優秀録音の検証~「RCA」

ステレオ録音の夜明け

「Mercury」、「Columbia」と紹介してきましたから、次は当然「RCA」を取り上げます。前回も述べたように、それぞれのレーベルの「深掘り」は後の楽しみとして残しておき、ひとまずは50~60年代のレーベルを概観していきます。

「RCA」といえば、「Living Stereo」であり、それは50~60年代における「優秀録音」の代名詞みたいなものでした。そして、それは同時にLPレコードの規格が「モノラル」から「ステレオ」に移行していく時代の流れを象徴する存在でもありました。
「RCA」の出自は1901年に設立された「ビクタートーキングマシン(Victor Talking Machine Company)」にまで遡るのですが、その「ビクタートーキングマシン」もまた1895年にエミール・ベルリナーが設立したベルリーナ・グラモフォン社を母体としています。ですから、歴史的に見れば、「Columbia」ほどではないにしても、老舗中の老舗であることは間違いありません。

「RCA」というレーベル名は、RCA(Radio Corporation of America、アメリカ・ラジオ会社)が1929年に「ビクタートーキングマシン」を傘下におさめたことによってスタートします。そして、このレーベルの名を高めたのが「ステレオ録音」という規格を世の先頭に立って切り開いたことでした。
ただし、「ステレオ録音」という発想は「RCA」が生み出したものではなくて、発想そのものは19世紀にまで遡り、1930年代には今日のステレオ録音の基礎となる特許がEMIから出願され認められています。そして、それを一つのきっかけとして様々な実験が行われるのですが、それを商業ベースに乗せるところまでには至らず、制作と再生に物量を投入できる「映画」というジャンルにおいてのみ幾つかの例外を見いだせただけでした。その例外の中でもっとも有名なのはディズニーによる「ファンタジア」でした。しかし、「ステレオ再生」を享受できたのは設備の整った限られた映画館だけであり、興行的には失敗だったと伝えられています。

この現状を根本的に打開していく突破口となったのが磁気テープによる録音が実用化したことでした。
ステレオ録音を実用化していく上での最大のネックは左右両チャンネルを時間的にピッタリ同期させて録音することでした。磁気テープによる録音はこの難問を解決すると同時に、録音のクオリティも飛躍的に向上させ、おまけにコストも大幅に引き下げることができるという画期的な発明だったのです。
歴史的録音を聞き込んでいる人にとっては常識に属する話題なのですが、この磁気テープによる録音が広く普及した1952年という年は録音のクオリティが大幅に向上する分岐点となっているのです。

1930年代から続けられてきた「ステレオ録音」の実験によって積み上げられてきた知見と、1952年から実用化レベルに達した磁気テープによる録音によって、「ステレオ録音」を商業ベースに乗せる土台は出来上がったのです。
ここでレコード会社の選択肢が二つに分かれることになります。
この土台が出来上がったことによって積極的にステレオ録音に取り組み始めたレコード会社と、二の足を踏むレコード会社に別れてしまったのです。

「Mercury」のような新興レーベルは新しい技術の中でこそ存在感を示せますし、何よりも失うものは少ないのですから、この「ステレオ録音」という最新技術に積極的になるのは当然です。
問題は老舗です。

対応は大きく二つに分かれ、この新しい技術に積極的に関わっていったのが「RCA」や「DECCA」であり、逆に否定的だったのが「Columbia」や「EMI」だったのです。とりわけ、この規格変更の波に大きく乗り遅れたのが、ステレオ録音の特許を持っていた「EMI」だったというのは皮肉だと言わねばなりません。

では、「Columbia」や「EMI」は「ステレオ録音」という技術に対してどうして懐疑的だったのでしょうか。
それは、録音する側にとっての技術的課題は克服できても、それを市場で売り込んでいくことは難しいと判断したからでした。

未だにステレオ録音を商品として売り出すための媒体に関しては目処が立っていませんでした。LP盤でのステレオ再生は不可能だったのです。(実現するのは1958年。)
そして、ステレオ録音を再生するためにはスピーカーが2台必要となり、そのスピーカーを駆動するためのアンプも2台必要となる事が重大なネックになると考えたのです。ユーザーにしてみれば、ようやくにして完成させたモノラルのシステムと全く同じものをさらにワンセット追加しなければいけないのです。
その時点では、海のものとも山のものとも分からない「ステレオ録音」などというものに対して、多くの消費者がそこまでのコストを負担するのは難しいだろうというのが、彼らの判断のだったのです。

さらには、モノラルによる録音技術は既に頂点に達していましたから、彼らにしてみれば、音楽を楽しむには「それで十分」だという考えもあったようなのです。

この判断を後世の人が批判をするのは簡単です。
しかし、失うものの多い大手レーベルにしてみれば、そういう新しい技術に参入するのにはリスクが伴うのです。失うものが大きい企業ほど、判断は慎重にならざるを得ません。

実際、「RCA(レコード会社)」の親会社である「RCA(アメリカ・ラジオ会社)」は、1980年代に「CEDビデオディスク」という技術に50億ドルもの投資をしてビデオ規格の競争に参入するのですが、結果は「VHS」に惨敗してGE(General Electric Company)に吸収合併されてしまいます。さらに、「VHS」によって規格競争を勝ち抜いた日本ビクターは我が世の春を謳歌するのですが、その成功に胡座をかいたのかどうかは分かりませんが、次の「DVD」に至る規格競争に後れをとってJVCケンウッドに吸収合併されてしまいます。
「RCA」は新しいものに飛び込んで溺れてしまい、「日本ビクター」は飛び込むことを躊躇って陸で干上がってしまったのです。

さらに、時計をもう少し逆戻りさせてみると、「SP盤」から「LP盤」への移行というもう一つの違う景色も見えてきます。

SP盤(Standard Playing)からLP盤(Long Playing)への移行は1948年に発売された「Columbia」盤が嚆矢と言われています。
しかし、調べてみると、1931年に「RCA」は33 1/3回転(=3分で100回転)の長時間レコードを発売しているのです。
しかしながら、レコードの材質やピックアップの問題などが解決し切れていない中での発売だったために結果は大失敗で、早々と発売中止となってしまいました。

しかし、この時の失敗を生かして、「RCA」から「Columbia」の社長に移籍したウォーラースタインは1941年から長時間レコードの開発を命令し、戦時中も細々とながら研究を続けることで1948年にLP盤を発売したのでした。そして、「Columbia」はこの「LP盤」を業界標準にするべく呼びかけるのですが、それに「RCA」が異を唱えたのです。
「RCA」は、直径17cm、回転数45rpmの「ドーナツ盤(EP:Extend Playing)」の規格を提唱するのですが、それは明らかに「SP盤」から訣別できない弱さが露呈したものでした。結果は、LP盤と比べて録音時間が短いことが大きなハンデとなり、2年後の1950年には「RCA」もLP盤を発売するようになり、それが「業界標準」として定着するのです。

企業のトップの決断というものは何時の時代も難しいもののようです。

しかし、幸いなことに、「LP盤」への乗り換えの後れはレーベルにとっては致命傷にはなりませんでした。
逆に、「RCA」が「SP盤」から「LP盤」への移行で遅れをとったという経験は、次の「モノラル録音」から「ステレオ録音」への移行で大きな教訓となったはずです。
同じく、「モノラル」から「ステレオ」への乗り遅れも「致命傷」にはならず、後発組もそれほどの日をおかずして追随できたのはそれだけ時代がゆっくりしていたからでしょう。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 作品40

フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1954年3月6日録音(LIVING STEREO 60CD COLLECTION S70480C / 88697720602 [CD 04])

「RCA」は1953年から実験的にステレオ録音を始めているのですが、商業ベースに乗る第1弾としてフリッツ・ライナーが率いるシカゴ交響楽団を選んだのは賢明でした。
何故ならば、優れた録音の前提として少なくとも以下の三つは必要ではないかと思うようになってきたからです。

  1. オーケストラの響きを完璧にコントロールできる優れた指揮者と、それに応えることの出来るオーケストラ
  2. そのコントロールされた響きが美しく鳴り響くことのできる音響特性に優れたホール
  3. その美しい響きをあるがままにすくい取ることができる録音エンジニアの手腕

ステレオによる録音に対してもっとも意欲的だった指揮者はストコフスキーでした。彼は、1930年代の映画「ファンタジア」の時代からステレオ録音に取り組んでいましたし、40年代の様々な実験にも積極的に参加し、「RCA」が53年から実験的に取り組んだステレオ録音にも積極的に関わっていました。
しかし、商業ベースに乗る第1弾の録音ならば万人を唸らせ、納得させるだけのクオリティがなければ意味がありません。
そこで、「RCA」は今までの経緯は捨ててでもライナーとシカゴ交響楽団をる第1弾の録音を担当する音楽家として選んだのです。


ただし、当時は先にも述べたように、LP盤ではステレオ録音を再生できないのでモノラルとステレオによる二通りのやり方で録音され、まずはモノラル録音の方が正式に発売されました。

このステレオ録音を担当したのは、クレジットによると「Produced by John Pleffer / Recording Engineer:Leslie Chase」となっています。
それに対して、モノラル盤の方は「Produced by Richard Mohrr / Recording Engineer:Lewis Layton」というビッグ・ネームがクレジットされています。

この録音陣の名前を見る限りは、あくまでもモノラル録音が本線であり、ステレオ録音はあくまでも「実験段階」だったことが伺えます。しかし、未だ実験段階におけるステレオ録音でこのクオリティを実現していたことは胸に刻んでおくべきでしょう。「John Pleffer(ジョン・ファイファー)」と「Leslie Chase(レスリー・チェイス)」は実にいい仕事をしたものです。

しかし、「RCA」はこのステレオ録音の素晴らしさを世に知らしめるために、55年にはステレオ録音された「オープンリールテープ」を発売しました。その「オープンリールテープ」はモノラル録音の倍の価格であったにもかかわらず熱心なオーディオファンはそれを積極的に購入したのでした。そして、そのステレオ録音のテープを再生した時の衝撃は今となっては想像するしかないのですが、おそらくは自宅のリビングにフリッツ・ライナーが率いるシカゴのオーケストラが来訪したような思いがしたのではないでしょうか。

と言うことで、肝心の録音のクオリティについて検証するまでの前置きが随分長くなってしまいました。しかし、この録音についてはそこに至るまでの物語と、その物語の中におけるポジションを知ることが不可欠だと考えたので、かくも長くなってしまった次第です。

まず、このステレオ録音は実験段階の手探りの中で行われました。必要な機器も未だ十分に揃っていない中での録音であったことも伝えられています。

まず、驚かされるのは、このステレオ録音を行ったときは未だにステレオ録音できるテープ・デッキがなかったという事実です。
そこで、彼らは仕方なく、モノラル録音の機器を2台用意してステレオ録音を行ったのです。ですから、マイクセッティングに関しても、使えるのはステージ上に配置された2本のマイクだけという「極限状況」での録音だったようです。つまりは、好むと好まざるとに関わらず、「純正のワンポイント録音」だったわけです。

当然の事ながら、この状況では録音してからバランスの調整などは一切できません。ですから、この録音で聞くことのできる音はシカゴ交響楽団の本拠地であるオーケストラ・ホールで鳴り響いているシカゴ交響楽団の音そのものだと言うことになります。
ですから、この録音の優秀さは先に挙げた(1)と(2)負うところが多いのです。

もう一度繰り返しますが、このステレオ時代の夜明けを告げる録音にこのコンビを選択したのは実に賢明な選択だったのです。
そして、録音会場となったオーケストラ・ホールも昔からややドライではあるものの響きのよいホールだと言われていました。日頃のコンサートで使っている常設のホールの音響が優れていると言うことも、この極限上での録音に大きく寄与したことは間違いありません。

現在のオーケストラホール

なお、このホールはライナーの後を引き継いだマルティノン時代に老朽化に伴う改修が行われ、ややドライだった響きが本当にドライな響きになってしまい、録音会場としては相応しくないホールになってしまいました。
記憶は曖昧ですが、ショルティがシカゴ交響楽団とセッション録音をするときはオーケストラ・ホールではなくてイリノイ大学のコンサートホール(クラナートセンター)を使うことが多かったのではないでしょうか。

さて、この録音ですが、後の「RCA」録音と較べると音場の広がりはやや控え気味と言わざるを得ません。それは、「Living Streo」黄金時代を築いたLewis Layton(ルイス・レイトン)達がとった「メイン3本+補助マイク数本」というマイク・セッティングと較べれば致し方ないことでした。しかし、広がりにはやや欠けるものの、ステージ上のレイアウトははっきりと描き出されてはいます。僅か2本のマイクで録った音であるにもかかわらずセンターの音が一切薄くなっていないのは一つの「奇蹟」とも言うべきクオリティです。

それから、おそらくはステレオ録音のメリットをユーザーに印象づけるためだと思うのですが、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンが両翼に配置されています。その間にヴィオラ(右側)とチェロ(左側)が配置され、そのチェロの後にコントラバスが配置されているのがはっきりと確認されます。
また、第2曲「英雄の敵」で英雄を嘲笑する木管楽器の位置関係なども目に見えるがごとくです。
しかし、それらは左右の位置関係は明瞭でも立体的な前後や高さの情報は欠落しています。いや、欠落していると言うよりは、ステレオ録音というものは何よりも左右の広がりとレイアウトを明瞭に提示することが大切であって、その様な立体的な音場などと言う概念は未だなかったと言うことでしょう。

そして、この録音で驚かされるのは、マッシブな低音が見事にすくい取られていることです。
オーケストラの響きというのは土台の低声部がしっかりと鳴っていてこそ全体がバランスよく響くのであって、ワルターを典型としてヨーロッパに根っこを持つ指揮者はその低声部を強調する傾向があるのですが、ここでもまた、ライナーの音楽的根っこが何処にあるのかをはっきりと示してくれる録音になっているのです。

例えば、第3曲「英雄の伴侶」では、ヴァイオリン・ソロの合間に低弦楽器の震えるような響きが見事におさめられています。これが、ズッシリとお腹にこたえてくるようなシステムでないと、この録音のおいしさは十分に味わうことはできないでしょう。
何故ならば、そういう低声部がしっかりと再生されてこそオーケストラの響きのリアリティが感じ取れるからです。
そして、その事は同時に、一つ一つの楽器がソロパートを担当したときの質感の豊かさにも繋がっています。それは、印象的なヴァイオリンのソロだけでなく、フルートやオーボエなどの艶、パーカッションやブラス群の炸裂する響きなども実に見事なのです。

そして、もう一度同じ事を繰り返すのですが、このステレオ録音こそが録音史の大きな分岐点であり、新しい時代の始まりを告げるスタート地点なのです。
そして、このスタート地点から、私たちはどれだけ前に進むことができたのかを問えばいささか呆然とならざるを得ないのです。

確かに、ここをスタート地点として、これを凌ぐ優秀録音はたくさん生まれました。しかし、この地点から60年を超える時間が経過していながら、未だにこのレベルをこえることのできない「最新録音」がゴロゴロ存在するのも悲しい事実なのです。
ですから、時にはこの一枚を取り出して、私たちのスタート地点を再確認してみることが必要なのです。

1件のコメント

  1. ユングさん、Fujiです。

    オーディオユニオン新宿店のアナログとハイレゾの対決に行って来ました。

    http://www.audiounion.jp/ct/news/article/1000006385

    やはりLPレコードの音はそれをデジタル化した音源より、レコード盤を直接聴いた方が良いですね、但し1970年代以前のLPに限りますが。しかしながらデジタルでもマスタリングが良くなって来たせいか、随分音が良くなって来ましたね。音が出た瞬間”(おお、LPと全く変わらないじゃないか)”と思わせる様な音なのですが、暫く聴いているとやはりデジタルと比べると音場と音に深みが加わり、まだLPレコードをデジタル化した音源の音は、LPを直接再生した音と比べ音質が若干落ちると私は感じました。この差をどう見るかの評価は人によって変わると思いますが、5~6年前に比べるとアナログ音源をデジタル化した音源も随分良くなって来たと私は感じています。但し、出来るだけ新鮮なマスターテープ、でプレスしたレコードに限りますが。ですからレコードファンがLPの音にこだわり、しかも出来る限り新鮮なマスターで録音した音の良いレコードを探し求め気持ちは良く分かります。ただやはり、1980年以降のデジタルで録音した音源はLPで聴く必要性は全く感じず、デジタルと比べ若干落ちると私は感じました。ですからデジタル音源はデジタルで再生すべきだと私は思います。もっとも若干落ちる程度で済んでしまうLPも大した物ですが。ただ、いくらLPの音が良いとは言っても、あの針を落とした時から聞こえる盤面をこする音とスクラッチノイズは好きになれません。若い頃はこんなものかとあまり気にせず聴いていたのですが、今となっては、あのピアニッシモから音が立上がって来る時の何とも言えない背景の静けさはデジタル音源だけが味わえる何物にも代え難い至福の時です。

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