「TAS Super LP List」をパブリックドメインで検証する(27)~コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団 (ツィンバロン)トーニ・コーヴェス 1956年11月録音

クラシック音楽の優秀録音と言えば「Mercury」「RCA」「Decca」というのが御三家であり、このドラティによる「ハーリ・ヤーノシュ」の録音はそんな「Mercury」の特徴がよくでた録音だといえそうです。
ここでノミネートされているのは「Mercury SR-90132」と言う初期盤なのですが、これはこの初期盤に変わりうる優秀な復刻盤がリリースされていないためでしょう。

コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団 (ツィンバロン)トーニ・コーヴェス 1956年11月録音

Mercury SR-90132

録音は言うまでもなく、「Wilma Cozart」と「Robert Fine」というおなじみのコンビによるものです。
そして、このコンビによる録音の最大の美質は、大規模な楽器編成の中において、一つ一つの楽器の質感がしっかりととらえられているところです。

このコダーイによる「ハーリ・ヤーノシュ」組曲は意外なほどに大規模な楽器編成を要求しています。
いささか煩わしいのですが、書き出しておくと以下のようになります。

  1. 木管楽器:ピッコロ(3) フルート(3) オーボエ(2) クラリネット(2) E♭クラリネット(1) アルトサクソフォーン(1) バスーン(2)
  2. 金管楽器:ホルン(4) Cトランペット(3) B♭コルネット(3) トロンボーン(3) テューバ(1)
  3. 打楽器:ティンパニ スネアドラム バスドラム シンバル トライアングル タンブリン タムタム グロッケンシュピール シロフォン チューブラーベル
  4. その他:ピアノ チェレスタ ツィンバロム
  5. 弦5部

しかしながら、聞いてみるとそれほどたくさんの楽器が鳴り響いている印象がありません。何故ならば、これらの楽器が一斉に鳴り響くような場面は一カ所もないからです。
つまりは、マーラーのように巨大な編成による巨大な音響をコダーイは求めているのではなくて、楽章ごとに使用する楽器をガラリと変えることによって多彩な響きを追求したのです。ですから、弦楽5部でさえ、第2曲の「ウィーンの音楽時計」と第4曲の「戦争とナポレオンの敗北」では沈黙してしまうのです。

実は、お恥ずかしながら、その事は、この録音についてあれこれ調べていて初めて気づいたことでした。

「ウィーンの音楽時計」ではバスーンを除く木管楽器群とホルン・トランペットの金管楽器、そして多彩な打楽器(スネアドラム、シンバル、トライアングル、タムタム、グロッケンシュピール、チューブラーベル)とピアノ、チェレスタがで演奏されていました。
「戦争とナポレオンの敗北」では木管楽器はピッコロだけで、金管はアルトサクソフォーン、トランペット、トロンボーン、テューバが使われています。そして、打楽器もティンパニ、スネアドラム、バスドラム、シンバル、トライアングルだけで、ピアノやチェレスタも使われていませんから、「ウィーンの音楽時計」よりも楽器使用は抑制的です。
この曲は「冗談音楽」みたいなものですから、もっと多彩に楽器を使っているかと思えばその逆なので意外でした。

そして、ともに弦楽5部は最初から最後まで沈黙するのです。
おそらく、オーケストラ作品としては、全6曲の内2曲までもが弦楽5部が沈黙するというのは非常に珍しいと思われます。
しかし、その代わりと言っては何なのですが、そこで使われる楽器たちがユニークなソロを担当しては次の楽器へと受け継いでいくのです。

そう言えば、第3曲目の「歌」でも、ヴィオラのソロが印象的な旋律を歌うのですが、それをオーボエとホルンが受け継いで、そこにツィンバロムが絡みついていく処などは実に見事なものです。
また。第5曲の「間奏曲」でも中間部ではホルンや木管楽器がソロを引き継いでいきます。

Antal Doráti

それは、たとえてみればお芝居のように、次々と役者が登場しては下がっていくような風情なのです。
そして、コザートの録音が素晴らしいのは、そこに登場する役者の中に一人として「影の薄い」存在がいないのです。
それぞれの場に登場する楽器たちが受け持っているソロの響きはすべて存在感のある生々しさで捉えられているのです。そして、そうであるために、役者の姿が混濁した響きの中に埋没してしまうことのない様なクリアさが常に保持されているのです。
もちろん、それが実現するためには、指揮者であるドラティと、そのドラティに率いられたミネアポリス交響楽団のメンバーたちがその様な響きを実現しているからであることは言うまでもありません。

さらに言えば、コザートたちの録音に「低域がどこまで延びているか」とか、「ダイナミックレンジがどうだ」のと言うことは不要とは思うのですが、それでも最も多彩なオーケストレーションが施された第6曲の「皇帝と廷臣たちの入場」の迫力には素晴らしいものがありますし、最後の最後のとどめのように振り下ろされるバスドラムの一撃も見事なものです。
その辺りも、己の再生システムの立ち位置をはかる上では意味のある部分だといえるかもしれません。

しかし、それよりも重要なことは、次々と登場してくる楽器群の響きをいかに混濁させずに、そして生々しい実体感を持って再生させることが出来るかが問われる録音だというべきでしょう。
できれば、IMSLP辺りから楽譜をダウンロードして、それと見比べながら己のシステムの能力を見極めるのも楽しいのではないでしょうか。そうすれば、冒頭のくしゃみの総奏のあとにピアノが下降音型で引き継ぎ、そのピアノがティンパニーのトレモロの背後で非常に低い音でリズムを刻んでいるのが分かったりします。
つまりは、「あなたのシステムでどこまで聞き取れますか」みたいな場面があちこちにあるので、そう言う部分をチェックしてみるのは意外と面白いのではないかと思うのです。

Hary Janos Suite