モーツァルト:ホルン協奏曲 (Hr)バリー・タックウェル:ペーター・マーク指揮 ロンドン交響楽団 1959年11月&1961年4月録音(Decca 476 9700:Eloquence)
ブラームス晩年のピアノ小品の次がモーツァルトのホロン協奏曲というのは、本当に何を考えているんだと言われそうです。
モーツァルトのホルン協奏曲は、極めてシンプルな楽器構成です。
- 第1番ニ長調 K.412+K.514:弦楽合奏+オーボエ2本・ファゴット2本
- 第2番変ホ長調 K.417:弦楽合奏+オーボエ2本、ホルン2本
- 第3番変ホ長調 K.447:弦楽合奏+クラリネット2本、ファゴット2本
- 第4番変ホ長調 K.495:弦楽合奏+オーボエ2本、ホルン2本
管楽器は彩りをそえるだけで、基本的には弦楽器の伴奏の上をホルンが歌っていくというスタイルです。全体の響きはシンプルそのもので、これで「優秀録音」云々はないだろうと言われそうです。
しかし、こういうシンプルさこそ誤魔化しがきかないものであって、そのシンプルさの中にある微妙なニュアンスをどれほど上手くすくい取ってくるかが録音エンジニアの腕なのです。
さらに言えば、ホルンという楽器の響きは、演奏者の息づかいまでが伝わってくるような微妙なニュアンスが再生できなければその良さは分かりません。
特に、弱音でホルンを鳴らすというのは演奏者にとっては至難のことであって、そう言うきわめて繊細で微妙な響きを上手く再生できるかどうかは、音楽全体の印象を全く別物に変えてしまいます。
「私は音楽を聞くのであって音を聞くのではない」という一見真っ当なスタンスに対して、そこから一歩踏み込んでみる事で、そのスタンスの中に大きな陥穽が待ち受けていることを教えてくれる録音でもあるのです。
そして、Kenneth Wilkinsonと言う人は、とかくスター・ウォーズやショルティ&シカゴ響の「超優秀ブッチャキ・サウンド」とセットで語られることが多いのですが、それとは真逆のこういう繊細な音の表現でも腕を発揮した人であることを知ってほしいのです。
また、この録音で面白いのは、時を隔てて2曲ずつ録音されていて、その違いをはっきりと聞き取れることです。
(Hr)バリー・タックウェル:ペーター・マーク指揮 ロンドン交響楽団 1959年9月録音
- 第1番ニ長調 K.412+K.514
- 第3番変ホ長調 K.447
(Hr)バリー・タックウェル:ペーター・マーク指揮 ロンドン交響楽団 1961年4月録音
- 第2番変ホ長調 K.417
- 第4番変ホ長調 K.495
録音会場はともに「Kingsway Hall」です。
このホールはEMIがよく使っていたのですが、録音特性がとてもよいホールなのでDECCA御用達のホールでもありました。ちなみに、Kenneth Wilkinsonがスター・ウォーズの録音を行ったのもこのホールでした。
まず、1959年に録音された2つの協奏曲なのですが、ホルンの伸びやかでふっくらとした響きはそれなりに捉えられています。
弦楽合奏をバックにホルンが歌うというスタイルなので、ホルンの響きはやや大きめにはっきりと捉えられていて、響きの芯はしっかりとしていながら繊細な部分も上手くすくい上げています。
しかし、全体として少しばかり響きが硬いように思われます。
とりわけ、弦楽合奏の響きが時に神経質に聞こえる場面もあって、それはおそらく独奏楽器であるホルンとの兼ね合いで犠牲にした可能性があります。
この辺りがほぼワンポイント録音によって協奏曲というスタイルの音楽を録音する難しさなのでしょう。
マルチ録音と違って、ワンポイント的な録音(この場合で言えば、いわゆる「Decca Tree」というスタイル)では、録音してからの編集で楽器間のバランスを補正することはほぼ出来ません。
ですから、ホールの音響特性が優れていること、演奏家が実際の演奏の中で完璧なバランスを実現すること、そして、その結果実現した響きを過不足なく捉えることが出来る録音エンジニアのセンスと腕が全て高いレベルで融合する必要があるのです。
そして、その事がこの59年の録音では足らざる部分があったと言うことです。
ですから、もしもこの年に4曲まとめて録音されていれば、ここで優秀録音としてあげることもなかったでしょう。
幸いなことに、ほぼ1年半という時間をおいて、1961年4月に残された2曲が録音されることになりました。
録音会場は変わっていませんから、ここで変わったのはマークとタックウェルによる演奏のクオリティとKenneth Wilkinsonのマイクセッティングを中心とした録音の腕のセンスでしょう。
ここでは59年録音でいささか不満に感じた部分はほぼ解消されています。
マークとフィルハーモニア管は硬めの神経質な響きを出すこともなく、自然なプレゼンスで独奏楽器のホルンをサポートしています。その響きは取り立てて優秀さを誇示するような響きではないのですが、このように伴奏に徹している協奏曲のオケとして好ましい佇まいだと言えます。
そして、1年半という時の隔たりは20代だったタックウェルにとっても短い時間ではなかったようで、そのホルンの響きはより伸びやかで豊かなものに変貌しています。とりわけ、ホルンにとっては至難の業である弱音部の美しさは見事です。
そして、その変化の背景にはKenneth Wilkinsonの腕とセンスも貢献していることは間違いありません。
録音会場の違いを聞き分ける
さらに、このコンビで面白いのは、同じ組み合わせで「セレナード第8番 ニ長調 K.286 4つのオーケストラのためのノットゥルノ」という作品を異なったホールで録音していることです。
「4つのオーケストラのためのノットゥルノ」とは、何とも凄まじいタイトルなのですが、決してベルリオーズのような音楽をモーツァルトが書いたわけではありません。
そうではなくて、ここでの4つのオーケストラというのはホルンとヴァイオリンが2人、そこにヴィオラとバス楽器からなる小さなグループのことを意味しています。
モーツァルトはこの4つのグループのうちの3つに「第1エコー」「第2エコー」「第3エコー」という名前を与えていて、特別な名前を与えられていないメインのオケをエコーグループが追いかけて模倣するような構成にしているのです。
そして、その追いかけ合いの効果がこの作品の魅力になっていて、モーツァルトはその追いかけ合いや重なり方に微妙な変化を阿建てることで音楽が単調になることを防いでいます。
この録音が面白いのは、そう言う効果を最大限に発揮するために、Kenneth Wilkinsonは「Kingsway Hall」ではなくて、結婚式ならば400人分のテーブルをセッティングすることが可能という「walthamstow assembly hall」を使用していることです。
このホールも音響特性に優れていることで知られているのですが、「Kingsway Hall」よりは一回り大きなホールのようです。
この作品のメヌエット楽章ではホルンが追いかけ合いをする場面はあって、そこでは協奏曲的な面白味を感じ取れる音の拾い方になっています。しかし、それは部分的なものであって、基本的にはホルンは独奏楽器ではないので協奏曲形式がもたらす難しさからはフリーになれています。
その事は割り引く必要があるのですが、それでも広い空間いっぱいに立体的に広がっていく「4つのオーケストラ」の響きは見事です。
そして、その響きからは録音会場の違いがはっきりと聞き取ることが出来ます。
おそらく、この一連の録音をKenneth Wilkinsonの優秀録音として取り上げる人は殆どいないでしょう。
しかし、おかしな言い方になるのですが、録音エンジニアの欄に「Kenneth Wilkinson」とクレジットされていれば、それは間違いなく聞くに値する録音です。
そして、その録音は再生する側に多くのものを要求するのですが、同時に、真面目に音楽再生に取り組むものにとっては多くのことを教えてくれる録音でもあるのです。
ただし、最後に一つ言い訳をしておく必要があるのは、ここで配布している音源は「Eloquence」シリーズからの復刻盤からのものであることです。
このシリーズの録音クオリティには色々と批判もある事は承知しているのですが、この録音に関してはそれほどの問題は感じなかったので取り上げました。
しかし、Deccaからリリースされている音源ならばさらに優秀な音が期待できる可能性はあります。