どうしても引っかかる
どうしてもひっかかるので、一度自分なりの考えをまとめたいと思います。
それは、PCオーディオ実験室に寄せられた次のコメントです。(少し古いですが・・・)
「何百万もするシステムを組んでいますとさらりと言ってしまったり、難解な電気の知識を振り回してみたり。とても、純粋に音楽を良い音で聴きたいという普通の音楽ファン(クラッシクだろうとAKBだろうと)にはとっつきにくい世界を自分たちで構築し、その中ではしゃいでるとしか思えません。」
分からないではないのですが、どうにも引っかかります。ただ、誤解のないように最初に申し上げておきますが、この「引っかかる」というのは、上記のコメントが気に入らないという意味で「引っかかって」いるわけではありません。
それは、果たして「純粋に音楽を楽しむ」ために「オーディオに入れあげる」ことは「悪」なのか?という疑問です。
音楽ファンの中には
「私は音楽を聴くのであって音を聞くのではない。だから、オーディオ装置に投資するお金があるならば、そのお金でコンサートに通ったりCDを買ったりする方がましだ」
という意見は昔からよく聞きました。
確かに、数百万円もするようなオーディオのシステムを構築して「演歌」しか聞かないというおっさんを私は知っています。そして、その事に対して『私は決して「演歌」が悪いとは言いませんが・・・』等という当たり障りのないコメントをする気はありません。
オーディオにそんなお金を投資するくらいなら、その十分の一でもいいから、いろいろな音楽を聴くくらいの努力はしろよ!と思ってしまいます。
さらに悲劇的なのは、そのシステムで再生されるCDの大部分がラジカセ程度で聞かれることを想定したものばかりなのです。ですから、それはそれは「酷い」音で鳴っているのです・・・ホントに。
ただし、当のご本人はそれで大満足ですし、そのシステムで「カラオケ大会」なんぞをやるのですから、まさに何をか言わんやです。
ある方が、こういうタイプのオーディオマニアのことを「地方豪族的オーディオマニア」と名付けていました。
まさに言い得て妙です。
正直言って、私もこういうタイプのオーディオマニアは願い下げです。
貧乏人のひがみだと思うのですが、ホントにお金がもったいない!!
ちなみに、誤解のないように申し添えておきますが「何百万もするシステムを組んでいます」と言われた方は、ほとんどを個人輸入で購入されている由で、よって購入価格はその数分の一だそうです。こういう手間を惜しまずにオーディオ装置をくみ上げておられるような方は「地方豪族的オーディオマニア」とは一線を画していることは言うまでもありません。
しかし、これの正反対のところにもうひとつ別のタイプのオーディオマニアが存在します。
私は、これを「マッド・エンジニア的オーディオマニア」と名づけたいと思います。
最初に紹介したコメントは、「純粋な音楽ファン」を自称される方々に忌み嫌われるタイプのオーディオマニアの姿を見事なまでに描き出しています。
『何百万もするシステムを組んでいますとさらりと言ってしまう』のが「地方豪族的オーディオマニア」だとすれば、後段の『難解な電気の知識を振り回す』タイプが「マッド・エンジニア的オーディオマニア」です。
そして、私はたいした実力はありませんが、どちらかと言えばこの「マッド・エンジニア的オーディオマニア」に分類される人間かなと思っています。
この両者はオーディオの世界ではものの見事に棲み分けています。
「地方豪族的オーディオマニア」が集うのが「ステレオサウンド」だとすれば、後者の「マッド・エンジニア的オーディオマニア」が参集するのが「ラジオ技術」です。
この二つの雑誌を並べてみれば、この両者の気質がどれほど異なっているのかは一目瞭然です。(いささか単純に図式化しすぎている嫌いはありますが、本質は外していないと思います。)
ですから、「地方豪族的オーディオマニア」に支えられているハイエンドオーディオの世界には、貧乏人のひがみも含めて(^^;、否定的な感情を持っていますが、返す刀で「マッド・エンジニア的オーディオマニア」の世界まで否定されると、「それはちょっと待ってくれ!」と思ってしまいます。
その思いが、最初に述べた「引っかかる」部分なのです。
来し方を振り返ってみれば
私がはじめてオーディオと呼べるような機械を手に入れたのは働き始めてからでした。
一番最初のボーナスでソニーのシステムコンポを買い込んだのがそれです。
親元から通う気楽な独身生活だったこともあり、給料はすべてレコードとオーディオ装置につぎ込んでいました。おかげで結婚前には貯金がほとんどなくて焦りましたが、それはまあ(^^;・・・別の話です。
ソニーのシステムコンポはすぐに近くの親戚の子にくれてやり、わずか2年ほどでダイアトーンのスピーカーにラックスのアンプという定番システムに変更しました。しかし、それもまた飽き足らなくなり、アンプはアキュフェーズのセパレートアンプに変わり、やがてスピーカーもソナスファベールへとヴァージョンアップしていきました。
もしも、ここで結婚していなければ、私もまた「地方豪族的オーディオマニア」の道へと踏み込んでいたかもしれません。
結婚したおかげで、「まだ音がちゃんと鳴っているのに買い換える理由が分からない( ゚o゚)/(*_*)」というきわめて健全な判断をしてくれる人が側にいてくれるようになって、そう言う「危ない道」にはまりこまずにすみました。
その頃の私は「ステレオサウンド」を毎号購入していましたから、実に危ないところでした。(●ゝ、<*?
その時のシステムは、
エレクタ・アマトール(スピーカー:ソナスファベール)+P-300V・C-200V(アンプ:アキュフェーズ)+DCD-3500RG(CDプレーヤー:デンオン)+TD520(アナログプレーヤー:トーレンス)
でした。
このうち、CDプレーヤーはPCに地位を譲る昨年まで、パワーアンプは数ヶ月前に壊れるまで使い続けていました。スピーカーとプリアンプ、アナログプレーヤーは今も現役で頑張ってくれています。つまりは、結婚を機にして「買い換えによるグレードアップ」という「地方豪族的オーディオマニア」の道からは完全に抜け出したわけです。
上記のシステムは国内価格で言えば200万円程度になりますが、それを四半世紀にわたって使い続けたのですから、単年度経費ならばわずか8万円程度です。
ですから、一見すれば「地方豪族的オーディオマニア」の下っ端あたりにはきそうなシステムなのですが、決してそのようなマニアの道には踏み込んでいないと私は思っています。
では、同じ機器をほぼ四半世紀にわたって使い続けてきたのだから、この四半世紀の間、私はオーディオなどに入れあげることなく純粋に音楽だけを楽しんでいたのかと言われれば、これまた断じて「ノー!」です。
上記のシステムが組み上がったときは、とりわけスピーカーの音色が一変したおかげで大満足でした。
話が少し脇道にそれますが、国産のダイアトーンのスピーカー(DS-1000)は一本10万円もしたのに最後まで好きになることができませんでした。一本10万円もするスピーカーを買って最後まで好きになれないというのは悲劇以外の何物でもありません。
ただ、ダイアイトーンの名誉のために言い添えておきますが、あのスピーカーは十全に鳴らし込むためにはかなりの投資とスキルが必要だったことに最近になって気づきました。
オーディオに関しては駆け出しの小僧にしか過ぎなかった当時の私にとって、とてもじゃないが鳴らし切れるようなスピーカーではなかったのです。そして、技術優先でそんな気むずかしいスピーカーを作り続けてしまった戦略上の誤りがブランドの消滅につながったのだと思います。
閑話休題。
そんなわけで、スピーカーがダイアトーンからソナスに変わってからは、どのレコードやCDを聴いても大満足で、今まで何度も聞いていたレコードやCDを次々と聴き直していました。
しかし、これが性なのでしょうか、半年もすると「もっといい音で聞けるのではないだろうか?」という「欲」が頭をもたげてきます。こういうものが頭をもたげてくるともう駄目です。
今までは心安らかに聞いていたレコードやCDも心安らかでなくなり、「あそこを弄ればもっとよくなるのではないか」とか「こっちを弄ればどうなのだろう」という思いが音楽を聴いている最中にも頭を駆けめぐるのです。
ただし、「地方豪族的オーディオマニア」の道とはきっぱりと縁を切ったのですから、「買い換えによるグレードアップ」という道は閉ざしています。ですから、できることはセッティングの見直しであったり、ケーブルやインシュレーターの「自作」を伴う変更だったりしたわけです。
オーディオの楽しいのは、お金をつぎ込んで高価な機器を買い込んできても、それをポンと置いただけでは真価を発揮しないということです。
それは、イギリスの芝生のジョークに似た世界です。
米金持ち「これは実にすばらしい芝生ですな。うちもこれくらい立派な芝生に育てられるといいんだが、秘訣はあるんですかね?」
イギリス人「実に簡単なものですよ。まず、毎日、朝、たっぷりと水をやります」
米金持ち「ふむふむ」
イギリス人「それから、重いローラーでしっかりと押してやります」
米金持ち「ふむふむ!」
イギリス人「それを、300年も続ければこのような芝生になりますよ」
米金持ち「……(u_`u。)」
つまりは、オーディオの世界もまたお金だけではどうしようもない部分が決定的に重要であり、毎朝水をあげたり雑草を抜いたりするような地道な努力を積み重ねていかないと、決してそのポテンシャルの全てを発揮してくれないのです。
ですから、そう言う「欲」や「不満」が頭をもたげてくるとシステムを弄り出すのです。そして、そう言うドタバタの数ヶ月が過ぎると、「これは素晴らしい!!」と思えるような着地点が再び見つかって(見つかったような気がして?)、再び心安らかに音楽が楽しめる日々が戻ってくるのです。
ところが、これもまた数ヶ月から半年もすると、またまた「高域の伸びがもう少し何とかならんものか?」等という思いが頭をもたげてきて、またまたドタバタが始まるのです。
この行きつ戻りつのドタバタの繰り返しこそが、「300年も続ければこのような芝生になりますよ」の実態なのです。
オーディオに何を求めるのか?
ここから少し真面目な話をします。
私は、音楽再生というものはその録音にたずさわった演奏家への敬意を込めて行うべきものだと考えています。ですから、BGMと言う言葉は好きにはなれません。
はっきり言って大嫌いです。
音楽を聴くときは、その音楽にちゃんと向き合って、でき得れば演奏家がその音楽に込めたであろう思いや気迫のようなものまでを再現して、それを聴き取りたいと考えてきました。
もちろん、このようなスタンスを他人に押しつけるつもりは毛頭ありません。
しかし、私にとって音楽を聴くという行為は、そのようなものであり続けました。求める先は、眼前において演奏家が実際に演奏しているかのごとき世界なのです。
もちろん、そんなことが不可能なことは分かっています。しかし、その不可能な「見果てぬ夢」に向かって突き進んでいくのがオーディオの世界なのだと考えていました。
しかし、セッティングやアクセサリ類を「あれこれ」しても、できることは限られています。行き着くところまで行くと、最後は「やっぱり、もう・・・、グレードアップしかないか・・・」という悪魔のささやきが頭の中を駆けめぐります。しかし、一度そんな「ささやき」に耳を傾けてしまえば、後は泥沼の世界が待ち受けるだけです。
個人的には「地方豪族的オーディオマニア」の道とは縁を切ったわけですから、それは堅持しなければいけません。買い換えるのは「壊れたとき」だけです。
そんな時に、私の目の前に現れたのが「PCオーディオ」でした。
その「提案」は、そう言うモヤモヤの中にいた私にとっては衝撃的なものでした。もちろん、「音」の方も大いなる可能性を感じましたが、それ以上に魅力的だったのは、エンドユーザーが音作りに積極的に関われるようになったことでした。
オーディオの世界はデジタルになってからつまらなくなったという声はよく聞かれました。それは、オーディオ全体がブラックボックス化して、エンドユーザーが音作りに関われる部分がほとんどなくなったことが原因でした。ですから、今の「音」が気に入らなくなれば結局は買い換えという名の「アップグレード」が求められ、その行き着く先は「地方豪族的オーディオマニア」だったわけです。
どうやら、オーディオのデジタル化とハイエンド化は軌を一にしていたようです。
しかし、PCオーディオの登場は、そう言うブラックボックス化したオーディオの世界に「音作り」という趣味性を復活させました。
ブラックボックス化していくオーディオの世界において、この趣味性は「ラジオ技術」という雑誌に集結する「自作派」だけが孤塁を守ってきていましたが、PCオーディオという提案によってもう一つの橋頭堡を築いたのです。
そして、この二つの陣営は、必然的に「マッド・エンジニア的オーディオマニア」にならざるを得ませんでした。オーディオの「見果てぬ夢」に向かって突き進んでいくわけですから、それは「マッド」と思われるほどのめり込んでいくのは当然のことでした。それが「趣味」というものです。
ですから、それが端から見ると、「難解な電気の知識を振り回して」いるようにみえても、その内実はそのような知識をひけらかすのが目的なのではなくて、あくまでも目標は「見果てぬ夢」なのです。
私が最初に「引っかかる」と行ったのは、どうしてこういう「男のロマン」(^^;が、多くの人に理解されないのだろうというため息に由来するものだったのです。
しかしながら、このPCオーディオの登場によって、私の「行きつ戻りつ」の周期性がますます小さくなってきたようで困っています。
私がはじめてオーディオシステムとPCをつないだのは2006年ですが。本格的に取り組み始めたのは2008年です。わずか3年前ですが、今から振り返るとこの3年前の出来事は太古の出来事、まさに「化石」です。
その変化の早さと提案の多様性は「ドッグイヤー」という言葉でさえ十分ではないほどのめまぐるしさでした。ですから、最初は「誰でも取り組める」範囲のちょっとした「使いこなし」の延長みたいなレベルだったものが、あっという間にviを使ってコマンドを駆使したり、難解な電気の知識が必要になってしまったりしたわけです。
しかし、それは決してそのような「スキル」をひけらかしたいからそう言う世界に踏み込んだのではなくて、あくまでもオーディオにおける「見果てぬ夢」に踏み込んで行かんがためのチャレンジだったのです。
私だって、できることならそんな頭が痛くなるような世界と手を切って音楽を楽しめるならばそれに越したことはないと思っています。しかし、毎日「水やって、重いローラーでしっかりと押してやる」という「行きつ戻りつ」をしている間に、そう言うマッドな世界に踏み込まざるを得なかったのです。
と言うことは、この両者の間に横たわる溝は、結局は「純粋に音楽を楽しむ」とはどういう事なのかと言うことに行き当たるのでしょうか。
もしも、その事が「演奏家がその音楽に込めたであろう思いや気迫のようなものまでを再現して、それを聴き取ることだ」と思えばおそらく行き着く先はマッドな世界です。そして、本当にマッドな世界は、お金に糸目をつけず、己の人生全てをつぎ込んで音楽再生に命をかけている人々でしょう。
彼らは一見すると「地方豪族的オーディオマニア」のように見えるのですが、その内側にはあついロマンが燃えたぎっていますし、下手な「マッド・エンジニア的オーディオマニア」等は跳ね飛ばしてしまうくらいに「マッド」です。大阪では、こういう人のことを最大の尊敬を込めて「アホ」と言います。
しかし、「純粋に音楽を楽しむ」と言うことが、まるで環境の一部のように音楽を流し、インテリアのように扱うものだと考えるならば、こういう行為は理解しがたい世界であり、「とっつきにくい世界を自分たちで構築し、その中ではしゃいでるとしか思えません。」とならざるを得ないのでしょう。
または、音楽というのは生の演奏こそが絶対的なものであり、オーディオによる音楽再生などはその「代替物」でしかないと思えば、これもまた事情は同じ事になるでしょう。
おそらくは、オーディオに「演奏家がその音楽に込めたであろう思いや気迫のようなものまでを再現して、それを聴き取ることだ」等という「重たいもの」を期待する時代は滅びようとしているのでしょう。
その事は、痛いほどに承知はしています。
しかし、それ故に、私は死ぬまでマッドな世界を突き進んでいきたいと思っています。
ユングさん
心のなかのモヤモヤを代弁いただいたようで、実にスカッとしました。
今日も今日とてマッドな世界の泥沼に嵌り込んでいます。
192kHz対応のUSBアイソレータを設計しようかなと思っているところでした。
こんにちは。
今回はめずらしく「哲学的な」話題ですね。ユングさんの申されていることは、趣味の世界への係わり方や、オーディオの本質部分と思います。経済原則に則れば、お金(即ち投資金額)と求める音とのバランスでしょうし、オーディオの世界が面白いのは払ったお金と音の「質」が必ずしも一致しないことでしょうね。
ただ、オーディオ機器という装置が無ければ、パッケージメディアも楽曲ファイルも聴く事ができませんし、より良い音で聴きたい、と思うことは音楽が好きで、オーディオ機器に触れることを趣味としていれば、これもまた当然のことです。求めるゴールと道筋は人それぞれのアプローチであって構わないと思いますし、自分の耳を磨くにはそれなりの投資と経験もまた不可欠です。(自分自身を振り返れば、明確なゴールを持っているのか、あるいは目標に向かってちゃんと進めているのか、あまり確かではありませんが)
自分がどの分野に興味があるのか、深く突っ込んでみたいのか、によって求める知識の量や深さが変わりますので、世の中の多くの情報(有難いものも多いです)は自分で取捨選択すれば良いことだと思います。成金的でもマッドでもいずれが正しいとか、良いとか言えるものではなく、多分比較することでもないのかもしれません。ただし、所有するシステム・機器から出てくる「音楽」は正に多様であり、かつ正直です。その音楽や音が、そのシステムのオーナーの持つ、経験や知識などを含めて、努力や試行錯誤し続けてきた結果を反映していると思います。より深く、を求めれば、より良い音楽を聴かせてくれるようになります。それがオーディオという趣味の醍醐味なのでしょうね。
>192kHz対応のUSBアイソレータを設計しようかなと思っているところでした。
いいですね、やるならとことん納得するまで突き進んでいきたいと思っています。そして、いつか私も「アホやなぁ!」と言ってもらえたらこの上もない喜びです。
ところで、「192kHz対応のUSBアイソレータ」って、中村製作所の「NS-DDNI」みたいなものなのでしょうか?
あの「NS-DDNI」ってどんなもんだろう?と最近少しばかり気になっています。
音楽愛好家には、aオーディオに興味がない人と、bオーディオに趣味がある人がいる。オーディオが趣味の人は、b音楽愛好家がほとんどで、ごく稀にc音楽に興味はないがオーディオには興味がある人がいる。
でも、aの人にとっては、cはいうまでもなくbのタイプも音楽を冒涜しているように映るというのが、なぜか一般的な傾向のようですね。
おそらく個人的な体験の違いによるものでしょう。ジャンルにもよりますが、とくにクラシック音楽の場合は、ある程度のレベル以上の再生装置を使わないと(もちろん価格という意味ではありません)、音楽そのものを正しく理解することが困難であると感じます。そして、それがクラシック音楽が一般に馴染みの薄い一因となっているような気もします。
個人的には、どんどん「難解な電気の知識を振り回して」もらいたいと思っていますが。
ユングさんへ
どちらかと言うと「マッド・シニアエンジニア的マニア」の私ですが(笑)
>「地方豪族的オーディオマニア」が集うのが「ステレオサウンド」だとすれば、後者の「マッド・エンジニア的オーディオマニア」が参集するのが「ラジオ技術」
なる表現には、座布団3枚くらい差し上げたくなります。
人生色々、楽しみ方も色々。
マニアックがなぜ悪なのでしょうか?
そもそも最近の若者や一般的な女性にとっては、このサイトを見にきている人がやっている趣味としての「オーディオ」そのものがマニアックで、得体の知れない、理解できない分野になっています。
ユングさんのサイトは「PCオーディオ実験室」なのですから、「難解な電気の知識を振り回して」いいんです!
鼻持ちならないなら、コメントしないでスルーすればいい。
ただ、以前このコメントをされた方は、かつてのオーディオ全盛期の頃からの凋落ぶりを憂いていらっしゃるのでしょう。
それは、インターネットが普及し、携帯電話やスマートフォンを持っていない人は原始人か??と言われるような現在において、「ステレオ装置の前でじっくり音楽を聴くというスタイル」を選択する人が激減してしまったからであって、オーディオマニアのせいではないと思います。
自費で独自ドメインにて運営されている「PCオーディオ実験室」なのですから、いわゆる「どや!顔」で続けて下さい。
公序良俗に反したり、他人を誹謗中傷することはいけませんが、個人の意見を交換できる便利な社交場がこのようなサイトなのですから。
ユングさん
>、「192kHz対応のUSBアイソレータ」って、中村製作所の「NS-DDNI」みたいなものなのでしょうか?
NS-DDN1はS/PDIFのアイソレートですね。
これは既にエレアトさんのUDA基板に実装されているパルストランスで行われています。
USBアイソレータは「お気楽オーディオキット資料館」で配布されているISO4160-A等です。
効果は非常に大きく、定位と解像度が向上した音が得られました。
しかし、上記含め単品で市販されているのは最大12Mbpsという制限があるため、USB High Speedには対応できずAudio Class2.0のUSB DACやDDCが使えない状態です。
と言うことでこれを何とかしたいという思いです。
Northstar Design Essensio等はカタログを見ると、既に192kHzに対応したアイソレート機能を取り込んでいるように思えます。
beniigoodmanさんへ
>以前このコメントをされた方は、かつてのオーディオ全盛期の頃からの凋落ぶりを憂いていらっしゃるのでしょう。
はい、私もそうだと思いました。だから、決していやな感じはしませんでしたので、「引っかかる」と表現したわけです。
ホントに、昨今のオーディオの凋落ぶりには涙が出ます。
かつてはオーディオの町だった大阪の日本橋は、いまやアニメとフィギアの町になってしまっています。
そのあまりの変わりように、最近は涙も出なくなっています。
Phoeniciaさんへ
>USBアイソレータは「お気楽オーディオキット資料館」で配布されているISO4160-A等です。
効果は非常に大きく、定位と解像度が向上した音が得られました。
なるほど、それは面白そうですね。
私は基本的にハイレゾ音源にはあまり興味がなくて、50~60年代の古い録音を16ビット、44.1KHzで聞いている人間なので、もしかしたら十分実用になるかもしれません。
ユングさん
いつも参考にさせてもらっています。私もオーディオ歴は40年以上過ぎてしまいましたが、貴君と同じように「地方豪族的オーディオマニア」になることもなく「マッド・エンジニア的オーディオマニア」の少し手前にいます。 「PCオーディオfan」に満足できません。大いに専門的な知識を提供してください。 Linuxにも大いに興味のあるところですが MPD は実現できていません。
のめり込まずに音楽を楽しんだ方がいいかな??とも思いますが・・・難しいところです。でも、このサイトは本当に勉強になります。 FLACのデータベースと共に、ありがたいです。
>のめり込まずに音楽を楽しんだ方がいいかな??とも思いますが・・・難しいところです。
私も何度そう思ったことか・・・(^^;
一度は思い定めて、音楽を聴くだけに専念しようと決めたことも何度もあるのですが、どうしても「この手」が言うことを聞かずにここまできてしまいました。
しかし、この煩悩がなければ、ここまでこなかったことは事実ですし、ここまでくることで聞き取れるようになった「音楽の真実」(なんて書けばいかにも大袈裟ですが)もあることも事実です。
とにかくは、気力と体力が続く限りはこの道を行きつ戻りつするのでしょう。
sy初心者で何度何度も同じ所を読み直し、オーディオを科学的に突き詰めておられるのを心楽しく読ませていただいています。