リッピング再考(3)~少し一休み、そもそもリッピングっって?

リッピングに関わる話が思った以上に長引いてしまいました。それに、年のせいか、思わぬ夏風邪をひいてしまったようで先週は更新を一回パスをしてしまいました。
ただ、一度パスしたおかげで、次のリッピングソフトの話に移る前に一つはっきりさせておくべき事があることに気づきました。

それは、リッピングに関わって「音が良くなる」という表現についてです。

もちろん、一般的にはこれでも問題はないかと思うのですが、原理的に考えれば、リッピング操作の中でこのような表現を使うことは「本質的な誤り」を引き起こす恐れがあることに気づかされました。そして、リッピングという過程はPCオーディオにおける最上流部であるがゆえに、ここで「間違い」をおこすととんでもない「泥沼」に落ち込んでしまう恐れがあります。

はっきりと言えば、リッピングという過程を経ることで「音が良くなる」事は原理的にはあり得ませんし、あってはならないことです。
ところが、ネット上でのあれこれのやりとりを見ていると、この本質に関わる問題があまりよく理解されていないような気がするのです。ですから、順番から言えば本当は一番最初にふれておかなければいけないのですが、まあ、一度足踏みをして立ち止まってみるのもいいでしょう。

そもそもリッピングとはどういう過程なのか?

言うまでもなく、「音楽CDなどのデジタルデータをパソコンに取り込む」ことです。
ですから、イメージ化すればこういう感じになります。

Rip_a

そして、こういう形で「リッピングの音の良し」なんかが論じられているムキがあります。実際は、私もそう言う書き方をしてきた事は否定できません。

Rip_1

つまりは、例えば一例として幾つかの光学ドライブを使い分けてみて、それによってリッピングされた「リッピング音源」の「File A」「File B」「File C」を聞き較べてみて、その中で「File A」の音が最も好ましいと思えば、そのファイルをリッピングした「光学ドライブA」を「音の良い光学ドライブ」と認定するのです。
その光学ドライブが「リッピングソフト」に変わっても事情は同様ですし、それを組み合わせた比較でも事情は同じです。順列・組み合わせの数が増え聞き比べはますます煩雑になるのですが、そうやって「音の良いリッピング」というものが論じられてきました。

Rip_e

理屈は、その他様々なリッピング対策においても同様です。

Rip_c

そして、様々な対策を施してリッピングしたファイルと対策を施していないファイルをき較べてみて、対策を施したファイルの方が好ましいと思えば、その対策はリッピング過程において「音の良い対策」と認定されます。

しかし、もう少し頭を使ってみれば、リッピングという過程はもう少し視野を広げてみる必要があることに気づきます。
視野を広げてみれば、リッピングという過程はこういう形になります。

Rip_b

そうなんです、多くの人の視野からCDにプレスされる前のマスター音源の存在が欠落しているのです。
そして、ここまで視野を広げてみれば、リッピングしたファイルを聞き比べることにはあまり大きな意味がないことに誰もが気づくはずです。本当に聞き比べてみなければいけないのは、リッピングした「File A」「File B」「File C」などの聞き比べではなくて、CDのプレスに使ったマスタ音源とリッピングしたファイルのとの比較なのです。

重要なのは、マスタ音源とリッピングファイルの差異です。

リッピングした音源がマスタ音源を「音質的に凌駕」することはあり得ません。

たとえ、感覚的にリッピング音源がマスタ音源よりも好ましく聞こえたとしても、その「好ましい」という感覚があると言うことが、リッピング音源がマスタ音源に対して変化していることを示しています。そして、マスタ音源があらゆる比較の基準である以上は、その変化に対するあらゆる主観的判断の良否に関わらず、その変化は「劣化」として把握されるべきものだからです。

ただし、問題はあります。
一般的なユーザーで、そのマスタ音源の音を聞いたことがある人はほぼ皆無だという事実です。

つまりは、較べてみたくても、現実問題としてそんな事は不可能だという事実が存在するのです。ですから、多くの人の視野からその存在が消えてなくなってしまっているのも当然と言えば当然です。
しかし、たとえ現実的には不可能であったとしても、この基本的な構図を頭に入れ上でリッピングを論じることは些末な主観的判断に足をすくわれないようにするためにはとても大瀬名事なのです。

何故ならば、この基本的な構図を頭に入れてしまうと、最も理想的なリッピングとは「マスタ音源=リッピング音源」となることは明らかなのですが、それは同時に、絶対に不可能なことにも気づかされます。

そもそも、マスタ音源がプレス工程を経てCDに製品化された時点で何の変化も起こっていないとは考えにくいのです。
私たちにとってリッピング過程の起点になるCDの段階で既に「劣化」している可能性は否定できないのです。

そして、その「劣化」している可能性が否定できない音楽CDからデジタルデータを取り出すために幾つかのステップを踏むのですが、その一つずつのステップを重ねるたびに何らかの「変化(劣化)}が引き起こされることを危惧しないといけないのです。

つまり、何が言いたいのかと言えば、リッピングという過程は「音を良くする」などと言う明るく前向きな過程ではなくて、できる限りマイナスとなりそうな影響を潰していくという陰気な作業だと言うことなのです。

本当を言えばやりたくない作業なのですが、しかしながら、そうやって音楽CDからデジタルデータを取り出さなければPCオーディオは始まらないのですから、仕方無しの「必要悪」みたいなものなのです。
本音を言えば、それぞれのレーベルは責任を持って、今までリリースしたCDのデジタルマスタ音源を適正な価格でファイルという形で配信してほしいのです。

そして、そうやってみたところで、細かいことを言えばネット回線を通ってくる間に「変化(劣化)」しないという保障はないのですが、「リッピング」という「必要悪」よりははるかに精神衛生上安らかになれるはずです。「インチキハイレゾ」になんかしなくていいので、きちんとしたマスタ音源とイコールの非圧縮の音源を適正価格で(例:3000円のボックス盤ならば少なくともその半額で配信できるはず!!)配信してくれるのが理想なのですが、そう言う商売はやりたくないようなので困ってしまいます。

さらに、最後に一言付け加えておきますと、マスタ音源からの構図を頭に入れておくと、リッピングの過程で「音を良くする」と称して色々な対策を積み重ねる事を推奨する考え方には、いささか懐疑的にならざるを得ません。

Rip_d

こんな感じで、いわゆる「対策」なるものを追加していけば、間違いなくリッピングファイルの音質は変化するでしょう。
そして、その変化を持ってシンプルにリッピングしたファイルと比較して音質と比較して主観的に効果を主張するのはそれぞれの自由に属する問題です。

しかし、そうやって「変化」を積み重ねていけば、その「変化」によって基準となるべきマスタ音源からはどんどん遠ざかってい句事は否定できないはずです。対策を施せば「変化」します。その「変化」はマスタ音源から見れば間違いなく「劣化」です。
ただし、ここで言うところの「劣化」は主観的判断には一切依拠しません。
一部には、その様な「変化」を「音作り」として許容するムキもあるようですが、それは私のスタンスからは全く一致しません。

ソフトは王様か家来か?

こういう最上流部での「音作り」を許容してしまえば、後は「主観性」だけが跋扈する不毛の世界が広がるばかりです。
個人的はできる限りシンプルに、そして振動や電源という本質的な部分に絞り込んで対策を施していくのが無難ではないかと思われます。