子どもたちだけで行くな!」などと言う「大人」もいませんでした。いや、もしかしたら、学校では「川や池で泳いではいけません」と注意されていたのかもしれませんが、そんな注意を聞くやつもいませんでした。
そして、当然のことながら、川で危ない目に遭うやつなんて一人もいませんでした。

危険なのは川よりもヤマモモの木でした。

yamamomo

6月になると、ヤマモモが実をつけるので悪ガキどもはそれを競うように取りに行ったものです。ところが、ヤマモモの木の枝は非常に折れやすいのです。
とりやすいところにある実はすぐにとり尽くされてしまいます。仕方がないのでだんだんと枝の先へと進出していくのですが、毎年一人ぐらいはその枝が折れてあえなく落下して「骨折」という仕儀になるのでした。

それでも「大人」たちから「ヤマモモの実は取りに行くな」などと注意されることはありませんでした。
それよりは、ヤマモモの実を食べると赤い汁がシャツについて取れなくなるので、そのことの方を親から叱られたものです。
もちろん、自分の子どもが木から落ちて「骨折」すれば、それはずいぶん心配したでしょうが、しかし、その「痛さ」は子どもが育つ上で「必要」なものと心得ていたようです。
ですから、決して「行くな!」とはいわれませんでした。

そんな時に、大騒ぎが巻き起こりました。
私たちは絶対に行かない、下流の堰堤のところで子どもがおぼれて死んだと言うのです。そこは、兄ちゃん連中から「絶対に行ってはいけない」といわれていたところでした。
堰堤でせき止められて大きなプールのようになっているその場所は、大きな魚が悠々と泳いでいる魅力的な場所なのですが、下流に向かって放水する穴が何カ所も開いているので絶対に近づくなといわれていました。大人のいうことは聞かない悪ガキどもも兄ちゃん連中のいうことは聞きますから、そこは絶対に遊びに行かない場所でした。

亡くなったのは、私たちが言うところの「町の子」でした。
そう言えば、最近そこで町の子がよく遊んでいるという話を聞いていました。何人かの大人たちは「危ないなぁ」と話していたそうで、一度は珍しく「注意」をしにいったそうです。そして、縁台に腰をかけてそんなことを話している大人たちを、何とも言えず実感のわかない不思議な感覚で眺めていたことを思い出しました。

夏休みが終わると、始業式で先生がその事について何か話をした記憶があります。そして「川は危ないから子どもたちだけでいっては行けません」と注意されたような記憶もおぼろげながらに残っています。
しかし、9月のはじめは短縮授業ですから、学校から帰ってきたら相変わらずみんなで川へ出かけて遊んでいました。
そして、そんな子どもたちを「注意」する「大人」は一人もいませんでした。
これを「牧歌的」と言っていいのかどうか分かりませんが、私たちにとっては疑いもなく「輝ける黄金の時代」でした。

父が亡くなり、母も引き取ったので、その村には今は家と土地しか残っていません。久しぶりにお盆の墓参りで帰ったときに昔の友人とお寺で会いました。
彼が言うには、今では川で泳ぐ子どもなんて一人もいないそうです。
そうだろうな、かくいう俺だって、今や暑い日にはクーラーを効かせて音楽を聞いている日々です。子どもだけ、「外へ行って遊んでこい!」は通らないでしょう。

そして、何よりも、「兄ちゃん連中」という存在がこの世から消えてなくなってしまったのです。小さい頃から「兄ちゃん連中」につれられて川で遊んだ経験のない子どもたちにとっては、いくらプールで上手に泳げたとしても川は本当に危ないところです。
つまりは、今はどの子も「町の子」になってしまっているのです。
でも、そんな子どもたちが大人になったとき、彼らは何を持って己の「黄金の時代」とするのでしょうか。

クマゼミが狂ったように泣きわめく木の陰で、その友人と「つまらんなぁ」と言い合うのが精一杯でした。
大人の罪は大きく、反省すべきは原発だけではないようです。


1件のコメント

  1. 何時ぞや、5年前にもなりますか、愛犬が逝去した冬、こちらを読ませていただきました。
    YUNGさんも犬の散歩、雪の中苦労されているようでした。
    さて、小生は大阪の十三の「赤とんぼ」というコーヒー喫茶によく通っています。
    マスターと珍しく長く話してましたら、かなり前の常連客にRYOUBU(両部)さんという方がいて、
    数学の達人で、オーディオのために羽曳野に家を建て、
    数百万円する素晴らしいスピーカーで音を楽しんでらっしゃる、とか。
    そのとき(本日朝ですが)、ふと思ったのが、YUNGさんのこと、です。
    とすると、カフェーのマスターを通して職場の大先輩に出会えた気がしたのですが、気のせいでしょうか?

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