アナログの復活はあるのか(4)

アナログの復活がありそうだといいながら、なんだかアナログの欠点と限界ばかりを言い立てているような文章になっています。(^^;
しかし、本当にアナログが音楽再生のフォーマットとして一定の地歩を取り戻すためには、そこのところは非常に大切なことなのです。

オーディオ関係のイベントに行くと、アナログに力を入れているところほど、アナログがデジタルに対していかに「優れている」かを強調します。
気持ちは分からないでではないのですが、その様な方向性でアナログの復活を試みるのは基本的に間違っています。
何とかビジネスモデルとして成功しても、それはオーディオとしての復活ではなくて、所詮は一部特権的富裕層を相手にした「奢侈品」のアイテムが増えただけの話になってしまうはずです。

「モノ」としてのアナログの限界

音楽を再生する「モノ」として競い合えばアナログはデジタルに勝てる要素はほとんどありません。

そして、「勝てる要素」がほとんどなかったがゆえに、80年代初頭にCDが登場すると速やかに駆逐されていったわけです。
それではデジタルの「モノ」としての優秀性とは何だったのでしょうか。

まず製造する側から言えば厳密な品質管理が不要になったことが挙げられます。
ある大学の先生がこのように述べておられました。

アナログレコードの生産はレコード材料の品質確保,カッティング時の機器のメンテナンスや操作、輸送時の変形防止など、全ての過程に高度な職人芸が要求されていた。どこか一部でも手抜きがあれば、品質が保証されないのがアナログの世界だったのである。

それと比べれば、CDの生産工程はそこまでの職人芸は要求されず、言葉は悪いですが多少「ぞんざい」になってもそれなりのクオリティが確保できるのです。
もしかしたら、音楽再生のフォーマットがアナログからデジタルに変わったことをもっとも喜んだのはレコード会社だったのかもしれません。

東洋化成のカッティングマシーン

そして、この再生する「モノ」がCDからネットへの配信に変われば、その「ぞんざい」さはさらに増加します。
それは、私のような個人レベルでも、パブリックドメインとなった録音をそれなりのクオリティでユーザーの手元に「フリー」で届けることが可能になってしまうのです。
こうなってしまうと、「品質管理」などという言葉は「死語」となってしまいます。

そして、それはユーザーの側にとってもソフトの保管に気を使うことや使いこなしの小難しさから解放されることを意味したのです。

アナログ再生というのは、レコード盤のメインテナンスから始まって、アナログプレーヤーの細かい調整に至るまで毎日毎日面倒を見続けてやる必要がありました。
そして、その面倒を少しでも怠ると途端に不機嫌になるシステムだったのです。

それがデジタルに変わることで、プレーヤーにCDをポンとセットするだけでそこそこのクオリティが確保されるのです。
ネット配信になれば、その場でワンクリックでダウンロードできて、ワンクリックで再生できるのです。

作る方と使う方の両者が、ともにある程度の「いい加減」さで扱ってもそれなりのクオリティを確保できることこそが、デジタルの「モノ」としての優秀性なのです。
ですから、音楽再生を行う「モノ」として競い合えば、どこをどうひっくり返してみてもアナログはデジタルに勝てる要素はないのです。
なお、念のために確認しておきますが、ここで述べているのはクオリティではなく、生産から流通、そしてエンドユーザーに至るまでの生産から消費に至るまでの全過程を含んだ概念としての「モノ」です。アナログ大好きの人には熱狂的な人が多くて、全体の流れから切り離して、こういう一文だけに引っ掛かって意見を述べる人が多いので、申し添えておきます。(^^;

しかし、それでも不思議なことにアナログは復活しつつあるのです。その理由を見事に言い当ててくれたコメントがありました。

コアなオーディオファン間ではどのくらい話題になっているのかわかりませんが、現状では音質うんぬんよりは主にカッコつけの流行だと思われます。

なるほどね。

「カッコつけの流行」になるということは、逆から見ればアナログによる音楽再生は「格好いい」と言うことで、少なくともそう言うコンセンサスが生まれつつあるのです。
考えてみれば、これは大変なことです。
一度は時代遅れの遺物として亡んでしまったものが、もう一度「格好いい」モノとして復活してきたのです。

では、何が格好いいのかと言えば、「アナログで音楽再生をする」という「行為」に魅力があると感じる人が生まれてきたのです。
そして、そう言う感性が、その昔アナログ再生に親しんできた人たちの中に、もう一度アナログに戻ってみようかという気分を生み出したのです。

「モノ」から「体験」への転換

既に「モノ」は溢れています。
それこそウンザリとするほど溢れています。

そして、そう言う「モノ」は全て「お金」という対価によって購われたモノです。人から譲ってもらったり、拾ってきたりしたモノでもない限り、たとえメモ用紙一枚であっても何らかの対価を支払うことで「私のモノ」として、今、ここに存在しています。

そして、そう言う対価を支払うために人は働き続けるわけです。このウンザリするような過程を放棄した瞬間、人としての暮らしを成り立たせるための「モノ」は何一つ手に入れることは出来なくなるのです。
そうやって何十年も働き続けることでなんとか人としての生活を成り立たせてきたわけです。

それはあまりにも当たり前すぎるほどに当たり前の事柄なのですが、その当たり前の事を当たり前のこととして成り立たせるために、私たちはどれほどの「辛苦」を耐えてきたことでしょう。

それはもう、両側が切り立ったナイフリッジの上を走り抜けてきたようなものかもしれません。
よくぞ、その途中で足を踏み外して崖の下に転がり落ちなかったものだと感心してしまいます。

ですから、多くの人は「モノ」が溢れる社会の中で、今ある「モノ」以上に新しく「モノ」を手に入れることには懐疑的になり、警戒心を抱くようになっているのです。
テレビのコマーシャルがどれほど「モノ」としての魅力を言い立てても、多くの人は眉に唾するのです。
多くの人はもう「モノ」に倦んでいるのです。

そこで、新しく登場してきた価値が「体験」です。
アナログ再生の復活はこの価値観の転換に、もしかしたら、うまくフィットする可能性があるのです。

確かに、アナログによる再生を体験するためには、アナログ再生を可能にする「モノ」が必要です。
しかし、そこで魅力となっているのはアナログ再生を可能にする「モノ」を手に入れることではなくて、それを手に入れた後にまっている「アナログ再生」の体験です。
そこでは、一見すると「もの」としてのアナログ再生の機器に対価としてのお金を払っているように見えながら、その実は「アナログで音楽を再生するという体験」に対して対価を支払っているのです。

ラックの中から聞きたい一枚を選ぶ行為、選んだレコードの盤面を丁寧にクリーニングする行為、そのレコード盤をプレーヤーにセットして針を下ろすという行為、それら全ての行為が「格好いい」のです。
その「儀式」とも言える一連の行為にこそ魅力があるのです。

さらに言えば、レコードのジャケットを部屋の中にディスプレイする楽しみもそう言う「体験」の中に入ってくるのかもしれません。

横道にそれますが、世の中には世界中のレコードジャケットを集めてデータベース化しているサイトもあるようです。

The World’s Greatest LP Album Covers

レコードのジャケットは格好いいのである!!

さらに、腕が上がってくれば、「ウンザリ」するほどの(^^、そして、この上もなく楽しい「使いこなし」という名の「体験」の世界がひろがっていくかもしれません。

そして、そう言う魅力ある体験の結果として、明らかにデジタルとは違う「不思議な音の世界」がひろがるのです。
ただし、その音はクオリティにおいてデジタルと勝負するような音ではいけません。それはあくまでも、デジタルとは異なる「不思議な音の世界」であることによって、この魅力ある「体験」は完結するのです。

それにしても人間というのは不思議な生き物です。

ワンコにしても、ニャンコにしても手がかかればかかるほど可愛いといいます。
特にワンコなんかは基本的に従順ですから、少し馬鹿で我が儘くらいが一番可愛いのです。
今は空前の猫ブームと言われるのですが、その根っこある魅力は、あのツンデレでなかなか人間の思うように行動しない猫との、ちょっとめんどくさい共同生活にあるのでしょう。

デジタルは音楽再生する「モノ」としては圧倒的な優位さを誇っています。しかし、その優秀さゆえに、どこか人の心をとらえて放さない「面倒くささ」とは無縁の存在です。
ですから、音楽を再生するための「モノ」としてはデジタルがあれば充分です。
それはきっと変わることはないはずです。

しかし、それでは満たされない隙間を埋める「体験」としてアナログ再生が復活しつつあるのかもしれません。

アナログ再生が復活するためには、アナログ再生の何たるかを完全に熟知している事が大切。

こういうサイトをやっていてつくづく感心するのは、アナログとデジタルを対立関係としてとらえる人が多いと言うことです。
その昔、アナログレコードにはもともと20khzを超えるような情報は入っていないと言うことを書いたときは、いわゆるアナログを大切に思っている人からは随分と色々な反論を頂きました。
そして、逆に、アナログの魅力と復活について触れると、今度はデジタルを大切に思う人から色々な意見を頂きます。

ただ、アンケート結果を見る限りは、アナログは死んでいないようです。これは明らかに事実です。
そして、上の文脈の流れを受けて気がつくのは、アナログ再生というのは「無駄な時間」を楽しむ「遊び」だと言うことです。

音楽を聞くのにそんな「無駄な時間」など使っていられるかという人は、「アナログ再生」などは全く持ってナンセンスです。
それは、実に正しい選択肢だと思います。

何度も繰り返しますが、音楽を再生する「モノ」としてはデジタルの方が圧倒的に優位なのですから、「アナログなどいらない、聞かない」という選択は当然なのです。

しかし、そう言う効率性だけでなく、アナログ再生という面倒で手間のかかる「無駄な時間」を楽しみたいと言う人もまた一定のマスとして存在している事も事実なのです。その人達は(私も含めて)、デジタルを捨てて丸ごとアナログに乗り換えようなどとは夢にも思っていないはずです。
ですから、アナログを復活させるために必要なのは、そうした「無駄な時間」を「体験」したいと思っている人の要望に応えることです。
間違っても、コストなどは一切無視してデジタルと対抗するシステムを開発して売り出すことではではありません。

そのために、絶対に必要なのは、デジタルとは全く異なる「不思議な音」の世界をつくり出すことです。
それでは、そう言う「無駄な時間」を体験する「遊び」を完結させるための「不思議な音の世界」とはどのようなものなのでしょうか。

これが、正直言って私もよく分からないので「不思議な音」としか言いようがないのですが、その言わんとしているニュアンスはアナログ再生を取り入れている人には感覚的に分かってもらえると思います。
間違いがないのは、アナログではデジタルとは異なるザックリとした音が出ればいいのだと思います。
そのザックリとした音というのは、アナログ特有の弱点を弱点として受け入れた上で音作りをすることではないかと考えています。

  • プレーヤーが振動を拾って音は歪みます。(ハウリング)
  • 回転のむらによって音は揺らぎます。(ワウフラッター)
  • 針がレコードの内周部に来れば宿命的に音は歪みます。(トラッキングエラー)
  • レコードを針が引っ掻けば溝はすり減って音が変化します。
  • レコードを長く引っ掻けばカートリッジの針も摩耗して音は歪みます
  • 溝は経年劣化でほこりがたまり酷いときは黴が生えます。

おそらく数え上げていけばきりがないほどマイナス要因を数え上げていくことが出来るのがアナログ再生というモノの宿命です。
しかし、そう言うマイナス要因が重なることで、結果としてアナログならではの「不思議な音」の世界がひろがることも事実です。

そして、しつこく繰り返しますが、その不思議な世界をデジタルに対する優位性として主張するのはみっともないのです。
とはいえ、それを「あばたもえくぼ」と言い張るのもみっともないので、「あばたはあばたとして愛でる」スタンスです。

そして、この世の中には、アナログプレーヤーの機構を巨大化してマイナス要因を虱潰しにしていくのではなくて、あばたはあばたとして職人技で調整しながら適正なコストで魅力的なプレーヤーを作る技術を持ったメーカーが存在するのです。
それは、疑いもなく、アナログ再生の何たるかを熟知しているメーカーだと思うのです。

プレーヤーの機構を巨大化してマイナス要因を虱潰しにしていくのは凄い技術力のように見えるのですが、発想がデジタル的です。
おそらく、アナログ再生に必要なのはあばたはあばたとして調整していくアナログ的な職人技なんだと思います。

そう言う意味で、はっきりメーカー名を出してしまいますが、私が実際に聞いた範囲ではラックスマンとテクニクスには大いに期待しています。
特にテクニクスが10万円台で「SL-1200GR」を出してきたのは「画期的」ではないかと考えています。

SL-1200GR

アナログプレーヤーという「モノ」に対する対価と支払う「お金」は、実はその「モノ」に対してではなく、「無駄な時間」を楽しむ「遊び」を「体験」するための対価として支払っています。
ですから、入り口としては、このあたりがぎりぎり上限の「対価」だと思えるからです。

PD-171A

ラックスマンの「PD-171A」はこの数年の間で聞いた中では一番魅力的なプレーヤーでした。それはもうデジタルの音など一切相手にすることのないラックスマンのアナログの世界がひろがっていました。

ただ、50万円近い価格設定だけが残念です。
出来れば、テクニクスのように、この職人技を受け継ぎながらスケールダウンをした製品を10万円台で出してくれないかなと期待しています。

しかし、そう言う機首よりもさらに安価なアナログプレーヤーも供給されるようになってきました。
当然の事ながら、そう言う機種だとデジタルと勝負するような音は最初から無理ですが、それはそれなりに「不思議な音」の世界は完結します。

ONKYO CP-1050 再生品質にこだわって開発したというモデル、実売で40000円を切る

もちろん、これによって、一度は実質的に亡んだ「アナログ再生」が急激にV字回復するとは思っていません。
しかし、アナログレコードの生産再開を決めたソニーとうまくマッチアップして魅力的なソフトが安定して供給されれば、緩やかであっても音楽再生の一つのフォーマットとして復活するのではないかと期待しています。(この項、終わり)

<追記:8月24日>

心が風邪をひいた日

NHKの名盤ドキュメントで人気が出たのか、太田裕美の「心が風邪をひいた日」のアナログレコードが完全生産限定盤でこの9月に発売されるそうです。
ただし、価格設定が4860円という事になっています。

この放送以来、中古市場でもこのアルバムの価格が急騰したことをふまえた上での値付けだと思うのですが、こういう形で「商売」をしていたのでは、せっかく盛り上がりつつあるアナログ復活の流れを台無しにしてしまいます。
ちなみに、高騰する前はコンディションのよい中古盤でも1000円前後だったはずです。

だから、1000円前後でリリースしろとは言いませんが、話題になったことをいいことにその場限りの一儲けしようという魂胆が丸見えです。
ただし、クラシック畑のアナログレコードの再発も似たような価格設定をしているので、「そう言うものだ」という発想はあるのかもしれません。

しかし、この「発想」を根本から変えない限りはアナログの復活はないでしょう。
ソニーは年内にもアナログレコードの発売をはじめるとアナウンスしているのですが、そのタイトルと値付けで、概ね今後の動向は見極めがつくかと思います。

でも、この動きを見ていると、「アナログの復活はあるか」と問いかけたものの、お先は暗いかもしれません。


10 comments for “アナログの復活はあるのか(4)

  1. 林忠志
    2017年8月22日 at 10:58 PM

    初めてメールします。林と申します。
    今回の記事を読んで真っ先に思い浮かべるのは蒸気機関車です。
    私は小学生のころ、田舎に帰る時は蒸気機関車でした。
    トンネルに入ると煙が充満し、夏には窓を開けていますので、
    窓を閉めるのが遅れると煙が入ってきます。煙いです。
    それから蒸気機関車は運転を取りやめ、ジーゼルになり、今は電車が走っています。
    蒸気機関車は期間限定で走る観光資源になりました。

    アナログレコードの時代。
    腕時計をしていて、レコードをジャケットに収めるときに傷をつけてしまいました。
    扱いにくい代物です。

    CDの時代になって、プレーヤーも無くなりました。

    マーラーの曲を聴くときには、cdの入れ替えが面倒で、USBを使います。
    もうレコードを聴くことはないと思います。

    もっと言うとサイズがでかいです。
    昔のレコードのサイズでバーンスタインのCDをHMVで購入しましたが、
    じゃまなので中身は別の容器に入れています。

  2. yk
    2017年8月23日 at 12:52 AM

    LP復権がどれほど安定して継続するのかは、未だ良く判りませんが、ハード、ソフト共に上向きになりつつあることは確かなようですね(ex. https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170819-00000015-mai-bus_all).
    このニュースでもLP復権の重要要素として”音の良さ”ではなく”ジャケットのビジュアルのよさ”とか”LPをかける手間”を上げているのは、妥当な分析だと思います(更に、このニュースではLP復権の立役者はアナログにノスタルジーを感じる老年世代ではなく30代を中心とする寧ろーLP時代を知らないー若い世代だというのも私は結構納得です)。
    私は未だに古いLP及びその再生系を維持していますが、その主たる理由は、”LPの良さ”を信じ確信して・・・・ではなくて、単に手持ちLPの全てをCDに置き換えることが経済的、物理的に出来なかったから・・・というところでした。勿論、未だCD化されていない音源のLPを海外のサイトなどで見つけて購入する・・・と言う楽しみはありますが、それもすぐCD-Rに焼き付けて日頃はそれを聴く・・・と言う蛮行に及んでいるのでとても”アナログ派”とは言い難い。
    yungさんが挙げているLPの欠点(+LPでは避け難いプチパチ・ノイズ)は、まさに私(我々?)がLPからCDに移行した理由でもあることを考えると、昨今のLP復権は聊か皮肉でもあります。しかし、この期に及んで考えると、LPの魅力(不思議な音?)にはこれらのLPの欠点そのものが寄与しているのではないかとも考えるようになりました。それは、”音楽の一回性”とでも言う要素をこれらのLPの欠点が”再生音”に付加しているともいえるからです。勿論、再生系全体で見ればCDを初めとするデジタル音源においても完全な再現性が得られるわけではないでしょうが、それは事実上我々が(少なくとも音楽鑑賞をしている限りにおいては)通常は十分見過ごす範囲にあるといって良いでしょう。しかし、LPにおいてはハウリング、ワウ、盤・針の磨耗・経年劣化、それに勿論プチパチ・ノイズ・・・のいずれもが、再生音の完全な再現性を(多かれ少なかれ人間の耳でも感じえる程度に)妨げる・・・・と言う意味で、LPの再生音にはある種の”一回性”がアル様に感じます。音楽鑑賞における”一回性”の問題は、それほど簡単に結論を出すことの出来る問題ではありませんが、人間が”音楽を聴く”と言う行為の中では無視できない要素であることには違いありません。おそらく一回性は”音楽を聴く”ことのリアリティーに関係する要素ではないかと私は想像していますが、ソウ思うとLPのあの不安定な再生音にも独特の魅力がある理由(少なくともその一端くらい)が判るような気がしますね。

  3. toshi
    2017年8月23日 at 2:58 AM

    アナログとデジタル・・・オーディオだけでなく写真の世界も同じような状況ですね。
    音源や写真のデータを上手く使いこなさないと良いものは出来ないというアナログの
    欠点がありますが、ただデジタルデータは「0」か「1」しかありません。
    データの保存が悪ければデータ自体が「0」になる恐ろしさをもっと頭に入れておく
    必要があるでしょうね。アナログは古いデータでも100%ではなくても復元できますが、
    デジタルは・・・古いフィルム写真の復元や古い録音が復元できるのもアナログならでは。

    仕事でデジタルデータが吹っ飛んで痛い目に会っている人間にとっては
    切実です。デジタルはお手軽で再現性は高いのですが…
    古い録音を楽しめるのはアナログならでは、と思います。

  4. yung
    2017年8月23日 at 8:13 PM

    色々コメントいただきありがとうございます。
    今日も夕方のニュースの特集として「アナログレコードの復活」が取り上げられていたようです。(残念ながら所用があって見逃してしまいましたが・・・^^;)

    LP復権の立役者はアナログにノスタルジーを感じる老年世代ではなく30代を中心とする寧ろーLP時代を知らないー若い世代だというのも私は結構納得です

    上でも書いたのですが、そう言う若い人たちの感性に触発されて、ぼちぼちと中高年の層が動き出すのではないかと感じています。購買力という点では最もパワーがありますから、そのあたりが動き出すと面白いことになるのではないでしょうか。

    デジタルデータは「0」か「1」しかありません。
    データの保存が悪ければデータ自体が「0」になる恐ろしさをもっと頭に入れておく
    必要があるでしょうね。

    これも全くその通り、ですからCDをリッピングしてもCDを処分できる人はいないのですね。
    やはり何らかの形として残しておく必要があります。
    その時に、CDとCD-Rでは雲泥の差があります。
    私が所有しているマイナーレーベルのCD-Rで、既に読み取り不可になっているものが幾つかあります。

    その意味では、色々問題は指摘されながらもCDの「もの」としての優秀性は大したものだと思います。

    ただ、アナログレコードのジャケットの魅力だけは、どうしても凌駕できませんね。

  5. Titanic
    2017年8月24日 at 2:35 AM

    出遅れてしまいましたが、一言コメントを残したくて失礼いたします。
    オーディオを再開したときに、アナログレコードをいまだにプレーヤーで再生している方々がいるということに驚いたことを思い出します。

    小生にしてみれば、アナログ再生はレコードの管理やプチパチノイズなど、音楽に集中できない要素ばかりで、当時もいったんテープに入れそれをマスターにして聞いておりました。手間も減りますし、曲送り戻しもそれなりにできましたし。

    ですのでCDが出たときにはさっさとCDに移行してしまい、今ではデジタルデータがメインのPCオーディオを楽しんでます。データー保存(バックアップOK)面や曲の検索面でPCオーディオは圧倒的に優位だと感じております。

    ただ、一方で当時のオープンやカセットのデッキも結構台数があるのですが捨てられずにおいております。メンテナンスがかなり大変な上に聞くことはほとんどないのですが、捨てられません。確かにバイアス調整したりテープを選択したりと音楽を聴くことよりも「いじくること」が楽しいのかもしれません。TVでは最近若い人たちの間でのカセット復権が報道されてますが、どうもラジカセで聞かれているようで、Yungさまの言われるように一種のファッションで盛り上がっているのではないかと感じております。

    小生、車もすきなのですが、走る、移動することよりもいじくることが楽しいという意味で、いわゆる旧車好きの人たちに通じる部分があるのかもしれません。(といって小生も旧車とは言いませんが30年近い古い車を何台か維持しております。クルマ本体にはあまり手を加えていませんがオーディオカーとしている部分ではやはりいじくることが楽しいのかもしれません。正直あまり乗りませんし。)

    ただ、趣味のアナログについて前向きに評価されておられるyung様が、ハイレゾについては従来からあまり評価されていないのは少しいぶかしく感じております。音が少し悪くてもそれが趣味の世界だとするならば、逆に音質をとことん追求するのも趣味の世界ではないかと感じます。正直アナログに比べるとダウンロードするデーターの値段の差だけなので金額的にはたいしたことはないかと思うのですが。。。(そもそも今のアナログレコードのほうがハイレゾのデータよりもよっぽど高額です。)

    ハイレゾの販売方法が問題だと感じてておられるのでしょうか?(それならばアナログの販売方法=キャッチフレーズや金額はもっとひどいと思っているのですが)

    色々な考え方はあるのでしょうが、ダウンロードでデーターが入手できるハイレゾは手間もかかりませんし、小生的にはありがたいと感じております。(ただ、あまりにも音源が少なく、聞きたい演奏家のデーターがないことと、販売経費がほとんどかからない割には高額なことは不満に感じておりますが。)

    いかがでしょうか?

    • yung
      2017年8月24日 at 7:21 AM

      ただ、趣味のアナログについて前向きに評価されておられるyung様が、ハイレゾについては従来からあまり評価されていないのは少しいぶかしく感じております。

      これについては以前にかなり詳しく考えを述べたことがあります。
      まず、古い音源をハイレゾ化して製品化することはほぼ無意味です。もとから20Hzを超える情報はマスターテープに入っていないからです。
      さらに言えば、新しい録音でも、マイクの特性から言って、これもまた20kHzをこえる情報はほとんどはいっていません。ハイレゾ録音と言っても、録音現場で使われるマイクの周波数特性が20kHzを少し超えたくらいです。もちろん、測定用のマイクなどでは100kHzを超えるようなものもありますが、録音では使いません。何故ならば、録音現場では「録音」をするのであって「測定」をするわけではないからです。
      また、もう少し上の周波数まで拾えるマイクもあるようですが、やはりクオリティの問題で使うことに躊躇いがあるようです。
      ですから、正直なエンジニアはハイレゾの効用として20kHを超える情報を再現することではなくて、20kHzまでの情報をより正確に再現することだとのべています。

      結局、この20kHzを超える周波数云々の話はアナログ再生の「偽りの優秀性」に対抗するために出てきた話であって、それを「ネガ」のように裏がしただけの話です。

      つまりは、現状ではいたずらに「ハイレゾ」に走る前に、CD規格にきちんと向き合ってその可能性を汲み尽くす事の方が重要ではないかと考えている次第です。
      そう考えれば「あまりにも音源が少なく、聞きたい演奏家のデーターがないことと、販売経費がほとんどかからない割には高額なこと」は致命的なような気がします。

      特に古い音源をハイレゾ化したようなデータなら、CDからリッピングしたデータを自分でアップサンプリングしたものと大差ないはずです。フルトヴェングラーのハイレゾ音源なんてのはもうホラーかお笑いの世界です。
      私の場合、聞きたい音源はほとんど古い録音なので、基本的にはこれで充分です。
      実は、いろいろやってみたあげく、現状は「TinyCore+MPD」で「24bit 176.4kHz」にアップサンプリングして、それを「ESOTERIC D-07X」でDSD変換をして聞くことを基本にしています。

      ですから、ハイレゾには全く否定的と言うことではないのですが、クオリティと品揃えとコストの問題で、金払ってまで買うレベルには達していないと判断しています。
      最低限、この三つの課題の内最低2つくらいはクリアしてくれないと、手が伸びる事はないと思います。
      しかし、そのクリアは限りなく不可能なようなので、おそらく「安楽死」に向かうのではないかと考えています。

  6. yk
    2018年10月5日 at 2:08 PM

    勿論まだ”宣伝臭”フンプンの話ではあり、実物を聴いたわけでもないので”噂”程度ですが、”雑音”とLPの音の良さ(と称するものの実態)の関係に興味のあった私にはちょっと面白い話です。
    https://www.sony.jp/feature/products/vinyl/?s_tc=jp_ml_msmg_feajrny_181004_03&utm_medium=ml&utm_source=msmg&utm_campaign=181004

    エジソンからデジタル時代まで基本原理に変化のないスピーカーと言う空気振動発生の”機械”部分の物理運動特性に雑音が影響しているかもしれん・・・と言うオーディオの話としては極原始的な薀蓄は、従来のアナログ・デジタルの周波数帯域の違いだとか相互変換に纏わる誤差、etc. etc. の諸説に比べると(ひょっとすると・・・と言う)一般性・信憑性があるような気がしないわけでもありません(まだ、眉に一杯唾をつけて聞く段階ですが・・・・)。

    • yung
      2018年10月5日 at 8:52 PM

      CDが離陸して間もない頃に、20KHz以上の領域にノイズを発生させるという機器がどこかのガレージメーカーから発売されてそれなりに話題になりました。
      記憶が曖昧で具体的な機種を思い出せないのですが、どなたかご存知の方はおられないでしょうか?
      確か「ハーモネーター」とかそんなような名前だったような気がします。

      ご指摘のサイトをクリックしてみるとそれが「Sony」だったので驚いてしまいました。
      やっていることはおそらく30年以上前にそのガレージメーカーがやっていたことと基本的には変わらないのだろうと思います。

      ただし、「音がよい」というのは煎じ詰めれば感覚的な話ですから、数値として客観的に比較できるようなものではありません。
      私などは、率直に行って、アナログの音というのは「クオリティ」は低いけれど、デジタルにはない「心地よさ」があると思っています。ですから、のんびりと音楽を聞きたいときはアナログで聞くことが多いです。
      そして、その「心地よさ」を「良い音」と信ずるならば、それは「音質改善」と言うことになるのでしょう。

      アナログとデジタルに関してはすでに何度もふれているので、しつこくは繰り返しませんが、間違いがないのはアナログは20KHzまで正確に再生することはほぼ不可能だということです。そして、44.1KHz 16bitというCD規格であっても、デジタルならば20KHzまでは完璧に再生できると言うことです。
      しかし、アナログの場合は17KHz~18KHあたりからはノイズ領域になるのですが、そのノイズ領域の音がかなり高域まで含まれます。そして、そのノイズ領域が聞き手に「心地よさ」を感じさせる要因である可能性が高いのです。
      ですから、デジタル信号にそう言うノイズ領域を重ねるという「汚し」を施せば、デジタルの音がアナログらしく聞こえるのかもしれません。

      ですから、それほどの「とんでも情報」ではないようには思われます。

      • yk
        2018年10月6日 at 12:00 AM

        ”ハーモネーター”と言う名前は兎も角、ソウ言われると類似の話を(大)昔どこかで聞いたような気もしますが、私は事実上完全に忘れておりました。
        このSONYのサイトは読んでいくに従いドンドン(従来のアナログ神話に似た?)胡散臭さが増していくのはご愛嬌ですが、雑音をスピーカ(或いは類似の空気振動発生膜)の運動特性の話に結び付けている所が味噌といえば味噌でしょう。回路内の純電気信号自身でさえ0信号状態から一定の信号値に達するまでの過渡特性と言うのは完全に制御することは難しいことを思うと、スピーカーと言う馬鹿でかい質量を持つ振動膜の電気ー運動変換に関る過渡特性はオーディオ信号系の中でも最も制御がいい加減になっているところではないかと思われる。
        ソレを予め雑音と言う形で信号を与えて0信号状態から外して少しでも振動膜の初動感度を上げておくと言うのは(新たな?)面白いアナログ寓話ではある。
        ・・・・しかしだからと言って、それで”音が良くなる”と言うのは少し(大いに?)御都合主義的で胡散臭いところでしょうね・・・・何しろ与えるのは雑音と言う一種のランダム信号なので、与えられた振動膜の予備運動が目的信号の再生に都合の良い(良い音に寄与する?)ものかどうかは全く保証されている訳ではない・・・とも言える。それに、デジタル再生系の無信号状態と言っても、実際は(系を絶対0度にでもしない限り)0信号ではなくて何がしかの雑音は入っていて、スピーカーの振動膜もマイクロあるいはピコ・メーター単位では雑音振動をしている筈なので、電気ー運動変換の過渡特性と言っても完全0信号状態からのそれでは無く、(仮に)雑音による初動感度の向上があるとしても(ソレが”良い音”と同値かどうかは不問として・・・^^;)その効果には明らかに雑音レベルの閾値があると思われますが、そのあたりの話もSONYのサイトは随分いい加減なところがあるようです。

  7. 如月
    2018年10月8日 at 1:36 PM

     一種の汚しが良い音につながるというのは、経験的に納得できます。今私の聞いている音源は、ほぼ全てがレコードからリッピングしたものです。昔のデジタル録音の黎明期に、デュトワとモントリオール響がエスターシャ教会で録音したCDは、当時の記憶として良い音でした。ふと思い出して探してみると、これはレコードも発売されていて簡単に手に入ります。

     そこで「アルルの女」をデシタル化して聞いてみたら、悪くはないとしてもRCAの50年代後半のステレオ黎明期の録音の方が、遥かに良い音です。好みの問題ではありますが、より音楽的に聞こえるのは間違いがないです。デュトワは所謂デジタル的ではないものの、冷たい感じがして聞いていてあまり楽しくありません。寒色系の「アルルの女」といった雰囲気で、もっと暖色的に響いてほしいのです。

     そこで、レコード程ではないけれど、CDの量子化ノイズよりは大きめのホワイトノイズを意図的に足してみると、かなり暖かい感じとなりました。人の目は、真っ暗闇に点光源があると、止まっていても動いているように見えます。昔の蛍光灯の点灯用の紐は、先端の蛍光塗料が、電気を消した跡は確かにユラユラしているように見えました。

     音も同じで、何かしらの基点になるような僅かなノイズがないと、なにやら不安な感じがするのかもしれません。レコードのサーフェスノイズ程度の暗騒音は、むしろあった方が良い音と認識する可能性はあります。暖かさを感じます。実際のコンサート会場も、僅かな暗騒音のようなものはやはりありますので、デシタル録音の完璧な無音は却って有害なのかもしれません。

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