実験の提起~メモリ再生の効果(2)

少しずつ失ったデータの分は回復していきたいと思います。一つずつ手作業での追加になりますので、無理のない範囲でぼちぼちと追加していきます。

実験の提起~メモリ再生の効果(2)

口封じのための思いつきでした

メモリ再生を思いついた経緯などをもう少し付け加えておきます。
きっかけは、ゴンザエモンさんからのコメントにもあったように、今後のPCオーディオの課題として「NAS」まわりの問題が取り上げられるようになってきた事です。
そして、これと関わって、私自身の問題として、「次のNAS」を考えてないといけないようになったことが最大の原因でした。

現在使っているNASは「Synology DiskStation DS212j と言う、どうと言うこともない普通の機器です。特徴は、とにかく「壊れにくい」と言う一点に尽きます。そして、このNASに2TbのHDDを2台積み込んでRAID1構成でミラーリングをしています。
経験上は、同じ環境で同じHDDを稼働させると、同じような時期に同時に壊れることが多いので、RAID1のミラーリングというのはそれほど安全性は高くないのですが、まあ気休めにはなります。
synology
さて、問題は、この2Tbの容量がぼちぼちいっぱいになってきているのです。
2TbのHDDをミラーリングすれば現実に使える容量は1.8Tb程度です。一枚のCDの容量は700Mb程度ですから、概ね2500枚程度のデータは収納できるのですが、残りは500枚程度になってきたのです。

ここで、昨今の事情を鑑みれば、次の「NAS」として「オーディオ用途のNAS」というのが視野に入ってきます。当然の事ながら、この「オーディオ用途のNAS」なるものの有効性については技術的に検討をする必要はありますし、それ以外にも「NAS」本体ではなくて、電源やノイズ対策などの「NAS」まわりでやっておくべき事がたくさんあります。

しかし、そう言うことに踏み込む前に、片付けておかなければいけないことが一つある事をはよく分かっていました。
基本的には有り難いことだとは思っているのですが、こういうサイトをやっていると実にいろいろなご意見をいただくことが出来ます。その中で、昔から今に至るまで、「データがバイナリ的に一致するのに音が変わるというのはおかしい」という意見は絶えることがありません。
私はこれを「デジタル不変の神話」と名づけて、「PCオーディオの都市伝説」として集中的に取り上げた時期がありました。
それでも、例えば「可逆圧縮ファイルに関するとりあえずのまとめ」などと言うページに対して、「そんなの変わるはずねえだろ!脳みそにウジわいてるのか!」みたいなお叱りを今になってもいただいたりするのです。

自分の手を動かして実際にPCオーディオに取り組んでいる方ならば、扱うデータがデジタルであっても「何かを変えれば音は変わると」言うことを頻繁に経験します。ですから、理論的には不可解と言わざるを得ない「データがバイナリ的に一致するのに音が変わる」という現象も現実問題として受け入れざるを得なくなってきました。
しかし、そう言うことを実際に体験するのではなく、それなりの知識のある方が外野からこの光景を眺めてみれば「こいつら馬鹿じゃないの!?」となるようなのです。この背景には、このオーディオにおけるデジタルデータの不可解な振る舞いを説明しきれる理論が未だに確率されていないと言う現実があります。

ですから、そう言う人たちに分かってもらうためには、理屈ではなくて現実に体験をしてもらうしか手はないのです。
そこで、「いかにデジタルであっても『何かを変えれば音が変わる』という経験」を提供する必要があると考えたのです。「NAS」のオーディオ的性能や、その周辺の対策を考えているときに、またぞろ「デジタル不変神話」を持ち出しての口汚いコメントを見るのはウンザリなので、その口封じをしておきたかったのです。

そこで思いついたのが、ファイルの置き場所で「音が変わる」という実験でした。
これは、PCオーディオに取り組んでいる方にとっては「常識」に属する問題なのですが、「デジタル不変神話」に固執される方々にとっては「馬鹿の極み」とも言うべき命題です。そして、「馬鹿の極み」とも言うべき事を試してもらうためには、一切の投資を必要とせずに「試す」事の出来る実験が必要になります。
なかなか条件厳しいな・・・と思案をしていて閃いたのが「メモリ再生」だったのです。

調べてみると、「lightmpd」の作者は「Read Only」システムと書いているものの幾つかのディレクトリには書き込める事が分かりました。試してみれば、そのディレクトリにファイルがコピーできることも確認できましたし、その書き込んだディレクトリを「music_directory」に指定すれば問題なく再生できることも分かりました。

「lightmpd」は現時点でのPCオーディオの先頭ランナーですから、その環境がないというのならば、その時点で退場してもらえます。
そして、「lightmpd」の環境があれば1円もかけずに試すこと出来ます。

再生するファイルを「NAS」の上に置いておくのと、メモリの上に置いておく場合で音が変わりますか?と投げかけておけば、そこを一つの関門として「デジタル不変神話」に基づいたコメントを門前払いに出来ます。「脳みそにウジわいてる」という前に、一度これをお確かめください・・・、その後の論議はこの実験結果を自分なりにふまえた上でご参加ください、と言えるのです。

どんな意見でもやはり力になる

もちろん、「NAS」の上に置いたファイルと、それを直接メモリ上に置いたファイルでは、再生される音には多少の違いは出るだろう事は予想していました。それは、既にPCオーディオ初期のWindowsPCを使っていた時代から既に指摘されていたことです。
その「可否」についてはいろいろ意見はありましたが、HDDの上に置いたファイルとメモリ上に置いたファイルとでは「音」が変わることは「事実」として認定されていました。

ところが、PCオーディオのトレンドがLinuxに移行してからは再生ファイルをメモリ上に置くと言うことは視野の外に出てしまっていました。しかし、「lightmpd」のように、全てがメモリ上で完結するシステムならば、その設定を少し弄るだけでファイルをメモリ上に置いて再生できることが分かったので、実験としては「絶好」だと思えたのです。

ところが、この実験をやってみて、「絶句」してしまったのです。
それはもう「変わる」どころの話ではなくて、まさに「激変」してしまったのです。このような「激変」は、同じメモリ再生であってもWindowPCの時代にはあり得ない変化でした。

正直言って、この時点で「デジタル不変神話」の口封じどころの話ではなくなりました。大げさな言い方かもしれませんが、もしかしたら大変な金鉱を掘り当てたかもしれない!と思ったのです。
しかし、あまり先走ってはいけません。ここは一つ冷静になって、予定通り「一つの実験」として提起して、多くの方に意見を聞こうということで、前回のような内容になったのです。

ただ、週目つには自分なりの考えをオープンにしますとコメントを返した時点で、新しい書き込みが途絶えてしまいました。(^^;
やはり、あんな事を書くと、皆さんも様子見となったのでしょうか。

ただ、いただいたコメントはお二人ですが、その内容は私が感じたものとほぼ同じでした。
とりわけ、たかしさんの「なんか、録音と生を聞き比べておるようです。」というのは、私が最初に感じた「激変」に対する「絶句」とピッタリ一致します。

どうやら、どれほど口汚いご意見であっても、受け取り方によっては思わぬ力となるようです。やはり、いろいろな人の多様な意見が集まる場というのは、それだけでも貴重だと言うことを肝に銘じなければ言えないようです。

ブダペスト弦楽四重奏団によるベートーベンのステレオ録音

さて、ここからは一般論ではなくて、具体例を挙げて話を進めたいと思います。
まず最初に俎上に上げたいのは、1958年から1961年にかけて録音された上記のディスクです。

実は、この録音については別のところで既に少しだけ取り上げています。

レナード・バーンスタイン指揮 (Vn)ジョン・コリリアーノ ニューヨーク・フィル 1964年1月27日録音
ヴィヴァルィ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」より「冬」

よく言われることですが、弦楽器の再生はオーディオ的にはかなりハードルが高い分野です。ヴァイオリンの演奏を身近で聴いたことがある人ならば納得していただけると思うのですが、弦楽器というのは美しいだけではなくて、結構きつい音がします。さらに言えば、かなり汚い「雑音」なんかもまじっています。
しかし、不思議なことに、実際の演奏で聞く事の出来るその様なきつさは決して耳を刺すような不快感はありませんし、ヴァイオリンの美音の影に潜む「雑音」もまた決して不快なものでもありません。
それどころか、その様な「きつさ」や「雑音」によってこそ、演奏に込めた気迫を感じとることが出来るのです。逆に言えば、無難に美しく響かせるだけの演奏からは突き抜けた凄みは伝わってきません。

ですから、オーディオにおいても、そのようなきつい部分も含めてきちんと再生しないと、その演奏に込められた真に価値のある部分を聞き取ることは出来ないのです。
ところが、やってみると分かることですが、そう言う部分をオーディオ的に再現するのは非常に難しいのです。
低域と高域を丸め込んで、いわゆるナローレンジでまったりと再生すれば美しく、妖艶に響かせることはそれほど難しくはありません。しかし、そう言う再生スタイルでは奏者が演奏に込めたであろう気迫は全く伝わってきませんから、結果として、無難に美しく響かせただけの演奏と大差のないものになってしまうのです。

しかしながら、両端の帯域をしっかりと伸ばす事で情報量を増やし、それまでの丸め込んだ部分もきちんと再生しようとチャレンジすると、途端に弦楽器特有の鋭さが牙をむいて聞き手の耳を突き刺すようになるのです。
これは実に困ったことなのですが、この困ったことを多くの方が経験されていると思います。そして、この壁を乗り越える事が至難の業であることを、オーディオに深く取り組んできた人ほど痛感しておられると思います。

この苦しさを「趣味としての楽しさ」と思える人ならば「チャレンジのしがいのある課題」と言うことになるのでしょうが、再生機器等をグレードアップしてそんな体たらくになれば普通はがっくり来るものです。
そこで、結果としては「録音が悪い」と言うことで「なかった」事にされる場合が多いのです。

しかしながら、意外に思われるかもしれませんが、60年代から70年代にかけての録音はかなり優秀です。そして、ここで取り上げている「ブダペスト弦楽四重奏団によるベートーベンのステレオ録音」も実は非常に優秀な録音です。
振り返ってみれば、この時代のオーディオは趣味の王様であり、先端を行く技術の象徴でもありました。ですから、演奏する側も録音する側も、それこそ誰もが本気で取り組んでいた時代なのです。言葉をかえれば、演奏も録音も一切の手加減がなかったのです。

ですから、それを再生する側にも「本気」が求められた時代なのです。

しかしながら、異論はあるかもしれませんが、80年代以降にCDが主流になるにつれて、その様な立ち位置がはっきりと変わっていきました。
音楽を聴くという行為が一つの趣味というジャンルから、ごく当たり前の日常の環境へと変わっていったのです。そこでは、本気で演奏し録音されたものを本気で再生しないと良さが伝わらないというのでは、商売にならない時代になったのです。

音楽は身近な環境としていつでも何処でも楽しめるものになったのですから、それなりの再生環境でも「美しく」再生されなければ支持されない時代になったのです。
結果として、きちんと録音したものを商品として売り出すときに「手加減」を加えることから始まって、行き着く先は、それなりの環境で再生したときにもっともバランスよく再生されるように「手を加える」事が常識となっていったのです。立派な録音スタジオで録音をしながら、最後の「音決め」は市販のごくありきたりのラジカセで再生して決めるような時代になったのです。
そして、そのような波はポップスの世界から始まって、今ではクラシックの世界にも「常識」としてはびこるようになったのです。

さすがに、クラシックの録音はそこまで酷くはないでしょうが、それでも両端が伸びていないナローレンジのシステムを前提とした音決めが一般化したことは事実です
例えば、80年代にベストセラーとなったカラヤンとムターによる「四季」などはその典型です。
ラジカセに毛が生えたようなシステムで聞いたときに一番美しく鳴るように、中低域を意図的にふくらませ、独奏ヴァイオリンの音像を大きくしています。これを真っ当なシステムで真っ当に鳴らせば、とても聞けた代物ではありません。

そう言う録音と較べれば、60年代から70年代にかけての録音の多くはきわめて真っ当です。そして、その様な真っ当な録音の中でも、このブダペストのステレオ録音は、オーディオシステムにとっては試金石のような録音と言えるのです。

何度も繰り返しますが、この録音はナローレンジのシステムでまったりと丸め込んで聞けば十分に美しく響く録音にはなっています。しかし、それでは「不滅の名盤」と呼ばれるこの演奏の真価は全く表現できていません。
しかしながら、そのナローレンジの世界を飛び出して、4人の奏者の命をかけたような気迫を聞き取ろうとすると、そこに至る道のりは果てしなく遠いのです。
そして、その道のりの途中で心が折れてしまって、元のまったりとした聴き方に戻ってしまったりするのです。

ブダペスト弦楽四重奏団は、ベートーベンの弦楽四重奏曲の全曲録音を3回行っています。40年代のSP盤の時代(1曲だけ録音していないので正確に言えば全集にはなっていない)、50年代生のモノラル録音の時代、そして50年代から60年代にかけてのステレオ録音の時代です。
私は長きにわたって、ブダペストの録音としては50年代初頭のモノラル録音を高く評価していました。

結局は、ステレオ録音に立ちはだかる「耳を刺すきつさ」を乗り越えることが出来なかったのです。
「彼らの最高の業績は?と聞かれればおそらく躊躇うことなくこの50年代初頭のモノラル録音による全集をあげるでしょう。」とまで言い切っていました。さらに返す刀で「モノラルによる録音と比べてみれば、ステレオによる晩年の録音は明らかに「緩い」と感じてしまいます。」とまで言い切っていましたからね。(^^;

しかし、そのきつさを乗り越えるレベルにまでシステムに磨きがかかれば、弦楽器特有の厳しい音はそのままであっても、その音は決して聞く人の耳は刺すような事はありません。
さらには、その厳しさの中から弦楽器特有の妖しい美しさも楽しめるようになるのです。

つまりは、何を言いたいのかというと、このメモリ再生の実験によって、今までどうしても空くことのなかった扉がついに開いたのです。
そして、一度この扉が開いてしまうと、「今まで自分は何を聞いていたのだろう?」という思いがわき上がってくるのです。

この辺りが録音されためディを通して音楽を聴くことの難しさです。
10年以上も前に「CD評価の難しさ」という一文を書いたことがあるのですが、それ以後も(自分としては)レベルがどんどん上がっていく中で、形は違えど本質的には同じような思いに何度も至らざるを得なかったのですが、今回の経験はかなり衝撃的であり、決定的でした。
ブダペストのステレオ録音のようにプラス方向にガラッと評価が変わってしまうようなものもあれば、その正反対のものもあったりするのです。

問題は、この正反対に変わってしまうものです。
驚くべき事に、このメモリ再生によって、録音や演奏に「手抜き」があれば、それを怖ろしいまでに暴き出してくるのです。そして、一度暴かれたものは、残念ながら二度と聞く気が起こらないのです。
差し障りがあるかもしれないのでややぼかした表現になりますが、例えば、某国内レーベルがウィーンの演奏家を起用して80年代に録音したシューベルトの弦楽四重奏曲の全集なんかはその典型です。今まではウィーン的な美質に溢れた、そして十分な気迫も伝わってくる演奏だと感じてきたのですが、このメモリ再生で聞くと録音にも演奏にも「手加減」が否定できないのです。

そう言う80年代の録音と較べると、60年代のCBSの録音は非常に憂愁です。
どう考えても「際物」としか思えないバーンスタインの「四季」なんかでさえ、とんでもない優秀録音ですし、そこまで再生してみることで、「妙に部厚い響きの弦楽器群による不透明な演奏。などという世評を吹き飛ばすことが出来るのです。

この変化をオーディオ的に表現するならば、コメント欄にTitanicさんが寄せてくれたものが全てをつくしていると思います。

ひずみが少なくなり、埋もれていた細かな音まで大きな音と重なっても聞き取ることができる。

透明感が半端なく向上しますね。昨今のハイエンド機の特徴である、演奏家の気配までをも再現するという感じです。特に60年代の録音はほとんど切り貼りをしていないので、環境雑音がそのままはいっているものが多くて、そう言う部分までしっかりと再現できると、音楽の生々しさが格段に向上します。

ダイナミックレンジが上下に拡大した感じがします。また、特に下のほうの低音がしっかりと、それも質良く(ブーミーでなく)出るような気がします。

これも不思議なのですが、音楽全体の腰が据わります。そして、今まで不明瞭だった一番下の音の形もはっきりと見えてきます。それから、私の環境では、下だけでなく上の方もスッと伸びてくれます。実は、私のシステムの最大の弱点がこの高域の伸びで、それを何とかしたくてスピーカーの買いかえやスーパートゥイーターの追加なども考えたことがあるほどです。

しかし、このメモリ再生で、それが見事に解消されました。
昨年の末に、スピーカーの買いかえは最終的に見送ることに決めたのですが、そう言う決定をあのときに下した自分を褒めてあげたくなったほどです。
そして、スピーカーの買いかえを見送るかわりに、アンプを買い換えたのですが、その買いかえの効果がより一層際だった感じなので嬉しい限りです。

果てさて、この辺りの音の変化を皆さんはどのように感じられたでしょうか?

ただし、「pcオーディオあるいはネットワークオーディオの一番の特長である、ぱっと楽曲が探せる検索の利便性はほとんどなくなってしまいます。」というのは事実ですから、この形態が一般化するとは私も思っていません。
もしかしたら、「NAS」の中の音楽ファイルが一覧できて、そこからワンクリックでメモリにコピーできるようなクライアントソフトが登場すれば、事情は少し変わるかも知れませんね。

ただし、今回、この実験を通してみて、音楽を聴くという行為の根本に関わる問題について考えさせられました。
それについては、さらに長い話になりますので、それは次回に回します。

それから、最後にもう一つ、このメモリ再生をしている状態で「APU+lightmpd」からLANケーブルを引っこ抜いても音楽再生は途切れることはありません。実に不思議な感覚にとらわれるのですが、間違いなくメモリに格納されたファイルが再生されていることが実感できます。
ところが、どうやら、「何をしても音は変わる:と言うオーディオの原則はこういう場面にも貫徹するようで、LANケーブルを引っこ抜いただけ音がかなり変わるような気がするのです。
その辺りも含めて、多くの方の率直な感想をいただければ嬉しいです。