ある方の言によれば最高のオーケストラ録音は、アンセルメの「ロイヤル・バレエ・ガラ・コンサート」、協奏曲ならパイロン・ジャニスのラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」、器楽曲ならシュタルケルのバッハ「無伴奏チェロ組曲」と言うことになるそうです。
最初は「そんなもんかいな」と思っていたのですが、最近はどちらかと言えば「ほんまかいな」と言うところです。その「ほんまかいな」の中身をのぞいてい見れば、何よりも「最高」つまりは「The Best」という言葉をそんなに簡単に使っていいのかという疑問です。
たとえば「TAS Super LP List」ではそれぞれのジャンルにおいて「BEST OF THE BUNCH」として十数点がリストアップされています。つまりは、これが「最優秀録音」と言うことになるのですが、もしもこの上にそれぞれのジャンルで「The Best」として一点だけノミネートすればどうなるでしょうか。おそらくは、議論百出、異論続出で収まりがつかなくなるでしょう。
とりわけ、器楽曲ならシュタルケルのバッハ「無伴奏チェロ組曲」だという断定には少なくない人が疑問を感じるのではないでしょうか。
録音の優秀さというのは数値化して比較することは出来ませんから、結局はそれぞれの聞き手の感覚的な話に還元されざるを得ません。周波数レンジとかダイナミックレンジなどという項目を抽出して、それを単純に比較してみても何の役にも立たないことは言うまでもないことです。
もちろん、それらも重要な項目ではあるのですが、それだけでは何も語ってくれません。
そこで、結局は音場がどれほど広がっているのか、それも左右という一次元的な広がりではなくて奥行きや高さなどと言う三次元的な表現がどれほど実現しているのか、その空間内においてそれぞれの楽器の定位がどれほど明確なのか、さらにはその楽器のボディ感がどれほどの生々しさを持って再現されているのかなどと言う項目をチェックしていくことになるのでしょうが、そこで使えるのは「感覚」だけなのです。
実は、これは私が録音のクオリティをチェックするときの順番なのです。(^^;
まずは、自分の目の前に長方形をイメージして、音が広がっている空間をイメージします。これは編成が大きくていろいろな楽器が鳴り響いている音楽ほどチェックしやすくて、バッハの無伴奏曲のようなシンプルな音楽になると逆に把握するのが難しくなります。
そして、その空間の二次元的な広がりが把握できれば、次に奥行きがどれほどあるかをイメージします。
この奥行きというのは、上で確認した空間内のどの位置でそれぞれの楽器が鳴っているのかを確認することで概ねチェックが可能です。風呂屋の壁の絵のように横に並んでいるだけなのか、それとも奥行きを持った三次元的な空間内に定位しているのか、そして3次元的な空間で鳴り響いているのであればその空間の奥行きがどれほどなのかは割合簡単にチェックできるはずです。
そして、最後にそこで鳴り響いているそれぞれの楽器の質感をチェックすることになります。
この時に大切なのは、当たり前と言えば当たり前の話ですが、それぞれの楽器が本来はどのような響きを持っているかをそれなりに知っておく必要があると言うことです。しかしながら、熱心にオーディオをやっている人の中には、実際の生音はほとんど聞いたことがないという人が意外と多いのです。
それでは、この質感に対する正しい評価が出来ないのはいうまでもありません。
ただし、以上述べたことで注意しないといけないのは、この空間的な広がりや楽器のボディ感は録音の優劣によってもたらされると同時に、自分が使っている再生システムのクオリティによっても規定されることを忘れてはいけないと言うことです。つまりは、自分のシステムの限界を超えるような情報が入っている録音に関しては評価しきれないという謙虚さを持つ必要があると言うことです。
前置きが長くなりましたが、つまりは、録音の優秀さなどと言う感覚的な話は何処まで行っても感覚的な話に還元せざるを得ないと言うことです。
そして、その感覚に頼るとすれば、管弦楽曲や協奏曲と較べれば、器楽曲というのはその差を関知するのはより難しいジャンルだと言うことです。
考えても見てください、チェロ一挺が鳴り響いているだけの録音で、上で述べたようなチェック項目を比較してその差異を明確に指摘できる人がどれほどいるでしょうか。さらには、その違いを適切にランク付け出来る人がどれほどいるでしょうか。
しかしながら、そのようなシンプルな編成による音楽であれば、オーディオでもって実演とほぼニア・イコールの世界が実現できるというメリットがあります。
そこで、そういうシンプルな室内楽作品であるならば細かいチェック項目は全て忘れてしまって、かつて聞いた実際のコンサートでのイメージに対してどれほどニア・イコールであるかという、さらに感覚的な要素で判断してしまうことになるのです。
そして、そう言う「感覚」に依拠するならば、器楽曲ならシュタルケルのバッハ「無伴奏チェロ組曲」こそが「The Best」と言い切るスタンスには「ほんまかいな」と言ってしまうのです。
例えば、80年代に若きヨー・ヨ・マが録音したバッハの無伴奏チェロ組曲は素晴らしいクオリティを持った録音だと思います。ただし、あの録音に関しては、ヨー・ヨーマがあまりにも易々と、そしてあまりにも流麗にバッハを演奏してしまったことに対して異議を唱え「あんなものはバッハではない」と言って門前払いしてしまう人もいます。
そして、演奏のクオリティに関して門前払いされてしまったことで、録音のクオリティに関しても比較の対象にも数え上げられないと言う「不幸」を被ったようにも思えるのです。
言い切ってしまえば、私の感覚はシュタルケルよりもヨー・ヨーマの録音の方が好ましいというのです。ただし、それをもってヨー・ヨ・マの録音の方がシュタルケルの「Mercury」録音よりも優れているなどと言いたいわけではありません。そうではなくて、そう言う録音があれこれあるのだから、器楽曲ならシュタルケルのバッハ「無伴奏チェロ組曲」と言い切られても困ってしまうのよと言うことなのです。
自分もかつては、いろいろなところで「The Best」という表現の使ってきたので自戒の意味の方が大きいのですが、どうやらこの「The Best」という言葉には大きな落とし穴が伴うのでよくよく注意しないといけないようです。
それはどんな落とし穴かと言えば、「安住と怠惰」という落とし穴です。
こんなエピソードを聴いたことがあります。
その人にとって「The best」はメニューヒンだったそうで、どんなコンサートに行っても文句ばかり言っていたそうです。彼の頭の中には常にメニューヒンの演奏が鳴り響いていて、それを絶対の物差しとして目の前で鳴り響いている演奏に対して駄目出しをしていくのです。そして、コンサートが終われば、メニューヒンこそが「The Best」と安心して帰っていくというのです。
まさに、幸せなる「安住と怠惰」です。
ブラームス:チェロソナタ第2番 ヘ長調 作品99 (Vc)ヤーノシュ・シュタルケル (P)ジェルジ・シェベック 1964年6月録音
ウィルマ・コザートこそは史上最も優れた録音エンジニアの一人(^^;(One of the Best)でしたが、コスト意識というものが根本的に欠けていました。それが結果として業績の悪化に結びつき、最終的に「Mercury」は「Philips」に買収されてしまうことになります。
「Philips」はオランダの巨大企業フィリップスにより創設されたレコード・レーベルですから、その様なコスト意識の欠落した人間にとって居心地のいい場所であるはずもなく、彼女は買収から時をおかずして「Mercury」から去り、さらには録音業界からも姿を消すことになります。
そして、採算を無視した映画用の35ミリ磁気フィルムの使用などはすぐに取りやめになり、さらにはコストのかかる管弦楽曲の録音は縮小し、かわりに室内楽作品の録音がメインとなっていきます。
このシュタルケルの録音は、その様な縮小局面に入った「Mercury」の最後を飾る録音だったのです。
シュタルケルと「Mercury」は1963年にバッハの無伴奏チェロ組曲の2番と5番を録音し、その翌年にブラームスのチェロ・ソナタ、そして65年に無伴奏チェロ組曲の残りの4曲を録音しています。おそらく、「Mercury」にとって意味と価値のある録音はこれらを持って終わりを告げたのではないでしょうか。
そして、それらの録音を担当したのがコザートとロバート・ファイン夫妻のもとで腕を磨いてきたハロルド・ローレンス(Producer:Harold Lawrence)と、ロベルト・エベレンツ(Engineer:Robert Eberenz)でした。なお、63年の録音に関してはロバート・ファインがプロデューサーを務めたという記述もあります。
それにしても、最後の最後にハロルド・ローレンスとロベルト・エベレンツはいい仕事をしたものです。そして、その背景にはシュタルケルの協力があったこともよく知られています。
その「協力」とは、録音スタッフの言い分を素直に聞くというレベルではなくて、彼もまた演奏を終えるたびに積極的にプレイバックを聞いて意見を出して、その結果をすぐに次のテイクでの演奏に生かしたのです。つまりは、シュタルケルはプレーヤーであると同時に録音スタッフの一人でもあるかのような協力を惜しまなかったのです。
この録音の美質は、チェロとピアノの二重奏曲という作品の特徴が見事に実現していることです。
その背景には、共演者のシェベックがただの伴奏になっていないと言うことが何よりも大切であって、まさにピアノ独奏曲として聴いても不満を感じないレベルでピアノが鳴りきっています。
もちろん、チェロ・ソナタなのですから、シュタルケルのチェロに関しては万全です。これはバッハではなくてブラームスなのですから、歌う楽器としてのチェロの美質はこちらの方がより素直に表現できるのです。そこでは、チェロの流麗なチェロの響きだけでなく、苦みもあるブラームスの響きも含めた多彩な音色が見事にとらえられています。
一般的に、ピアノという楽器はともすれば相手の楽器を圧倒してしまうことがあります。しかし、その事を恐れて控えめになると、それは途端に二重奏曲ではなくてピアノ伴奏付きの音楽になってしまいます。
おそらく、この録音ではシュタルケルとシェベックの二人は熱心にプレイバックを聞き直し、録音スタッフともディスカッションを繰り返して完璧なバランスを実現していったものと思われます。
とは言え、これをもってピアノを伴った二重奏曲の「The Best」とは言いません(^^;。そう言う安易な物言いは避けましょう。
しかしながら、そう言う二重奏曲の録音の良否を判断するときの基準点となることは間違いない録音です。
やはり、ハロルド・ローレンスとロベルト・エベレンツは、コザートとファイン夫妻の遺志を継いで最後の最後にいい仕事をしたのです。