優秀録音の検証~「ウィルマ・コザート(Wilma Cozart)」(4)

以下述べることはあくまでも私見です。

「Mercury Living Presence」シリーズの少なくない音源が「音圧競争の弊害」を被っていると言うことに関しては縷々述べてきました。
問題は、その様な「弊害」が誰によって、どのような意図のもとで為されたかという問題です。
今回、この問題に関して、重要なきっかけを与えてくれる記述を発見しました。

それは「Mercury Living Presence」シリーズの「3」に付された以下の記述です。

「今回のボックス中、Dics15, 38, 39, 40, 43, 48, 49, 50, 52, 53は、比較的状態の良いオリジナル・マスターテープの発見により初CD化されることとなりました。これらはオリジナル・マスターテープより、アビイ・ロード・スタジオのエンジニアであるアンドルー・ウォルターによって、24bit/96kHzリマスターとミックスダウンが行われております。
最新デジタル処理機能を駆使し問題のある箇所などを修復。モノラル録音のものも、その後の当時のステレオ録音方式の記録を解析。あらゆる可聴性等の考察に基づき修復が行われました。
モノラルでありながら、さらなる広がりが感じられるような素晴らしい録音特性の再現に成功しています。」

モノラル録音云々の部分はひとまず置くとして、それ以外のステレオ録音の部分に関しては、このシリーズのために新しくマスターテープからデジタル化されたことは間違いないようです。ならば、それらの音源がどのように編集されているかを見ればこのシリーズにおける編集方針みたいなものが見えてくる可能性があります。

ということで、上記CDのステレオ音源をリッピングして波形を確認してみました。

まずは、【CD15】「フェネル・コンダクツ・ヴィクター・ハーバート」フレデリック・フェルネ&スタジオ・オーケストラ(1959年録音)から見てみます。

トラックナンバー3の「ハバネラ」が一番音圧が高い様ですがこの程度です。

トラックナンバー3の「ハバネラ」

しかし、それ以外はほぼこの程度です。
トラックナナンバー9の「キッス・イン・ザ・ダーク」

次ぎに【CD43】「ベートーヴェン:交響曲第3番」ドラティ&ミネアポリス交響楽団(1957年録音)です。

「第4楽章」

もっとも危ない最終楽章でもこの程度でおさまっていますから、同じドラティ指揮による5番、6番、7番などとは大違いです。

【CD49】のバロック音楽(リコーダー協奏曲」も極めて控えめです。

ヴィヴァルディ:ソプラニーノ・リコーダー協奏曲RV445「第1楽章」
バーナード・クレイニス(Bfl),  ネヴィル・マリナー(ディレクター) ロンドン・ストリングズ(1965年録音)

【CD50】「(1)ヒンデミット:吹奏楽のための交響曲(2)シェーンベルク:吹奏楽のための主題と変奏 Op.43a(3)ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲」も同様に極めて控えめです。

ヒンデミット:吹奏楽のための交響曲 「第3楽章」
フレデリック・フェネル&イーストマン・ウィンド・アンサンブル(1957年録音)

これ以外に【CD53】「ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第4&8番」ボロディン弦楽四重奏団(1962録音)があるのですが、これは室内楽作品なので全く問題ありません。それは、シリーズ「1」「2」における室内楽作品でも同様でした。

ただ、唯一問題だったのが【CD48】「ギター四重奏によるスペイン民謡」ロメロ・ギター四重奏団(1966年録音)の中の何曲かです。
一番ひどいのがこれです。(トラックナンバー5:Rumba)

ただし、これらの作品はギター以外に歌や打楽器も入る極めて賑やかな音楽で、どちらかというとポップス的な要素が強い音楽です。これに関しては「そう言う音楽だ」という割り切りがあったのかもしれません。
ただし、大部分の音源は基本的には「セーフゾーン」におさまっています。

つまりは、このシリーズ化によって新たにデジタル化された音源は基本的には音圧ブーストの弊害は見られないのです。
ということは、この間指摘してきた音圧ブーストの弊害は、90年代のCD化の時か、2000年代のSACD化の時かと言うことになりそうです。そして、全てをチェックしたわけではないのですが、90年代にCD化されながら2000年代にはSACD化されなかった音源は音圧ブーストの弊害からは免れている雰囲気があるのです。

考えてみれば、CD化に際してはコザートが関わっています。
彼女はデジタル化に際しては録音当時の音を思い出しながら、一つ一つの音源をデジタル化したと伝えられています。彼女の耳を通した音源がこのようなひどい編集がされていたとは到底考えられません。

ですから、罪の大部分は2000年代に行われたSACD化が引き受けるべきなのかもしれません。あくまでも私見ですが・・・。(^^;

さらに疑ってみれば、どうしても普及が進まないSACDの「良さ」を認知させるために、パッと聞いたときの印象を良くするために音圧をブーストしたのではないのかという疑惑も拭いきれません。
ただし、少なくともこのシリーズ化のために新たにデジタル化された音源に音圧ブーストの編集が基本的には為されていなかったことだけは幸いでした。

シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54 (P)バイロン・ジャニス スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 ミネアポリス交響楽団 1962年4月録音 (Mercury Living Presence1 CD26)


バイロン・ジャニスがハーバート・メンゲスの指揮で録音したチェイコフスキーの協奏曲があります。「Mercury Living Presence」シリーズの「1」には詳しい録音データが記されていないので裏をとるのに手間取りましたが、「Producer:Wilma Cozart・Co-producer:Harold Lawrence」となっていることを確かめました。

そして、この録音は辛うじて「音圧競争の弊害」からは免れているようなのです。

では、何故に「弊害」を免れたのかと言えば、それはこの録音がそれほど人気がないと言うことで「放置」されたからではないかと睨んでいます。
そして、その「人気薄」の原因が指揮者の「Herbert Menges」にあることは明らかです。

「Herbert Menges」は「ハーバート・メンゲス」と読むようです。
もしも、「ハーバート・メンゲス」と聞いて「あーっ、あの指揮者ね」とすぐに思い当たる人がいればそれかなりの「通」です。録音として残されているのはほとんどが協奏曲の伴奏であり、その数も多くはありません。この「知名度」の低さのおかげでいらぬ「編集」を施す「手間」も放置されたのでしょうが、それが結果として幸いしたようです。

ところが、「Mercury Living Presence」シリーズの「1」で同じCDにカップリングされているシューマンのコンチェルトはそれ以上に悪影響を受けていないのです。そして、その結果としてコザートの手になる素晴らしい「音」を聞くことができる優秀録音となっています。

「第1楽章」

「第2楽章」

「第3楽章」

さらに有り難いのは、チャイコフスキーの協奏曲とは違って、こちらは、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(長すぎるのでMr.S)が指揮するミネアポリス交響楽団が相手をつとめていることです。
こうして聞き比べてみると、オケの機能としてはチェイコフスキーの伴奏を務めたロンドン交響楽団の方が間違いなく上だと思うのですが、出来上がった音楽は間違いなくこちらの方が上等です。上等です、と言うのもおかしな言い方ではあるのですが、ハーバート・メンゲスの指揮ではかけていたロマン的な情緒や艶のようなものがここではしっかりと表現されています。

やはり、誰かが言ったように、「この世の中に悪いオーケストラは存在しない、いるのは悪い指揮者だけだ」と言う言葉の正しさを実感させられます。

もちろん、だからといってメンゲスが悪い指揮者だと言っているわけではありません。指揮者というのがオーケストラをまとめ上げる「職人」だとすれば、彼は立派な「職人」であったことは間違いありません。
しかし、あまり好きな言葉ではないのですが、指揮者がオーケストラをまとめ上げて音楽を作りあげる「芸術家」だとすれば、Mr.Sはその用件を十分に満たしています。

よく言われることですが、ピアノ協奏曲というのは録音する側からすれば結構な難物です。

オケが出過ぎればピアノは引っ込みますし、逆にピアノがしゃしゃり出ればオケが後ろでモゴモゴ言うだけになります。
この二つをバランスよくマイクに拾うのは本当に至難の業のようで、いわゆる最新の録音でもその辺りがあまり上手くいっていないものはよく見受けます。

そこで、たいていはマルチマイク録音で音を拾っておいてから、編集の過程でバランスを整えることが多いようなのですが、それでは音はどんどん歪んで荒れていきます。
何度も繰り返しますが、録音から編集へと至る過程で手をかければかけるほど音は変化していきます。そして、そうやって人工的に加工された音が好きだという人がいてもそれは決して否定はしませんが、私は、まさに録音された会場で鳴り響いていた音にできる限り近い状態の音を聞きたいと考えていますし、その様な「音」こそが「優秀な録音」だと考えています。

ただし、その理想を求めれば「ワンポイント録音」に近い形で録音する必要があるのですが、その形で録音すれば、編集の過程でオケとピアノのバランスを調整することは不可能です。
今そこで鳴り響いている音のバランスが悪ければ、それは悪いままに拾ってしまうのです。さらに言えば、そこで完璧なバランスで鳴り響いていたとしても、それをワンポイント録音でとらえるには職人としての腕の冴えが必要です。

つまりは、演奏する側と録音する側、そして音響特性に優れた録音会場という3つの条件が揃ってこそ、素晴らしい録音は出来上がるのです。

音場の自然の描き方、一つ一つの楽器のクリアなとらえ方など、まさにこれを上回ることができる最新録音はほとんどないでしょう。
ネット上ではこの録音をまな板に上げて「強奏部では音が歪む」と書いておられるか違いましたが、実に持って不思議な話です。


2 comments for “優秀録音の検証~「ウィルマ・コザート(Wilma Cozart)」(4)

  1. 2017年4月30日 at 4:32 PM

    早速、シューマンのコンチェルトをダウンロードしました。
    素晴らしい音です。
    実は、今までYUNGさんのホームページからダウンロードしたファイルの中に音圧の高いものがいくつもあったので、もしかしたらYUNGさんが音圧を上げる設定をしてリッピングされているのではないかと思っていました。
    大変失礼しました。

    • yung
      2017年4月30日 at 4:57 PM

      それにしても、これはPCオーディオの進化によって波形表示が簡単に確認できるようになったからですよね。もちろん、音圧だけが音質を決まるわけではないですが、少なくともクリッピングする領域までブーストしているとなれば、音質云々を論ずる以前の問題です。
      そうして、そう言う「音質以前の問題」であっても、CDの銀色の盤面をいくら眺めてもそんな事は分からないのです。

      考えようによっては、デジタルというブラックボックスに入っていると思って随分と舐めた真似をされていたのかもしれません。

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