ジョージ・セルとの出会い~1300円の廉価盤

1998年11月1日 更新

Szell_1一方では冷たい機械と酷評されるかと思えば、片方には根強い支持者がいる不思議な指揮者がジョージ・セルです。
お前はどちらなんだ?と聞かれれば、こんな題で一ページ設けるぐらいですから、言うまでもなく後者の根強い支持者の一人です。

実は、ジョージ・セルは数少ない「無鑑査」指揮者の一人なのです。

「無鑑査」指揮者とは何か?そんな用語はどこを探しても載っていません。
自分で勝手に作り出した用語で、CDショップで新しい録音に出会ったときに、一切の躊躇なく購入する指揮者をこのように呼んでいます。
逆に「逆無鑑査」指揮者というのもいて、これは躊躇なく購入を断念する指揮者で、これも何人かいます。

つまりは、何があっても手持ちのお金がある限り購入してしまう指揮者の一人がジョージ・セルなのです。
ですから、毎月「レコ芸」が発売されると、広告欄や新譜速報などを隅から隅までくまなく目を通して、セルの新録音がリリースされないかとチェックを入れています。

最近も、ジョージ・セル生誕100周年を記念した7枚組のCDがクリーヴランド管弦楽団の自主制作で発売されました。
この事実を「レコ芸」のタワーレコードの広告欄で知り、その翌日に心斎橋にとんでいきました。
しかし、世の中には同じようなやつがたくさんいると見えて、タワーレコードに言ってみると、なんと最後の一組しか残っていなかったのです。

背筋を冷たいものが流れましたね。
7枚組のボックスで2万なにがしというとてつもなく高い値段だったにもかかわらず、押し頂くように最後の一組を買ってきました。

ジョージ・セルとの出会い

こんなセルとの初めての出会いは、1300円の廉価盤でした。

今から20年ほど前クラシック音楽などを初めて聴き始めた頃、当時住まっていた田舎のレコード屋さんにその廉価盤は並んでいました。
そのころ、1300円というプライスはもっとも安価なレコードで、確かEMIのセラフィムシリーズと並んで、この「セルの芸術」が並んでいました。
クラシック初心者にとっては、ジャージ・セルという名前は聞いたこともなかったのですが、1300円というプライスが魅力で何枚か買い込んできて聞きました。

聞いてみて、最初に思ったのは、安い割には音が良いなと言うことです。
これに気をよくして、どんどん買い込んできてはセルの音楽を聞きました。そして、何度も聞いているうちに、さすがに鈍な男でもおかしいなと思い始めたのです。

どのレコードを聞いてみても、たいへん透明感のあるきれいな音がするのですが、また、どのレコードを聞いてもシャーというヒスノイズが耳につくのです。
つまり、安い割には音が良いと思ったのは錯覚で、録音自体は余り良くはなかったのですが、録音の時に鳴り響いていたオーケストラの響きが、並外れた透明感を持っていたのです。

考えてみれば、どんなに録音が素晴らしくても、そこで鳴っているオーケストラがダメだったらどうしようもないのです。
主体はあくまでもオーケストラの響きであり、録音はあくまでもサブでしかありません。
それにしても、この響きの精緻さはただ事ではありません。
いったい、どれだけオーケストラを締め上げればこのような響きが出るのかと怖さすら感じました。

初めて現れたジョージ・セルという指揮者は、恐るべきオーケストラトレーナーとして現れたのです。
鼻歌を歌いながら料理していた奥さんを、音程が狂っていると言ってレッスンを始めたという逸話を聞いた時はさもありなんと思ったものです。
ちなみに奥さんは元オペラ歌手だったそうです。

これほどのアンサンブルの精緻さを極めたコンビは他に思い当たりません。
縦のラインは完璧にそろっているため、響きはこの上もなく透明で強靱です。
そして、その響きが完璧に保持された上で、、気持ちが良いぐらいに横のラインが流れていくのがセルの特徴です。

最近は多くの人が、セルのことをロマンあふれる完璧主義者と呼んでいます。
音楽の流れを重視すれば、アンサンブルの精緻さは犠牲になります。

たとえば、シェルヘンとルガノ・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集が典型でしょう。
これなんかは、アンサンブル的には完全に破綻している。でも、素晴らしい。

逆に、アンサンブルの精緻さにこだわれば、音楽の流れはぶつ切りになり生命感を失います。
最近の録音に多い。
破綻なく演奏は進むが実に退屈で最低。例は数多ありすぎて数え切れない。

しかし、セルとクリーヴランドのコンビは、この相矛盾する課題を高度なレベルで統合しています。
完璧にそろった縦のラインによってもたらされる強靱で精緻な響きによって音のドラマが語られていきます。

これは音楽演奏の一つの理想です。

世上では、セルは晩年になって硬さがとれて、ロマン性あふれる演奏を繰り広げた言われますが、これは大きな誤解です。
聞く耳があれば、50年代の壮年期の録音にも、あふれるようなロマンがあります。
ただ、バラバラのアンサンブルでそれを語ることを潔しとしなかったセルは、強引にオーケストラをドライヴしてでも引っ張っているために冷酷なマシーンと誤解されたのです。

60年代後半にいたって、クリーヴランドの機能性は頂点を極めました。
そして、セルの高度な要求にも余裕を持って応えられるようになったために、セル自身も強引にオーケストラをドライヴする事は少なくなりました。

そのことが、最初のような誤解を招く原因になっているのですが最初の頃の必死さが消えている晩年の演奏は、凄いと感じながらも50年代の録音の方が魅力的に感じることが少なくありません。
未だ誰もが為しえなかった高いレベルの演奏を目指して、指揮者とオケが必死に音楽づくりに挑んでいる姿が感じ取れる50年代の録音は、晩年の録音にはない魅力があふれています。

セルは私にとって、一つの理想の具現者です。
彼の無鑑査指揮者の地位は当分揺るぎそうもありません。

2件のコメント

  1. 1300円の廉価盤。懐かしいですね。
    自分は当時セラフィムシリーズを好んで購入していました。
    セルの方は確かバーンスタイン、オーマンディが一緒になった
    2枚組のセットも売っていました。
    自分はEMI派だったのでクリュイタンスやケンペ、クーベリックを
    知る良い機会になりました。

  2. ご無沙汰しております。かつてこちらのデータベースには登録させていただいたこともあります。
     今、アメリカのWCLV で1965年9月23日のライブが放送され続けていて、チャイコフスキーの4番の事が気になって、こちらにたどり着きました。
    私も最初は1300円シリーズがセルとの出会いでした。セルフライシャーのベートーベンpf 協奏曲の5番です。クラッシックそのものにもなじみが薄かったのですが、このLP でセルの世界に引き込まれたように感じています。
     今週は、Cleveland Orchestara が2015-16 のシーズン最初のライブをやりますが、最初のジュピターは期待しています。メストの指揮ですが、4楽章の最後ではやはりセルの声が聞こえてくる感覚にとらわれます。今年1月のライブでもそう感じましたし、「やはりセルは生きている」と感じさせてくれる圧倒的な演奏でした。

     また珍しいものを沢山聞かせていただきます。

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