Christopher Parker(3)~R.シュトラウス:薔薇の騎士

市の図書館で久しぶりに「ステレオサウンド誌」をパラパラッと眺めていると、この2号にわたって巻頭が嶋護氏の「サウンドステージの探求」という特集になっているのに気づきました。
そう言えば、この優秀録音の検証を始めたときに「オーディオ雑誌を開けば、少なくとも各号毎に音楽ソフトに関する話題が巻頭を飾るべきだと思うのですが、現実はハード(機械)に関する話題ばかりが巻頭を飾ります。」と書いたのですが、少しずつ風向きが変わってきたのでしょうか。

嶋氏と言えば、同誌で「The Best Sounding CD 嶋護の一枚」という連載と続けていて、その内容が単行本としてもまとめられています。
それが2号にわたって巻頭特集に登場するようになったのですから、オーディオ雑誌としては異例のことでしょう。
そして、出来る限りワンポイント録音に近いシンプルなシステムで録音した物をよしとするスタンスも共感を覚えるものでした。

ただ、一つだけ残念なのは、氏がどのようなシステムで再生して録音の良し悪しを判断しているのかの説明が一切ないことです。
「貧弱なシステムではこの録音の良さは分からないかもしれない」みたいなことはあちこちに書いていますから、手の内はオープンにするのがフェアだと思われます。

しかしながら、「明らかにしない」というのは一貫していますからそれが嶋氏なりのポリシーなのでしょう。だとすれば、そのポリシーがどのようなものなかのかの説明はあってもいいのではないかと思います。
そんな嶋氏なのですが、最新号の中で以下の録音を取り上げていて、少しばかり「エッ?!」と思わされました。

カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団 (S)エリーザベト・シュヴァルツコップ (A)クリスタ・ルートヴィヒ (Bs)オットー・エーデルマン 1956年12月10~15日&17~22日録音

  1. R.シュトラウス:薔薇の騎士 「第1幕」
  2. R.シュトラウス:薔薇の騎士 「第2幕」
  3. R.シュトラウス:薔薇の騎士 「第3幕」

それは、この録音のエンジニアが「Christopher Parker」だと記されていたからです。
あれ、この録音ってエンジニアは「Douglas Larter」だったのでは?

Herbert von Karajan

しかし、これは私の中の思いこみだったようです。
何となく、若造だった50年代のパーカー君は冷や飯を食わされているという思いこみがありました。ですから、そんなパーカー君がこんな重要な録音を任されることはないという思いこんでいたのです。

しかしながら、考えてみれば、この時代のEMIにとって、オペラのステレオ録音なんて「冷や飯」だったのです。

オーケストラに合唱団、そして何人ものソリスト達がステージの上の歩き回りながら歌うわけですから(セッション録音では歩き回りませんが、位置関係は重要なはずです)、その演奏空間をステレオ録音で拾い上げるというのは「骨の折れる」実験的試みだったはずです。
そして、それがある程度上手くいったとしても、その「ステレオ録音」が「ステレオ盤のLP」として日の目を見るかどうかもはっきりしない状況だったのです。

商業録音としてのステレオ録音が始まったのは1954年でした。
その録音は当初は「テープ」というかたちでしか発売されませんでした。何故ならば、LP盤にステレオ録音を刻み込む技術が確立していなかったからです。V型の溝の両面に左右チャンネルの振動を記録する方式でステレオ盤が実用化するのは1958年のことでした。
その様な技術段階でしたから、いまだ先の見えないステレオ録音はパーカーが担当し、本線のモノラル録音を任されたのが大御所のダグラス・ラターだったものと思われます。

この時期になっても未だにステレオ録音に懐疑的だったEMIにしてみれば、パーカー君が任された仕事は「保険」のようなものだったかもしれません。
おそらく、ステレオ録音なんてユーザーから受け入れられることはないと思うが、万が一その様なことが起こったときのための「保険」として若造にステレオ録音を任せておこう、みたいな感じだったのでしょう。

まあ、見てきたようにそんな事を書いていますが、大筋は外していないと思います。
しかし、若きパーカー君にとっては、今売り出し中のカラヤンと組んでシュトラウスの大作オペラを、それも最新の技術である「ステレオ」で録音するというのは胸躍るチャレンジだったはずです。

振り返ってみれば、この録音の前にヴェルディの「ファルスタッフ」も録音していました。

ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」 カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団 1956年6月18、21~23、25~29日、7月24日録音

これも録音エンジニアとしてラターとパーカーがクレジットされていますから、図式的には「薔薇の騎士」と同じで、モノラル録音は御大のダグラス・ラター、ステレオ録音はクリストファー・パーカーが担当したものと思われます。
しかし、このステレオ録音は「薔薇の騎士」ほど上手くいっていません。

それはそうでしょう。
オペラのような複雑な音響の総合体である音楽を、初めての経験でうまくステレオ録音など出来るはずがないのです。
しかし、ここでの経験はパーカーに多くの経験を与えたことは事実であり、その一度の経験から多くのものを引き出して血肉化する優れた才能がパーカーにはありました。

この録音の素晴らしさは音場表現です。
一つ一つの楽器や人間の声は、1956年という時代相応の古さは否めません。しかし、劇場において今まさに演奏され、演じられているかのごとき自然な音場表現は秀逸です。
ただし、その音場表現の素晴らしさを実感するにはかなりのスキルを必要とします。

何故ならば、視覚を伴わない状態でオペラを「観る」というのは、聞き手の側にかなりの経験とスキルを要求するからです。
「歌舞伎」にたとえれば、目をふさいで聞いているだけでも舞台上の全ての動きがイメージできるような経験とスキルが必要となるのです。

そのためには、そのオペラを既に実際の舞台で何度か観た経験があり、それを「音」だけで舞台の情景と動きがトレースできる能力が必要です。
しかし、そう言う経験がない中で「音を聞く」だけでは、この録音の音場表現が秀逸だと言われても今ひとつピンとこないでしょう。

その様なわけで、この録音の「優秀さ」というのはかなりマニアックです。

やはり、オペラというのは「音楽」でもあるのですが、本質的には「演劇」です。
そして、「演劇」であるならば、多少録音がプアでも映像がともった状態で観た方が何倍も楽しいのは否定しようがありません。

ビデオという技術が一般化していくなで、カラヤンが映像を伴ったかたちでオペラを録音・録画していったのは「さすが」と言わざるを得ません。