優秀録音の検証~「ウィルマ・コザート(Wilma Cozart)」(3)

優秀録音のレーベルとして名前を挙げてきたのは「Mercury」「RCA」「Columbia」「Decca」というところです。
50~60年代を概観すれば、これにステレオ録音初期という限定はつきますが(さらに言えばレッグが関わっていないという限定もつきますが)「EMI」を付け加えてもいいでしょう。

そして、こう並べて気づいたのは全てイギリスとアメリカのレーベルであり、ヨーロッパ大陸のレーベルは含まれていないと言うことです。

そこで、気づいたのは、あらためて録音とオーディオとは切っても切れない関係にあるという「事実」です。
この時代のオーディオを牽引していたのはイギリスの「タンノイ」とアメリカの「JBL」でしょう。もう少し時代を遡ってみれば「アルテック」とか「WE(ウェスタン・エレクトリック)」などの名前が挙げられるのですが、どちらもアメリカの会社です。

おそらく、上に挙げたようなレーベルは、その様な優れたシステムで音楽を再生しているユーザーが広く存在していたがゆえに、録音のクオリティにも力を入れる甲斐もあれば必要もあったのでしょう。
そして、これはひっくり返してみれば、音楽の再生と言うことにそれほど留意しないユーザーが多数になってくれば、それにつれて録音のクオリティも「落ちる」と言うことを意味します。

日本の伝統芸能の世界には「見巧者(みごうしゃ)」という言葉があります。派手なだけの薄っぺらい芸は簡単に見抜いて駄目出しをし、時には厳しいことも言うけれど、それでも本当に優れた芸には称賛を惜しまないという人です。
そして、芸の世界はその様な「見巧者」がいないと育たないと言われてきました。

ですから、オーディオの世界にも「見巧者」ならぬ「聴巧者」がいるのかもしれません。そうでなければ、ますます録音のクオリティも演奏のクオリティも落ちていくばかりです。

「Mercury Living Presence」シリーズの罪

なので、いささか厳しいことを言わざるを得ません。
「THE TRUE STORY OF A LEGENDARY LABEL」と銘打ってシリーズ3までリリースされたシリーズは、残念ながら「LEGENDARY LABEL」の「TRUE STORY」を伝えていないと言わざるを得ません。

前回、とびきりひどい編集の例として「チャイコフスキー:スラヴ行進曲」をあげました。しかし、その後あれこれ調べてみると、これと大差ないような編集が施された音源が次々と登場してきていささか辟易しています。
この「スラヴ行進曲」は結構ダイナミック・レンジの大きな音楽です。とりわけ、冒頭が最弱音に近い大きさで始まるのでプアなシステムではいささか厳しいかもしれません。

オーディショーなどに行くと、メーカーの人間は派手な音楽をデモしたがります。
どこのメーカーとは言いませんが、その時も「これはどうですか!」とベルリオーズの幻想交響曲を示しました。そこで、わたしも「それいいですね!第3楽章をお願いします!!」というと露骨に嫌な顔をされました。
彼は最終楽章をデモしたかったのでしょうが、そうは問屋はおろしません。(^^v

本当に優れたシステムというのは静かな音楽を緊張感と生々しさを失うことなく再生できてこそ値打ちがあるというものです。案の定、そのメーカーのシステムは実にノッペリと「野の風景」を再生したのでした。
しかし、そう言うシステムで聞いている人が大部分だとすれば、レコード会社としてはこの冒頭の最弱音を少しばかりブーストする必要があるのでしょう。しかし、ここでブーストしてしまうと最後の最後でとんでもないことになってしまいます。とりわけ、9分20秒頃から最後までの1分間は「悪夢」と言わざるを得ません。

興味のある方はダウンロードして切ってみてください。

チャイコフスキー:スラヴ行進曲 アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団(Mercury Living Presence3 CD12)

私は通常プリアンプのボリュームは12時で聞いているのですが、この音源に関しては11時くらいに抑えないととてもじゃないが聞いていられません。その「歪みまくったブッチャキサウンド」を聴いていると、このシリーズの管弦楽作品に対する編集の罪深さを感じずにはおれません。
しかし、これをご機嫌に再生できたりすると、もしかしたら結構やばいかもしれません。(^^;

これは全くの想像にしかすぎませんが、この編集の根っこは2000年代に行われた「SACD」化の編集にあるのかもしれません。いろいろ資料を調べたのですが、一度は引退したコザートは89年にもう一度録音の世界に戻ってきています。そして、彼女は自分がかつて録音したテープをもとに、それをデジタル化してDATで記録したのです。
その時のデジタル化は「44.iKHz 16bit」という器で行われたそうです。そして、このデジタル化された音源が確か90年代に発売されたはずです。

しかし、この「SACD」化の編集に彼女は一切関わっていません。
ですから、90年代にリリースされた「CD」と2000年代にリリースされた「SACD」を比較すればはっきりするのかもしれませんが、残念ながら私の手元にはその90年代の「CD」はありません。
しかし、この想像はそれほど間違っていないような気はしています。

ただし、最低限の救いとしては「室内楽作品」や「器楽作品」に関してはその様な「魔手」は及んでいないようなのです。
おそらく、それらの音源の大部分は2000年代に「SACD化」されなかったようであり、また作品の性質上ダイナミックレンジが最初から大きくないので、音圧ブースト化の魔の手からも逃れることができたのでしょう。

そんな魔の手から逃れた貴重な音源の一つがこれです。

チェンバロの黄金時代(1) (Harpsichord)ラファエル・プヤーナ 1962年4月~5月録音


この録音は疑いもなく彼らのキャッチフレーズだった「You are there」が実現しています。
作品数が多いので波形は一つだけ紹介しておきます。

フィリップス:悲しみのパヴァーヌ (Harpsichord)ラファエル・プヤーナ 1962年4月~5月録音

参考までに、スコット・ロスのスカルラッティのソナタから一つだけ波形を紹介しておきます。

Scarlatti:Sonata for keyboard K175 (Harpsichord)スコット・ロス 1984年6月~1985年9月録音

見てもらえば分かるように、プヤーナの録音の方が音圧は控えめです。
しかし、この両者は使っている楽器はともにチェンバロなのですが、プヤーナはランドフスカ・モデルと呼ばれる「モダン・チェンバロ」なのに対して、ロスの方は「ヒストリカル・チェンバロ」です。

録音だけで演奏を評価するときにもっとも困るのは、その楽器やオケが実際はどの程度の音量で鳴り響いていたのかが全く分からないことです。

誰とは言いませんが、その昔日本のコマーシャルにも出演してすっかり有名になったソプラノ歌手がいました。
当然の事ながらCDもよく売れたらしいのですが、その彼女が来日してリサイタルを開いたときにみんなは愕然としました。声が聞こえてこないのです。(^^;

華奢なその体から絞り出された「美声(?)」は日本の大きなホールでは遠くにいる聞き手にまでは届かなかったのです。
当然の事ながら、彼女の名声はこの来日公演で消し飛んだわけなのですが、そう言う簡単なことですら「CD」という録音媒体からでは誰も分からないのです。

ただし、この「モダン・チェンバロ」と「ヒストリカル・チェンバロ」の音量の比較ならば聞かなくても分かります。
貴族の屋敷のような小さな空間でこそ真価を発揮した「ヒストリカル・チェンバロ」を、巨大なコンサートホールでも使えるように「改良(?)」したのがランドフスカ・モデルと呼ばれた「モダン・チェンバロ」だったわけです。この両者の音量の差は決定的に異なります。
ところが、この録音を比較すると、プリ・アンプのボリュームを固定して聞くと、明らかにロスのヒストリ・チェンバロの方が音量は大きく聞こえるのです。

感覚的にはそれほど抑制しているとは思えないのですが、数値的にはプヤーナの録音の方はかなり抑制的に編集されているようなのです。

ただし、そうでありながら、心のどこかでこれを「優秀録音」として紹介することに躊躇いを感じています。いや、そうであるからがゆえに、躊躇ってしまいます。
それは、このランドフスカ・モデルの中でもとりわけモンスター化したプヤーナのチェンバロの響きがあまりにもクリアにとらえられていて、それがあまりにもクリアであるがゆえに「ヒストリカル・チェンバロ」の音を聞きなれた耳には途轍もなく違和感を感じてしまうからです。

「ヒストリカル・チェンバロ」というのは音量は小さいのですが、風のようにふんわりとした軽くて繊細な響きが魅力的な楽器です。
しかし、それでは広いコンサートホールでは使い物にならないので、そのチェンバロの機構を鋼鉄の枠に放り込み、その鋼鉄の枠の強さを生かして弦も目一杯に強く張り、その強く張った弦を大きくて太いツメで引っ掻くようにしたのが「モダンチェンバロ」でした。そして、そのチェンバロには5つも6つもペダルがついていて、本来は速やかに減衰するチェンバロの音を長く伸ばしたり音色を変えたりすることもできたのです。

さらには、プヤーナが使っていたのは三段鍵盤からなるモンスター・チェンバロでした。

結果として、その楽器から轟く響きには「ヒストリカル・チェンバロ」が持っていた「風のようにふんわりとした軽くて繊細な響き」の欠片すらなくなってるのです。そして、コザートの録音の腕は、その「モンスター・モダン・チェンバロ」の異形の響きを、まるで目の前で演奏してるかのごとくにとらえきっているのです。

ですから、これを「優秀録音」として紹介することには、心のどこかで躊躇いを感じてしまうのです。

しかし、これは19世紀末から始まったチェンバロ復興の音楽史の中におけば、明らかに一つの時代の頂点を為す演奏であり録音です。さらに言えば、今となってしまっては、「ヒストリカル・チェンバロ」の復刻品は簡単に入手できても、「モダン・チェンバロ」を調達するのは非常に難しくなっています。
おかしな話ですが、今や「モダン・チェンバロ」は疑いもなく「絶滅危惧種」なのです。その「絶滅危惧種」の響きをここまで鮮明に捉えた録音は、やはり「優秀録音」として紹介する価値はあるのでしょう。
そして、それは同時に音圧競争の弊害から免れれば、どれほど素晴らしい世界が開けるかの見本でもあります。

ただ残念なのは、160枚近い「Mercury Living Presence」シリーズの大部分が音圧競争の弊害をまともに被った管弦楽曲であり、その弊害から免れた室内楽曲や器楽曲は10%程度しかないことです。
やはりこのシリーズの罪は深いと言わざるを得ません。


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One comment

  • Hippo

    こんばんは。

    チャイコフスキー:スラヴ行進曲 アンタル・ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団

    これはすざまじいですね。普通ではありえないです(笑)

    SACDのからみで思ったのですが、

    CDは0dB (100%変調 クリッピングレベル)まで記録できます。DSDでは0dB を50%変調と定義しています。なので、+6dBまで記録できます。
    SACDでは+3.1.dBまでのお約束、トゥルーピーク2.9dBの余裕があることになります。

    DSDの音源をPCMに変換する際は、ソフトウェアによって挙動が異なります。
    DSD 0dB -> PCM -6dBで扱うソフト:DSD 0dBまでの音源だと、PCMの1ビットが無駄になるので、少々ゲインを上げる方が望ましい場合があります。

    DSD0dB-> PCM 0dBで扱うソフト:DSD 0dBまでの音源だと問題ないのですが、上記に述べたように、SACDでは+3.1dBまで記録できるので、そのような音源の場合は、PCMの方は盛大なクリッピングが発生してしまいます。
    こちらはゲインを下げて変換する必要が絶対にあります。

    このボックスセットでは、0dBを超えているDSD音源(SACDとしては問題ない)を、下のようなソフトで、ゲインを下げずに変換してしまったのかもしれません。

    それにしても、残念であることは違いありません。

    アナログマスターはいずれ劣化してしまいます。
    それを半永久に劣化させずに保存できるデジタル技術であるはずなのに、これでは意味がありませんね。
    これがCDだけの問題で、デジタル化したマスタはちゃんとしていることを祈りたいです。

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