はじめに
「Voyage MPD」の音の良さをずっと主張してきたのですが、この「音がいい」というのを言葉だけで伝えるのは本当に難しいです。
「今まで聞いたことがないような隔絶した世界と出会える」とか「オーディオ的に言えば2ランク上くらいの世界を簡単に垣間見せてくれる」などと多くの方がその素晴らしさを伝えてくれているのですが、それでももどかしさは残ります。
さて、私は、と言えば、
- 高解像度でありながら音がきつくなったり、固くなったりすることはない。音色は柔らかさを保ったまま、信じがたいほどの透明感の高い音が聞こえます。録音時にバックグラウンドで入り込んでしまったノイズなどもはっきりとさらけ出してくれます。
それがまた妙にリアルで、演奏者の息づかいまでがはっきりと感じ取ることができます。 - 音場の表現が今までの2次元空間から3次元区間へと「次元」のレベルがあがります。これは特に「HPET」をオンにするとさらに顕著となります。ただし、Jazz畑で音が前に飛び出てくることを目指している人にとってはもしかしたら「困った」事かもしれませんが、クラシック畑の人間にとってはエクセレント以外の何者でもありません。
- システムを構築するのはとんでもなく大変ですが、できてしまうとこれほど使い勝手のいいシステムは他ににありません。
再生と操作を別のPCに分けているので、クライアント側の操作や表示がどんなに重くなっても、音楽再生には一切影響がありません。
今までは、高音質の追求を理由に使い勝手を犠牲にしても「仕方がない」と諦めていたのですが、これからはそのような「言い訳」は通用しなくなると思います。
とまとめておきましたが、これもまたもどかしいですね。
これ以外に、音の立ち上がりと立ち下がりの素晴らしさや弱音時の表現の繊細さも付け加えておいてもいかもしれません。
特に、音の立ち上がりの良さは出色で、それが演奏者の気迫やガッツを鮮烈なまでに伝えてくれます。
しかし、そう言う付け加えをしても、やはりもどかしさは残ります。
そこで、そう言うもどかしさを少しでも解消するために、「Voyage MPD」を導入することで個々の録音の「聞こえ方」がどのように変わったのかを報告するという「方法」を思いつきました。もちろん、その報告にも書き手である私の主観が色濃くにじむわけですが、それでも、解像度がどうの音場の広がりがどうのと、一般的克つ抽象的な言葉を連ねるよりは多少は具体的なイメージが伝わるのではないかと考えます。
もちろん、そう言うやり方がどこまで成功するかは分かりませんが、それでも「Voyage MPD」の素晴らしさが伝わり、導入するにはいささか敷居が高いこのシステムに多くの方が興味を持っていただけたら嬉しい限りです。
モノラル録音の聞こえ方が素晴らしい
ブラームス:クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115
Cl:レオポルド・ウラッハ ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団 1952年録音→→<FLACファイル>
50年代の初頭にレオポルド・ウラッハがウエストミンスターで録音した一連の演奏は不滅の名盤とも言うべき高い価値を未だに失っていません。とりわけ、ブラームスとモーツァルトのクラリネット・クインテットとブラームスの三重奏曲やクラリネットソナタは極めつけの名盤です。
しかし、このウエストミンスターの録音はレーベルが身売りを続け、その果てにマスターテープが行方不明になると言う悲劇にも見舞われました。そして、その行方不明となったマスターテープを日本のスタッフがニューヨークのビクターの倉庫から発掘した話はあまりにも有名です。
さて、私の過去に書いた文章を探ってみると、この録音について
「伝統という根っこを放棄した無国籍の「楽譜に忠実な演奏」ばかり聞かされていると、「ウラッハなんてしょせんはピンぼけ演奏でしょう!」などという批判に「そういわれてみれば否定しきれませんが・・・」などと一定の納得もしながら、それでも何ともいえない居心地の良さを感じてしまうのです。」
などと書いています。
これは謹んで訂正しましょう。
「Voyage MPD」で聞けば、この録音は決してピンぼけではありません。ピンぼけだったのは「録音」ではなくて私の「再生システム」だったのです。
たとえば、変奏曲形式で書かれた第4楽章、その第1変奏で低弦楽器であるチェロが主題を歌い始めます。
このチェロの響きの何という素晴らしさ!!
低弦楽器独特の深々とした響きでブラームス好みの渋い主題が歌い継がれていく様は実に見事で、そのメロディラインはピンぼけどころか実にクリアです。
LPからCDへの移行期などは、こういう音楽的に美味しい部分を上手くすくい取れていない録音が結構あったのですが、これはそう言うお粗末録音と比べればはるかに魅力的です。また、ウラッハのクラリネットもほの暗くはあってもふくよかな響きを十分堪能することができます。キイが楽器本体にあたる「カチャカチャ」という音も妙にリアルです。
そして、何よりも特筆すべきは5つの楽器の響きがきれいに分離していることです。弦楽器の響きはピンぼけでもなければお団子状態にもなっていません。実に鮮烈な響きがしっかりと納められていることに心底驚かされます。
「Voyage MPD」が聞かせてくれるこのような音の鮮烈さとクリアな分離を聞けば、いかにこの時代のモノラル録音が優秀であったかを再認識するはずです。そして、もしもこの音をブラインドで聞かされて60年前の録音だと種明かしをされれば誰もが驚きを禁じ得ないはずです。
ですから、この録音を聞かれて何となくぼけた感じがして楽器の分離も悪いように思われるのならば、それは再生システムに問題有りと思った方がいいでしょう。このブラームスのクインテットが録音された52年というのはテープによる録音が本格的に実施された年で、この録音もその恩恵を受けて低域から高域までしっかりと取り込まれていますので、そう言う個々の楽器の響きに古くささは全く感じないレベルに達しています。
これが前年に録音されたモーツァルトのクラリネット5重奏曲では少し事情が違っていて、あれは明らかにSP盤時代特有のかまぼこ形の録音特性で高域と低域が十分には取り込めていません。そのため、楽器の分離は良好なのですが、帯域の狭さから音の古さは否めません。この一年の違いは決定的に大きいのですが、その違いを残酷なまでに「Voyage MPD」は描き出すのです。
モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団 ヨーゼフ・ヘルマン(コントラバス): 1954年録音
これもまた、今の時代となっては二度と聞くことのできない演奏スタイルで、その古さが逆に「新鮮さ」を感じさせてくれる録音です。
サイトの方を見るとこんな風に書いていますね。
「この四重奏団の演奏には芸術的に突き詰めたある種の緊張感ではなくて、どこか親密で寛いだ雰囲気がただよいます。
ある人が、この四重奏団のリーダーであるカンパーのことを「彼はムジカー(音楽家)だったが、同時にムジカント(楽士)でもあった」と評していました。もちろん、この「ムジカント」という言葉は否定的な意味合いで使われたのではなくて、演奏する方も聞く方も楽しい気分にさせてくれる芸人魂の持ち主であったことを肯定的に表現したものでした。」
しかし、「Voyage MPD」で聞くと、驚くほどにクリアで鮮烈な響きに驚かされます。Win+CMP2で聞いていたときは、演奏の面白さには満足していても音の古さは否めないと思っていたのですが、どうしてどうして、この音は切れば血が出るような生々しさにあふれています。
確かに、モノラル録音なので音場は広がりませんから最初はいささか窮屈な感は否めないのですが、個々の楽器の分離があまりにも鮮やかなので聞いているうちにだんだん気にならなくなってきます。
それから、ウェストミンスターの録音は、どれを聞いても低弦楽器の深々とした魅力的な響きを実に上手くすくい取っていることに感心させられます。
アイネ・クライネではチェロがそんなに長くメロディラインを受け持つ部分はありません。しかし、それでも所々に美しい響きで魅了してくれる部分があちこちにあるのですが、そう言うところは実に魅力的に響いています。
ただ、肝心のファーストヴァイオリンの方はやや響きが乾き気味というかかすれ気味で、Win+CMP2でややピンぼけ気味に聞こえていたときの方が美味しく聞こえていたような気がします。
このあたりは、難しいところかもしれませんが、今までは「ぼけ気味」ゆえに覆い隠されていた「カンパー」というヴァイオリニストの限界をさらけ出したと言えるのかもしれません。
全てを白日の下にさらけ出す「Voyage MPD」
さて、これから書こうとすることは、かなり怖い話であって、もしかしたらあちこちから石礫が飛んでくるやもしれません。
俎上に上げるのは
ベートーベン:交響曲第3番「エロイカ」
フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィル 1952年11月26,27日録音→→<FLACファイル>
隠れもなき名盤中の名盤、まさに不滅の名盤という言葉がぴったりの録音です。
この録音はステレオの時代に乗り遅れたEMIが「疑似ステ」などというふざけた技術でリリースして一時は評判が悪かったのですが、さすがにそう言うお馬鹿なことは昔の話になりました。数年前にイタリアのEMIが素晴らしいマスタリングでリリースして、このモノラル録音に潜んでいた素晴らしさを多くの人に知らしめてくれました。
まずは、冒頭から楽器の分離が素晴らしくいいのに驚かされます。録音は52年という事で疑いもなくテープを使った録音ですから、楽器の響きは上にも下にも十分に伸びています。決して「音の古さ」は感じません。
たとえば、第2楽章の冒頭で弦楽器の序奏に続いてオーボエが有名な葬送のメロディを吹くのですが、その生々しさはとても60年も前の録音だとは思えません。また、第3楽章のホルンの吹奏を「胸がすくようだ」と称した評論家がいましたが、「Voyage MPD」で聞くとその響きは情けないまでにぐちゃっとしたつぶれた響きとなっていることも分かります。どう聞いても胸がすくような颯爽とした風情とは思えませんが、それもまた「奥の院」にまつられていたご神体を日の光の下に引きずり出してきた功徳と言うことでしょうか。
さて、問題はそう言う些細なことではありません。
フルトヴェングラー演奏の最大の特徴は「いっちゃう」ことでしょう。オケも観客も、フルトヴェングラーの魔術によって此岸から彼岸へいっちゃう(逝っちゃう?)ところにこそ最大に魅力があります。
ところが、「Voyage MPD」によって白日の下に引きずり出されたこの演奏は、どうも「いっちゃっていない」のがあからさまに分かってしまうのです。
奥の院に奉られて薄い紗をとして聞いていたときは、確かに「いっちゃっている」ように聞こえました。しかし、その奥の院から引きずり出してきて「Voyage MPD」という白日の下で子細に点検してみると、指揮者もオケもありとあらゆる手練手管を駆使はしているのですが、結局最後まで「いっちゃってはいない」ことが明らかになってしまうのです。
こんな書き方をすると、下世話な誤解を招いてしまいそうなので、もう少し上品に言い換えると、この演奏では残念ながら最後まで「音楽の神様」は舞い降りていないのです。
そう言えば、このEMIによる一連のスタジオ録音を続けていても、フルトヴェングラーは最後までこの「録音」という行為に信用を置くことができなかったと言います。わたしはその言葉を聞いたときに、「だから、頭の古いおじさんは困るんだよな」などと恐れ多いことをほざいていたのですが、今「Voyage MPD」でこの録音を聞いてみてフルトヴェングラーという男の誠実さに頭が下がります。
逝ったふりをしている録音を聞かされていると、どんどんココロが寒くなってきます。そして、こんな録音に「駄目出し」をしていたフルトヴェングラーは決して頭の古い分からず屋のおじさんではなかったのです。
ならばと言うことで、そのフルトヴェングラーが生涯でただ一度だけ満足したという「トリスタンとイゾルデ」の録音を聞いてみました。
ワーグナー:トリスタンとイゾルデ
フルトヴェングラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団 (S)キルステン・フラグスタート (T)ルートヴィヒ・ズートハウス他 1952年6月10?21、23日録音→→<FLACファイル>
音質的には最上のモノラル録音の部類にはいるでしょう。冒頭の前奏曲からオケは雄大にうねりますが、まだ神は舞い降りません。始まったばかりですから当然と言えば当然です。
まず最初の聴き所は、言うまでもなく第1幕の第5場、トリスタンとイゾルデが毒薬と偽って愛の薬を飲みほすシーンです。
毒薬と信じてイゾルデがトリスタンから杯をひったくって一気に飲んでしまいます。そこからの音楽の何という素晴らしさ!!
今まで諍いを続けていた音楽が突然に静まって、チェロが静かにふるえるように下降音階を奏して、それに続いて前奏曲の冒頭が再現されます。そして、その頂点で二人は互いに「トリスタン」「イゾルデ」と呼び交わします。
うーん、おそらく古今東西のあらゆるオペラの中でもっともエロい場面でしょう。
そして、この場面はフルトヴェングラーの棒のもと、歌手もオケも全てが完全に逝ってしまっています、いや、元へ、神が舞い降りてきています。そして、その後は第2幕の愛の二重唱にしても第3幕のイゾルデによる「愛の死」にしても、全て逝っちゃっていることが手に取るように分かります。
フルトヴェングラーはこの録音を終えて、初めて録音という技術に確信が持てたと語ったそうです。
まず、この2つの録音を比べてみて気づくのは、ウィーンフィルのどうしようもない下手さ加減です。元々、フルトヴェングラーの指揮はわかりにくいことで有名ですが、それでもフィルハーモニア管はその棒にしっかり追随できています。それに対して、ウィーンフィルの方はアンサンブル的にはかなり落ちます。
しかし、それ以上に感じるのは、フィルハーモニア管というオケの特殊性です。この、スタジオ録音のために編成されたオケは、録音という衆人環視のもとでも恥ずかしげもなく「逝ってみせる」という芸を持っていたのです。ああ、こんな書き方をするとまた下世話な誤解を招きそうですが、まわりを多くの人で囲まれてカメラや照明で照らされた中でも、本当に泣いたり笑ったりできる「特殊な才能」をもった「俳優」という人種が存在するのと同じ事です。
フルトヴェングラーが録音という行為に可能性を感じることができたのは、まさにそのような特殊な性能を持ったオケがあらわれてきたことを実感することができたからでしょう。
評論家の中には、このトリスタンの録音がフィルハーモニア管を使ったことを残念がり、これがウィーンフィルだったらどんなに素晴らしかっただろうと嘆く人がいます。
この主張には2つの間違いが含まれています。
一つはウィーンフィルに対する根拠のない過大な評価、二つめは録音という行為に適応し切れていないウィーンフィルの限界を見極められていないことです。
とりあえずのまとめ
と言うことで、ここらあたりで簡単なまとめをしておきましょう。
まず、録音にテープ録音が本格的に採用された52年以降の録音ならば、モノラル録音といえども、今までは想像もできなかったような鮮明さで「Voyage MPD」は再生してみせます。
そして、その録音がすぐれたものならば、その美質を極限まで引き出してくれます。しかし、逆にその録音にいささかの問題点や弱点があると、その弱い部分をあからさまに引き出してしまいます。
どこかのコマーシャルをもじるならば、美しい人はより美しく、それなりの人はそれなりに、そしてそうでない人は容赦ないほどに欠点を暴き立てる、それが「Voyage MPD」と言うシステムです。
まさに「検聴機」です。
次回は、50年代中葉から本格的に始まった初期のステレオ録音が「Voyage MPD」がどのように聞かせてくれるのかを報告したいと思います。
ユングさん
Mozart&Brahmsのクラリネット五重奏曲の音源はありがたく頂戴いたしました。
心から感謝いたします。
心温まるようないい演奏ですね、、(^○^)、
こういう名演に感動したいがためにオーディオをやってるような、、、
特に管楽器の中で人間の声に近い音域帯のクラリネットは深い何かをやさしく語り掛けるような、、聴いていて静かに流れるよう幸せを感じます。
では、、
ユング様
ウィーン・フィルのくだりとフィルハーモニア管のくだりで、溜飲を下げさせていただきました。
それにしてもVoyage MPD恐るべしです。
PS
PCにてメインで聴いていますが、先日のフェルトベングラーのEMIボックス。
こりゃ、驚きました。凄い音入っています。
SACD用のリミックスを流用とのことですので、凄いのでしょうけれど、
昔のフェルトベングラーのCDと比べると月とすっぽんです。
いやはや、面白い時代になってきました。
yung様
いつも興味深く拝見しております。
こちらや「みみず工房」さんを参考にして、私もVoyage MPDを
導入し、何とか音を出すところまでたどり着けました。
CMP2の音もかなりよかったのですが、Voyage MPDの音質はそれを
更に上回ることが、私にもすぐにわかりました。
音を出すまでかなり悪戦苦闘しましたが、その苦労に十分報いてくれる
音質に、大変満足しています。
このHPのおかげで、音楽を聞くことが今まで以上に楽しくなりました。
これからも貴重な情報を期待しています。
>CMP2の音もかなりよかったのですが、Voyage MPDの音質はそれを
更に上回ることが、私にもすぐにわかりました。
音を出すまでかなり悪戦苦闘しましたが、その苦労に十分報いてくれる
音質に、大変満足しています。
悪戦苦闘しないと「音」すらでないというのが「Voyage MPD」の最大の難点でしょうね。
でも、こうやって情報が広まっていく中で、次第にその隔絶した「再生音」が認知されてくれば、メーカーサイドもこれを取り込んだシステムをリリースしてくるようになるかもしれませんね。もしかしたら、その時こそがハイエンドオーディオ終焉の時かもしれませんね。