オーディオの世界ではアメリカのレーベルでは「RCA」や「Mercury」、イギリスでは「Decca」が優秀録音として認識されています。ですから、「Columbia」や「EMI」というのは、それらと較べると一歩譲るというのがこれまた一般的な認識です。
それだけに、「TAS Super LP List」で「Columbia」の録音を優秀録音として指摘されてみて、そして、そう言う録音を「そのつもり」で聞き直してみて、「RCA & Mercury > Columbia」という図式はそれほど単純には成立しないことに気づかされるのです。
ただし、「RCA & Mercury > Columbia」という図式が定着してしまった背景には、それなりの理由があるこことを教えてくれたのがこのグールドとバーンスタインによる録音した。
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58 バーンスタイン指揮 (P)グレン・グールド ニューヨーク・フィルハーモニック 1961年3月20日録音
この録音は、グールドとバーンスタインによるベートーベンのピアノ協奏曲全曲録音の一つとして取り組まれたものと思われます。グールドとバーンスタインはここまでに以下の組み合わせでベートーベンのピアノ協奏曲を録音していました。
- ピアノ協奏曲第2番:バーンスタイン指揮 コロンビア交響楽団 1957年4月9,10日録音
- ピアノ協奏曲第3番:バーンスタイン指揮 コロンビア交響楽団 1959年5月4日録音
ちなみに、グールドは1958年にヴラディーミル・ゴルシュマン指揮 コロンビア交響楽団との組み合わせでピアノ協奏曲第1番を録音していますから、バーンスタインとの組合わせにこだわらないのであれば、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」を録音すれば全集として完成することになります。
しかしながら、両者の組み合わせによる録音はこの61年のピアノ協奏曲第4番でもって終わりとなります。何故ならば、この翌年にブラームスの協奏曲第1番のコンサートで有名な「バーンスタインのスピーチ事件」がおこり、この両者は仲違いをしてしまうからです。
この「スピーチ事件」というのは、ニューヨークフィルの定期演奏会で両者が協演したときに、その作品解釈をめぐって仲違いがおこり、その経緯を演奏会に先立ってバーンスタインがスピーチしたという事件です。
「それは私がこれまでに聴いたことのあるどの演奏とも全く違うもので、テンポは明らかに遅いし、ブラームスが指示した強弱から外れている部分も多々あります。実は私はグールド氏の構想に完全に賛成というわけではありません。」
しかしながら、残された録音を聞いてみると、バーンスタインが「テンポは明らかに遅い」と指摘したほどにはスローテンポにはなっていません。
ちなみに、この作品の決定盤の一つもと言われ、尚かつ同じ年に録音されたセル&カーゾン盤と比べてみると以下の通りです。
- セル&カーゾン盤(第1楽章:22分12秒・第2楽章:16分1秒・第3楽章:12分)
- バーンスタイン&グールド盤(第1楽章:25分48秒・第2楽章:13分45秒・第3楽章:13分48秒
多少は遅いテンポ設定かもしれませんが、全体としては常識的な範囲にとどまっています。そして、その事を持って、この事件の背景にバーンスタインの狷介な性格を指摘する向きもあります。
しかし、問題のスピーチがあったコンサートは3日目の演奏会であり、過去2日のコンサートでは第1楽章だけで40分以上もかかるほどの超スローテンポな演奏だった事は意外なほどに知られていません。
つまり、バーンスタインが賛成しかねる構想と言ったのはスピーチのあった日の演奏ではなくて、第1楽章だけで40分を超え、さらには作品全体で1時間を超えるような過去2日間のグールドの演奏に賛成できないと言ったのです。
後年、グールドはこの時のことを「楽屋でバーンスタインのスピーチを聴いて腹を抱えて笑った」みたいな事を語っているのですが、結果としては屈服しているのです。そして、その弱さこそがグールドの本質の一つであり、それでいながらそれを認めず「楽屋でバーンスタインのスピーチを聴いて腹を抱えて笑った」と言いつくろうところに「悲しいまでに傷つきやすいプライド」を抱え込んでしまっているグールドの姿が垣間見えてしまうのです。
そんな事があったために、結果として61年の第4番の協奏曲が最後の録音となり、第5番の協奏曲が録音されることなく全集としての完成は見ずに終わることになります。
しかし、レーベルとしてはそう言う形で頓挫してしまっては困ってしまうので、バーンスタインにはゼルキンをあてがって3番と5番を録音し、グールドにはストコフスキーをあてがって残っていた5番を録音するのです。ところが、そのストコフスキーに対して「僕には二通りの解釈があるんだが、あなたはどちらの方がいいのかな」などと、大先輩に対するものとは思えないような思いっきりの「上から目線」の言葉を投げつけてしまうのです。
その時には、グールドはすでにコンサート活動からはドロップ・アウトしていたのですが、それでもその様な物言いしかできないところにグールドの痛ましさがあったのかもしれません。
グールドの才能を疑う人はいないでしょう。
しかし、一人だけその才能を疑っている人がいたのではないかと思ってしまうのです。それがグールド本人、その人だったのではないかと思うのです。
あれほどの才能と技術を持っているのですから、普通はそれに自信を持ってデンと構えていればいいのです。しかし、彼は最後までその様な自信を持つことが出来ず、事あるたびに言わなくてもいいようなことを言っては多くの人の眉を顰めさせることになるのです。ただし、その様な脆いガラス細工のような繊細さを抱え込んでいたがゆえに、グールドの音楽は他にない魅力を持つようになったのかも知れませんから、芸術というのは何とも残酷な営みだと言わねばなりません。
話が、オーディオとは関係ない方向に流れすぎました。
ちなみに、グールドによる第1番から第4番までの録音は全て同じプロデューサー(ハワード・H・スコット)によって行われています。ですから、録音はほぼ同じような状態で行われたものと思われます。
こういうときに、浮かび上がる疑問は、何故に第4番だけが「優秀録音」に選ばれていて、それ以外の録音は無視されているのかと言うことです。
これと似たような疑問は「Westminster」レーベルのモーツァルトの弦楽四重奏曲でも呈しました。それは、ほとんど同じような録音条件であるにもかかわらず、何故に「K.159,K.160,K.168,K.169」の4曲を収録したレコードだけが 「優秀録音」としてピックアップされているのかという疑問でした。
しかし、今回の件に関しては明らかに61年に録音されたこの第4番の協奏曲は優秀録音です。57年に録音された第2番はモノラル録音なので同じライン上では比較できませんが、第1番と第3番の録音を較べてみれば音場空間の広がりという点では大きな違いがあります。そして、それは1番と3番が58年録音であるのに、4番はより新しい61年の録音だからと言うような単純な話ではすまないほどの違いがあります。
例えば、3番と4番を比較してみれば、3番の録音は左右に2次元的に綺麗に音は配置されていますが、そこから3次元的な空間の広がりを感じとるのは不可能です。それに対して、第4番は見事なまでに3次元的な空間の広がりを感じとることが出来ます。そして、それは昨今の音場感優先の腰の砕けた薄い響きではなくて、中身がミッシリと詰まった質感豊かな響きが3次元的に広がっているのです。なるほど、これならば「優秀録音」に指定されても恥ずかしくないほどのクオリティです。
しかし、それならば、どうしてこれと同じクオリティで先の1番と3番も録音できなかったのかという疑問がわいてくるのです。
そして、あれこれ調べていて気がついたのが、4番だけが録音会場が異なっていたという事実でした。
それは、4番だけが「マンハッタン・センター(Manhattan Center)」というコンサート会場で録音されているのに対して、残りの全ては「コロンビア30丁目スタジオ(Columbia 30th Street Studio)」で録音されていたのです。
ちなみに、「コロンビア30丁目スタジオ」はもとはギリシャ正教会の教会だったところで、通称「The Church」とよばれたスタジオでした。天井の高さは100フィートを超え、フロアの広さも十分あったので、ジャズやフォーク、ロックなどではたくさんの優秀録音が生み出された場所でした。そして、「Columbia」はクラシックでもこのスタジオをよく録音に用いていて、このバーンスタインやグールドだけでなく、ゼルキンやホロヴィッツなどもこのスタジオで多くの録音を行っています。
しかしながら、それらのクラシック音楽の録音で「優秀」だと思えるようなものはほとんど見あたりません。確かに、この「30丁目スタジオ」は音響的に悪いスタジオではないのですが、それでもオーケストラの響きを音場空間まで含めて録音するにはいささかボリュームが不足だったことは否めないようでした。
それに対して、4番が録音された「マンハッタン・センター」はもともとがオペラ劇場でした。そして、そこは今も多くの聴衆を集めてコンサートも含めた様々なイベントが開かれるホールであり、とりわけ優れた音響特性を持った会場だというわけではないのですが、それでも「30丁目スタジオ」よりは優れた会場であったことはこの二つの録音を聞き比べてみれば明らかです。
「30丁目スタジオ」での録音だけを聞いていればそれほど不満を感じないのですが、こうして聞き比べてみると、それがいかに「窮屈」な音場の中に詰め込まれているかに気づかされるのです。
オーディオの世界では機器が半分、リスニングルームが半分とよく言われるのですが、録音においても会場の重要性がいかに大きいかを気づかされる比較です。
そして、そう言う違いにおそらくは気づいていながらそれでも「Columbia」が「30丁目スタジオ」を使い続けたのは、そこが自前のスタジオであって経費の削減に役立ったからでしょう。そして、そう言う辺りで経費をケチったことによって、結果として「Columbia」は「RCA」や「Mercury」に対して録音クオリティが劣る「RCA & Mercury > Columbia」という図式定着させてしまったのではないかと思わざるを得ないのです。
そう言えば、その「Mercury」の立役者だった「ウィルマ・コザート(Wilma Cozart)」が買収されたフィリップスから疎まれたのは「コスト意識」のなさだったと言われています。彼女にしてみれば、録音クオリティを追求するために経費面での制限がかかるなどと言うことは許せなかったのですが、それ以上に「Mercury」を買収したフィリップスの経営陣にしてみれば、そう言うコスト意識のないウィルマ・コザートはさらに許せる存在ではなかったのです。
そして、そう言う「コスト意識」が次第に意識され始める60年代半ば以降になるにつれて、本当に凄いと思えるような録音が姿を消していくのです。
そう言う意味では、このバーンスタインとグールドのコンビがマンハッタン・センターで行った唯一の録音は、そのあたりの問題をあれこれ考えさせてくれるきっかけとなったのです。
そう言えば、ストコフスキーとグールドの皇帝(1966年録音)が MP3データベースにありません?
そう言えば、確かにアップしていませんね。近々、追加したいとは思いますが、個人的にはあまり面白くない演奏だったような記憶があります。(^^;
嘘のような話ですが去年の暮に著作権法が変わって、著作隣接権も70年になってしまったらしいです。そうすると、1949以降はダメという事になります。1951のバイロイトも、新しく復刻するのはきっと不可なのでしょう。何の意味があるのか理解不能な変更です。
改正著作権法の附則にはこうあります。
(著作隣接権についての経過措置)
第十五条 この法律の施行前にした旧法の著作権の譲渡その他の処分で、この法律の施行前に行われた実演又はこの法律の施行前にその音が最初に固定されたレコードでこの法律の施行の日から新法中著作隣接権に関する規定が適用されることとなるものに係るものは、新法のこれに相当する著作隣接権の譲渡その他の処分とみなす。
2 前項に規定する実演又はレコードでこの法律の施行の際現に旧法による著作権が存するものに係る著作隣接権の存続期間は、旧法によるこれらの著作権の存続期間の満了する日が新法第百一条の規定による期間の満了する日後の日であるときは、同条の規定にかかわらず、旧法による著作権の存続期間の満了する日(その日がこの法律の施行の日から起算して七十年を経過する日後の日であるときは、その七十年を経過する日)までの間とする。(後略)
旧法でパブリックドメインとなっていたものは、新法施行後もパブリックドメインなのです。
田中あらいぐまさん、ありがとうございます。
青空文庫からは、かなりの著作が消えてしまったという事なので、著作隣接権も新しくCDの復刻などは出来ないのかな、と思っていました。法律用語が良く分からないのですが、1968年までに発売されたレコードなどは旧法の適用で既にパブリックドメインであるけれど、1969以降のものは2039まではダメ、という理解で正しいのでしょうか。
ストコフスキー&グールドの皇帝ありがとうございました。
著作権法改正で言うと、1949年の今井正監督/原節子主演映画『青い山脈』のDVDも100円で売られていたのが消えてしまいました(持ってますけど)。