ピアノ協奏曲というのは録音する側から言うと厄介な問題がいくつもあります。
その際たるものがオーケストラとピアノのバランスです。
さらに、そのバランスを保ちながらピアノはピアノに相応しい冴えわたった響きを保持してほしいと思います。
当然の事ながら、オーケストラはオーケストラに相応しい音響空間の中で鳴り響いてほしいですし、さらに言えばそう言う音場感の中でそれぞれの楽器のボディ感も感じさせてほしいという贅沢な要求が次々に生まれてくるのです。
当然の事ながら、それぞれの要素を単独で実現することはそれほど困難でははありません。
ピアノを独奏楽器とした作品を、ピアノに相応しい響きでもってすくい取った録音は数多く存在します。オーケストラに関しても事情は同様です。
しかし、この二つが同居してそのバランスを保持しながら、それぞれの「実」も確保するというのはそれほど容易なことではなかったようです。
特に、独奏楽器がピアノの場合は、それ以外の楽器による協奏曲と違って、オーケストラと互角の勝負を強いられる場面が数多く存在します。
オーケストラが目一杯に鳴らしきられ、それに対してピアノもそれを突き抜けていくように鳴り響く場面が登場するのがピアノ協奏曲というものです。
言うまでもないことですが、ピアノ以外の独奏楽器がその様な「過酷」な場面に出会うことは絶対にないのです。
それは、唯一フルオーケストラを相手に一人で勝負できる性能を持ったピアノならではの宿命なのですが、その宿命は録音する側にも宿命となって覆い被さってきます。
そして、その宿命は、ワンポイント録音ならばより深刻な宿命となってしまいます。
何故ならば、ワンポイント録音ならば、編集の段階でピアノとオーケストラの音量バランスを調整することはほぼ不可能だからです。ワンポイント録音という手法は、ことバランスに関しては録音会場で鳴り響いている音響がすべてであり、それが「ヘボ」ならば、その「ヘボ」のまま固定せざるを得ないのです。
当然の事ながら「録音」する側が「ヘボ」であっても事情は同様であり、それもまたその「ヘボ」は覆い隠しようがないのです。
ですから、ワンポイント録音で優れた結果を残そうと思えば、優れた演奏家の力量、優れた音響特性を持った録音会場、そしてそこで実現した響きを過不足なくすくい取れる録音エンジニアの腕とセンスが合わさることが必要なのです。
そして、そう言うものが極めて高い次元で実現したワンポイント録音の例としていつも持ち出されるのが、RCAのLewis Laytonが録音したショパンのピアノ協奏曲第2番でした。
ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21 (P)アルトゥール・ルービンシュタイン ウォーレンスタイン指揮 シンフォニー・オブ・ジ・エア 1958年1月20日録音
それにしてもこの録音は、オケとピアノのバランスが絶妙です。
そして、オーケストラの音場の自然の描き方、一つ一つの楽器のクリアなとらえ方など、まさに最近の録音と比べても全くひけをとりません。優秀録音が多いリビングステレオのシリーズのなかでも屈指の名録音と言えるでしょう。
そして、これを一つのスタンダードとして評価の基準に据えてみれば、Kenneth Wilkinsonがカッチェンと組んで行ったベートーベンのピアノ協奏曲もひけをとらないクオリティを保持しています。
ベートーベン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37 (P)ジュリアス・カッチェン ピエロ・ガンバ指揮 ロンドン交響楽団 1958年9月16日~17日録音(ジュリアス・カッチェン・デッカ録音全集 CD4)
この二人が一番最初に取り組んだベートーベンのピアノ協奏曲の録音です。ともに1958年の録音ですが、レコードとしてリリースされたのはルービンシュタインのショパンが1958年、カッチェンのベートーベンが1959年です。
Kenneth WilkinsonがLewis Laytonのショパンの録音を聞いていたのかどうかは分かりませんが、カッチェンとの録音は9月ですからできたてほやほやの新譜としてLewis Laytonのショパンの録音を聞いていた可能性はあります。
こういう録音エンジニアというのは他のエンジニアの仕事ぶりにどれくらい注意を払っているのかは分かりませんが、EMIのレッグは自社の録音がDeccaに対していつも劣っていることを気にしていて、Deccaが使用している録音用マイクを取り寄せたというエピソードも残っていますから、それほど無頓着ではなかったと見るのが妥当なのでしょう。
さらに言えば、RCAはヨーロッパでの録音はほぼすべてDeccaに丸投げしていましたから、両者は非常に親密な関係にあったわけです。色々な面で、それなりの情報の交換と共有はあったのでしょう。
また、このカッチェンの録音は、ベートーベンの5曲をすべてKenneth Wilkinsonが担当をしたわけではありません。1番、3番、5番という奇数番号はKenneth Wilkinsonが担当しているのですが、2番と4番という偶数番号はArthur Lilleyが担当しています。
録音のクレジットは以下の通りです。なお、オーケストラと指揮者はすべてピエロ・ガンバとロンドン交響楽団です。ちなみにプロデューサーは最初の3番だけがMichael Bremmerで、残りはすべてRay Minshullです。
- ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37 1958年9月16日~17日録音(Kenneth Wilkinson)
- ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品19 1963年6月17日~19日録音(Arthur Lilley)
- ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58 1963年6月17日~19日録音(Arthur Lilley)
- ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」 1963年12月15日&18日録音(Kenneth Wilkinson)
- ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15 1965年1月18日~20日録音(Kenneth Wilkinson)
同じソリスト、同じ指揮者と同じオーケストラ、そして同じ録音会場と、おそらくはほぼ同じ録音機材を使いながらエンジニアだけがちがと言う録音です。
そして、エンジニアが変わるだけで、これほども「音」が変わるのかという驚きを与えてくれるシリーズになっています。
Arthur Lilleyの録音ははっきりとピアノ優先の録音です。ピアノの響きはオーケストラと較べればオン気味ですし音像もいささか大きめです。どちらかと言えばプアなシステムで再生したときにちょうどバランスが取れているような音づくりになっています。
ただし、然るべきシステムで再生すれば、そのピアノとオーケストラのバランスはいささか歪であり、Kenneth Wilkinsonのようなすっきりとした自然な佇まいとはかなり異なっています。
Arthur Lilleyと言うエンジニアは、私の中ではDeccaの「フェイズ4ステレオ」を推し進めた中心的人物として記憶されています。
「フェイズ4ステレオ」とは、20チャンネルのマルチ・マイク・システムで収録した音を特別なミキサーを通してアンペックスの4トラック・レコーダーで録音し、さらに2チャンネルのステレオにミックスダウンするという手法です。
録音の思想としてはDeccaの伝統だった「Decca Tree」に代表されるワンポイント的な録音とは真逆のものでした。
「フェイズ4ステレオ」の録音手法は1963年にデッカ・アメリカが開発したものですから、この63年のカッチェンとの録音の時も、ワンポイント的な録音ではなくてマルチ・マイク的な録音手法をとっていたのかも知れません。
そして、録音段階でピアノとオケのバランスが絶妙にすくい取れるようなマイクセッティングに神経を費やすことなく、編集の段階でいかようにでも調整できることのメリットを感じていたのかも知れません。この録音からは、その様な編集段階でいじり回したような雰囲気がぷんぷん臭ってきますし、エンジニア自身もそれで良しとしていたのではないでしょうか。
ただし、もしかしたらカッチェンはその「音」が納得できなかったのかも知れません。
これは、全く想像(妄想?)でしかないのですが、Arthur Lilleyがエンジニアを務めることで僅か3日間で手際よく2曲も録音できたにもかかわらず、残された1番と5番に関しては日を改めてKenneth Wilkinsonがエンジニアを務めているからです。
Arthur Lilleyの音づくりで納得してれば、そのままのやり方で残り2曲も手際よく録音を済ませたはずです。
しかし、カッチェンは時間をかけて残る2作品を録音しているのですから、Arthur Lilleyのやり方ではなくてKenneth Wilkinsonのやり方を選んだと見てもそれほど外してはいないでしょう。
実際、このコンビで最後に録音した第1番の協奏曲の録音は見事な仕上がりです。
ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15 (P)ジュリアス・カッチェン ピエロ・ガンバ指揮 ロンドン交響楽団 1965年1月18日~20日録音(ジュリアス・カッチェン・デッカ録音全集 CD3)
おそらく、この録音では最初に述べた悩ましい問題のほぼすべてがクリアされているように感じられます。
もちろん、ロマン派の協奏曲のようにオーケストラがピアに覆い被さってくるような場面は少ないので、その部分に関しては困難度は小さいことは事実です。しかし、ここでのピアノとオーケストラのバランスの自然さは絶妙と言うほかありません。
しかし、それ以上に驚かされるのは、その様な自然なバランスを保持しながら、オーケストラが鳴り響く音場が見事に再現されていることです。
58年に録音した3番では、ピアノの冴え冴えとした響きは見事にとらえられていましたが、オーケストラが鳴り響く音場は2次元的で平板でした。
いや、もっと正確に言えば、この65年に録音された第1番の協奏曲録音を聞くことで、それがかなり平面的な音場で鳴り響いていたことに気づかされたのです。
しかし、この65年に録音された第1番の協奏曲では、オーケストラは見事なまでの3次元空間の中で鳴り響いていますし、ピアノはそのオーケストラに対して完璧のバランスの中でカッチェンならではの冴え冴えとした響きを実現しています。
そして、その見事なまでのバランスと立体的な音場表現に接していると、もしかしたら禁欲的にワンポイント的な録音にこだわるのではなくて、ある程度は補助マイクを多用して足らない部分を補っているかも知れないような気がします。
そう言うときに、いつも残念に思うのは、演奏家に関する情報やエピソードはそれなりにクレジットされるのに、録音に関してはエンジニアやプロデューサーの名前がクレジットされるだけで(クレジットがあればまだましなほう)、どのように録音したのかという詳しい情報などは殆ど記載されていないことです。
しかし、それでも58年から65年にかけて、全く同じ顔ぶれで行った3つの録音を通して、Kenneth Wilkinsonほどの天才でもそのような経験の中で進歩していくんだと言うことを確認できたのは幸運でした。