リッピング再考(1)

非常に重要だと思われながらもあまり触れられる機会が少ないのが「リッピング」に関わる問題です。ふれられてこなかった背景には二つの理由が考えられます。

  1. リッピングの仕方が変わってもファイルはバイナリ的に一致するならば音質が変わるはずはない。
  2. ハイレゾを推進し、ハイレゾのファイルを購入してほしい業界からすればリッピングなんかはあまり推奨したくない。

ハイレゾかリッピングか?

まあ、(2)に関してはゲスの勘ぐりかもしれませんが、思ったほどにはハイレゾのファイルが普及しない現状には頭を悩ましているのではないでしょうか。そう言う業界事情を考えれば、「ハイレゾにも負けない素敵なリッピングのノウハウ」なんて記事がオーディオ雑誌で取り上げられるとは考えにくいですね。
さらに勘ぐりを深めれば、バイナリ的に一致すれば音質にかわりはないという説を広く流布した方が、結果として劣悪なリッピングファイルがまかり通ることでハイレゾのファイルの優位性が際だつという事も考えられます。

既に何度も繰り返していますが、長い目で見ればハイレゾはそれほど成功を収めることはできないと思います。

何故ならば、オーディオにそれなりの配慮を払って音楽を聞いている人の大部分は「音」ではなくて「音楽」を聞きたいと思っているからです。そして、「音楽」を聞きたいと思っている人から見れば、聞きたいと思えるようなハイレゾ音源はほとんど見あたらないのです。
これは致命的な問題です。

クラシック音楽に限ってみればの話ですが、そこにはお金を払ってまでも聞きたいと思えるような新しい録音を供給できないという根深い問題が存在します。そして、その致命的な問題はオーディオ業界だけでどうこうなる話ではないのが辛いところなのです。

そこで、仕方がないので、またぞろフルトヴェングラー頼みで、彼の古い録音をハイレゾで売り出したりするのですが、さすがにそんなインチキ商売に踊らされる人はいなかったようです。

最近も、ジョージ・セルのベートーベン交響曲全集をSACD化して発売するという広告が舞い込みました。結局は、こういう形でハイレゾ音源を提供するするしかないところにハイレゾの未来が透けて見えるのです。
言うまでもないことですが、こういう50年代から60年代にかけての録音は最初から20KHzをこえるような領域まで録音できていないのですから、そんな歪な形でハイレゾ化してくれなくても、適切にCD規格のデータをリッピングすれば十分なのです。

「音楽」を聞きたいと思っている人たちは既に膨大な「16bit 44.1KHz」というCD規格の音源を膨大に持っているのが一般的です。ですから、再生の形がCDプレーヤーからPCに変わったとしても、新たにファイルという形で音源を購入する人はごく少数であり、その大部分はCDをリッピングすることでファイル化しています。

結果としてみれば、ハイレゾは「音楽」ではなくて「音」を聞きたいと思っている少数派の中でしか受容されないだろうと思います。
そう言えば、最近のオーディオ雑誌を眺めていると、オーディオで異次元の素晴らしい「音」を聞くのも趣味としては素晴らしいことですよ、みたいな記事をよく見るようになりました。なるほど、分かっている人は分かっているんだと思うのですが、それでも、そう思える人が多数派になることはないだろうと思われます。

ですから、「音楽」を聞きたいと考えている人たちは、日夜膨大な量のCDをひたすらリッピングすることになるわけです。私のことを例に挙げれば、2Tbの外付けHDを買ったときは容量を使い切るよりは壊れる方が早いだろうと思っていたのですが、驚くなかれ、わずか2年あまりでその容量を使い切ろうとしています。
CDプレーヤーをシステムから排除した身としては、リッピングしないと音楽が聞けないのですからそれも仕方のないことなのです。

経験的にはリッピングの仕方で音が変わる

そして、その膨大なリッピングの経験から言える事は「(1)リッピングの仕方が変わってもファイルがバイナリ的に一致するならば音質が変わるはずはない。」なんて事は絶対にあり得ないと言うことです。
この「バイナリ的に一致すれば音は変わらない」論争は2008年頃から賑やかになり、2010年頃には沈静化しました。ただ、その沈静化は理論的に決着がついたというのではなく、何となく「よく分からないけれど、現実問題としてリッピングの仕方で音は変わるよね。」という雰囲気が広まっていく中でうやむやになってしまったというのが実情です。

たしかに、論理的に考えれば、バイナリ的に一致するデジタルデータが、そのリッピングの仕方によって音質が変わるなどと言うことは「あってはならない」事です。
CD-ROMに書き込まれたアプリケーションソフトが読み込まれる光学ドライブやPC環境によって「変化」するとなれば、デジタル技術の根幹が揺らいでしまいます。

しかしながら、現実問題として、CDに書き込まれた「16bit 44.1KHz」規格のデータは、読み出す過程の違いで、たとえバイナリ的に一致しても最終出口である「音質」というレベルで比較すれば大きな差異が発生します。

私はこういう理論的なことにはあまり興味がなく、現場レベルでの結果こそが全てだと考えている人なのであまり深入りはしたくないのですが、一つ言えるのは、CDに刻み込まれた音楽データはCD-ROMに書き込まれたアプリケーションソフトなどのデジタルデータとは同一ではないと言うことです。
その最大の違いは、CDのデータは曲の冒頭から時間軸に添って逐次的読み込まれるということです。このデータをファイルとして吸い上げようとすれば、読み込み速度は上げることができたとしても、それでも冒頭から時間軸に添って逐次的に吸い上げていくしかありません。
こういう特殊な形でファイル化されたデータが、果たして「バイナリ的に一致する」と言うことだけで「同一性」が担保されるのかは検証してみる必要があります。

CDプレーヤーのことを思いだそう

さらに付け足せば、このリッピング云々の問題を取り上げる前に、それよりもはるか昔にCDプレーヤーの違いによる音質の違いが論議され事を思い出す必要があります。

この世の中にデジタルによる再生が登場したときに、メーカーの技術者達はこれでオーディオ機器による音質の違いは消えてなくなると豪語したものです。
しかしながら、現実にはCDプレーヤーによる音質の違いは歴然として存在したので、多くのユーザーがその事を指摘したのですが、多くの技術者達はそう言うことを言い立てるユーザーの指摘を「ものの理屈が分からない原始人の戯言」と切って捨てたものでした。

しかしながら、どちらが戯言だったのかは時間が解決してくれました。
何時までも、そんな昔の話は持ち出してくれるなと言う人もいるでしょうが、個人的にはこの出来事は石に刻んでも永劫に残しておきたいくらいです。

言うまでもないことですが、数万円の普及価格帯のCDプレーヤと数百万円のCDプレーヤを比較しても、CDから読み出したデジタルデータが異なるなどと言うことは絶対にありません。

<SONY CDP-XE500(定価:2万2千円)>

cdp-xe500

<SONY CDP-X5000(定価:120万円)>

cdp-x5000

もっとも、その後段のDA変換部は普及価格帯とハイエンド機では全く異なるので、その部分で音質の違いが出るという主張は成り立ちます。
しかしながら、CDプレーヤーが花形だった時代には読み出しに特化したトランスポート部分とDA変換を担当する部分にセパレートした機器がたくさん発売されました。中にはトランスポート部分だけでも100万円を超えるよう秋器も登場したのですが、そう言う高額機器が読み出したデジタルデータと普及価格帯の読み出したデータが異なっていれば吃驚です。

<SONY CDP-R10(定価:120万円)>

万万が一にも異なっていたならば、それは明らかに欠陥品としてリコールの対象となるはずです。

しかし、メーカーにとっては有り難いことに、読み出したデータがデジタル的には一致していても、最終的な出口である「音質」という部分においては誰の耳にも明らかなほどの差異が主張できたのです。

つまりは、リッピングの問題が賑やかになるはるか昔に、既にデジタル化された音楽デ-タというのは、バイナリ的に一致しただけではその同一性が担保されないことは既に「常識」だったのです。ですから、未だにリッピングの仕方によって音質が変わるという主張をただのプラシーボ効果と切って捨て、オカルト呼ばわりする人が存在するのですが、その主張に説得力を持たせるためにはこのCDプレーヤも含めた広大なエリア全てにおけるプラシーボ効果を証明する必要があります。

ただし、証明が可能ならば、50年近くに及ぶデジタルオーディオ技術の根幹をひっくり返すことができますし、不当な虚偽効果で高額なCDプレーヤを売り続けてきたメーカーの責任を明らかにすることができるというものです。

と言うことで、最後はやや嫌みぽくなって失礼しましたが、それでもこういう事を前置きとして一言述べておかないと、未だに「バイナリ的に一致するのに音が変わるなんて、脳みそにウジわいている」みたいなメールや書き込みをもらうのでご容赦ください。
次回は、私のリッピング環境とノウハウについて報告したいと思います。