バッハ:無伴奏チェロ組曲~(Cello)エンリコ・マイナルディ:1954年録音

モノラル録音を取り上げる前口上

「優秀録音云々」と看板を掛けながら、1954年のモノラル録音を持ってくるのはおかしいだろうという声が聞こえてきそうです。(^^;
ですから、前口上としてモノラル録音を取り上げた理由について少しばかりふれておきます。

「ステレオサウンド」誌でも、ハードだけでなくソフトについての特集が随分増えてきたように思います。
オーディオというのはハードとソフトが車の両輪として成り立っているのですから、再生機器というハード面ばかりに力点が置かれるような状況よりはいい方向に向かっているかと思われます。

Enrico Mainardi

ただし、その背景として、ハード面において大きなブレークスルーを引き起こすような提案があらわれてこないという事情もあるのかもしれません。
そして、その事はPCオーディオの分野においても同様です。

PCにオーディオインターフェースを組み込んで外部のオーディオ機器に繋ぐという「原初段階か」から、LinuxベースのPCに「MPD」を組み込むまでの間というのは、めまぐるしいまでのブレークスルーの連続でした。そう言うときは、次々と提案されてくる新しい技術に対応していくのが精一杯で、とてもじゃないがもう片輪のソフト面などに目配せしているような暇などはありませんでした。

しかしながら、どういう基盤に、そしてどういう「Linuxのディストリビューション」に組み込むかという問題はありますが、それでも「Linux+MPD」というスタイルはPCオーディオの到達点としての地位を長きにわたって維持しています。
もちろん、細かい部分の改良などはあって、私は「Tiny Core+MPD」をベースとして再生ファイルをメモリ上に配置して再生するというスタイルをとっていますが、それもまた「Linux+MPD」という基本スタイルの中の話です。

ですから、個人的にはこの基本スタイルを根本から変えるような新しい提案が登場するまではハード面に関しては「現状維持」と腹をくくっています。
そうなると、結果として視線はどうしてもソフトにかかわる問題に向かざるを得ません。おそらく、ステレオサウンド誌においても似たような事情があるのではないでしょうか。

そして、そうやって視線が向いた先がまずは録音エンジニアだったのです。
ソフトを選ぶときに指揮者などの演奏家だけに注目するのではなくて、録音に携わったエンジニアやプロデューサーにも注目しようと言うことで、「Wilma Cozart」「Lewis Layton」「Kenneth Wilkinson」「Christopher Parker」等の業績を紹介してきたわけです。

そして、それも一区切りがついたので、次は「音像」と「音場」と言うことについて考えてみようと思ったのですが、そこではたと筆が(キーボードが・・・かな^^;)止まってしまいました。
なぜならば、この問題を考えはじめてあれこれと色々な音源を聞いているうちに、これはもしかしたら「モノラル録音」の時代にまで遡ってみる必要があるのではないかと感じ始めたからです。

どういう事かというと、オーディオには元々「音場(最近の用語を使うならサウンドステージ)」という概念はなくて、あったのは「音像」だけだったのですが、その「音像」の良し悪しを判断する基準ラインは「モノラル録音」にまで戻る必要があるのではないかと感じ始めたのです。
確かに、モノラル録音と言うだけで再生の対象から外してしまっている方はいます。こういうサイトをやっていると、モノラル録音と言うだけで切り捨てる人が少なくないことを実感として感じます。

しかし、昔の巨匠は凄かったというような演奏面にかかわるような話は全て脇において、純粋にオーディオの話としてとらえてみても、優れたモノラル録音が描き出す「音像」の良さを知らないというのは大きな欠落のように思えるのです。
「音像」に関してはライナー&シカゴ交響楽団の「展覧会の絵」からスタートしたのですが、どうやらそのスタートラインはもう少し前に持っていく必要があったようようなのです。

以上が、「優秀録音云々」というタイトルをつけながら、モノラル録音を取り上げるに至った理由です。

バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV1007 (Cello)エンリコ・マイナルディ:1954年録音(The Cello Champion – Enrico Mainardi Membran 600411)


世の中にはモノラル録音時代の初期盤LPを探し続ける人がいます。
中古レコード市場におけるLP盤の価格というのは需要と供給の関係で決まります。

その中古レコードを求める人が多くて、逆にその中古レコードを手放す人が少なければ価格は上がります。
逆に、多くの人が簡単に手放すけれども、それをほしがる人がいなければ買い取り価格すらつかないのがこの市場の原則です。

では、どうして少なくない人が、常識を逸脱したような価格が設定されているモノラル録音の古いレコードを争うように求めるのでしょうか。
「演奏」を確かめるだけならば、そのほとんどがCDによって復刻されています。
モノによってはボックス盤として発売されていることが多くて、一枚あたりに換算して数百円程度で入手することも可能です。

例えば、このエンリコ・マイナルディによるバッハの無伴奏チェロ組曲は、復刻盤のCDならば10枚セットのボックス盤に収録されています。
バッハはその中の2枚におさめられているのですが、ボックス盤の価格は2000円程度ですから、後の8枚はおまけだと考えても悪い買い物ではありません。

ところが、このマイナルディによるバッハの初期盤LPは今でも30万円から40万円程度の価格がついています。
もちろん、私はそんな高額な初期盤の音は聞いたことはないのですが、そういう初期盤を求める人たちは、その音の良さは復刻盤CDでは分からないのだと言います。個人的には、この安物のCDの復刻状態も悪くないように思うのですが、初期盤のLPを所有されているかたからすれば及第点はつかないのかもしれません。
そして、それは結果としてそう言う音で再生しなければ演奏の真価も分からないという話につながっていくのですが、それはひとまず脇においておきましょう。そこには、LP黎明期におけるイコライザーカーブの話なども絡んできてなかなか一筋縄ではいかないのです。

確かに、この録音には驚かされます。

チェロがこれほど朗々と実在感を持って鳴り響く録音というのはなかなか他に思い当たりません。
この安物10枚セットの復刻盤CDでもこれだけ素晴らしい音で鳴るのですから、初期盤LPを然るべき作法で再生すれば、それはきっと素晴らしい音で鳴るのでしょう。

しかし、そう言うことは、ここではこれ以上深入りはしません。(しつこい^^;)
ここで取り上げたいのは、モノラル録音における「音像」の生々しさです。

確かに、こういう楽器一挺で鳴っているような音楽であるならば、モノラル録音と言うことはあまりデメリットにはならないように思われます。
この録音はハノーファーのベートーベン・ザールというこぢんまりとしたホールで録音されたのですが、まさにそう言う小さなホールにチェロを一挺だけ持ち込んで朗々と鳴らしているという雰囲気すら感じるほどです。もちろん、モノラル録音ですから、そこには「音場」等という概念すら存在しなかったはずなのですが、不思議とそう言うイメージすら浮かんでくる録音なのです。

チェロというのは、胴鳴りのするような低音が朗々と響かなければその魅力は十全に発揮できませんし、そう言う響きがはっきりと聞き取れる環境でなければその魅力を享受することも出来ません。

おそらく、広いコンサートホールでは、そのようなチェロの魅力を味わうことは難しいでしょう。
私の知り合いも、具体的な名前は控えますが、有名なチェリストのコンサートをフェスティバルホールにまで聞きにいったのですが、そして、そのチケット代は安いものではなかったのですが、想像していたよりもはるかにショボイ響きにがっかりしたと語っていました。
しかし、それは仕方のないことなのでしょう。

多少は腕は落ちる演奏家であっても、小さなホールで演奏してくれた方が魅力的に響くのがチェロという楽器です。
ですから、このマイナルディの録音のように、そう言う小さなホールで、それこそ目の前で演奏しているかのように音を拾い上げてくれたアルヒーフの録音陣は素晴らしお手柄だったのです。

そう言うチェロの魅力を描き出す上で、もしかしたら「モノラル」と言うことが逆にメリットとなっている部分もあるように感じてしまうのです。

そして、こういうモノラル録音を聞かされると二つのことに気づかされます。

一つは、録音する側には、たとえステレオ録音に移行しても、このレベルの生々しさを保持する義務があると言うことです。
そして、もう一つは、再生する側にも、この生々しさを引き出す努力が必要だと言うことです。

ですから、このういう音源を使って、まさに目の前で等身大のチェロが鳴っているように再生出来るように努力することが必要ですし、録音する方もこのあたりを最低ラインとして頑張って欲しいのです。
ただし、いわゆる「最新録音」と言いながら、この録音の足元にも及ばない腰の抜けた響きを聞かされることが多いのもまた事実なのです。、

と言うこと絵で、しばらくはモノラル録音の世界を鷺っていきたいと思います。

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