こういう録音を聞かされると技術の進歩とは何なのかと考え込まざるを得ません。
確かに、先に紹介したマイナルディの録音のように、チェロ一挺だけで演奏される録音ならば「モノラル」であることは大きなハンデにはなりません。
それどころか、ステレオ録音は2つのスピーカーから発せられた音を空中の一点で重ね合わせ事によってホログラフのように「音像」を描き出さなければいけませんから、その事に関してはモノラル録音の方が有利かも知れません。
しかし、それがピアノという楽器になるとガタイが大きくなると言うか、音量がはるかに大きくなりますから、ピアノ本体から放出される直接音だけでなく、ホールの壁に反射してかえってくる反射音も複雑に入り交じって聞き手に届きます。
ですから、それほど気楽に「モノラル」であることのハンデは小さいとは言いにくくなります。
ところが、こういう1951年に録音されたラフマニノフの前奏曲を聞かされると、なんだか気楽にそう言うことを言い切れそうな気がしてくるのです。(^^;
言うまでもないことですが、このラフマニノフの前奏曲というのはコンサート・グラウンドの性能の限界に挑んだような音楽ですから、演奏する側にとっても、録音する側にとってもその技量が問われる事になります。
ラフマニノフというのはストラヴィンスキーから「6フィート半のしかめっ面」と揶揄されたような巨人であり、その手は楽にワンオクターブをこえて9音から10音までとどこかと言うほどに巨大でした。そして、この前奏曲はそう言うラフマニノフ自身を前提として書かれたような音楽です。
写真を見る限りでは小柄でほっそりとしたこの女性がどのようにしてこの作品と向き合ったのかと不思議に思わざるを得ないほどです。
しかし、この録音を聞く限りでは、そう言うテクニカルな部分での弱点はそれほど感じません。
何よりもその強靱な打鍵がもたらす響きからこの可憐な女性ピアニストの姿を思い浮かべるのは難しいほどです。
そして、特筆すべきは、そう言う見事なまでの、つまりはコンサート・グラウンドの限界に挑んだようなピアノの響きを1951年のモノラル録音が捉えていることです。
これが意味することはきわめて大きいと言わざるを得ません。
なぜならば、1951年の段階でこのレベルを実現しているならば、少なくともより進んだ技術であることを標榜しているステレオ録音や、その後のデジタル録音はこのレベルを下回ってはいけないと言うことになるからです。
しかし、これはいささか話が先走りをしすぎました。
もう少しこの録音について細かく見ていく必要があるでしょう。
残念なことなのですが、この録音に関するクレジットはあれこれ調べたのですが詳しい事はよく分かりませんでした。
ただし、この翌年に録音したラフマニノフのコンチェルト(3番)に関しては以下のようになっています。
- Recording Locatio : Kingsway Hall, London, 27-29 May 1952
- Recording Producer : John Culshaw
- Recording Engineer : Kenneth Wilkinson
モーラ・リンパニーという名前は今ではかなり忘却の彼方に消えていこうとしているのですが、第2次大戦前のイギリスでは最も有名で人気のある女性ピアニストでした。
ですから、戦時下の1941年から42年にかけて、ラフマニノフの前奏曲を世界ではじめて全曲録音し、それを毎月1枚ずつリリースするという画期的な取り組みも行われました。
もちろん、第2次大戦後もその人気は衰えることはありませんでした。ですから、1950年代前半に行われたこの前奏曲の録音もそれなりの体制で取り組まれた事は間違いありません。
おそらくは、コンチェルトの録音と同様に、録音特性に優れた「Kingsway Hall」で、そして新進気鋭の優れたエンジニアである「Kenneth Wilkinson」が担当したのではないかと想像されます。
もちろん確証は全くないのですが、それでも「Kenneth Wilkinson」レベルの天才的な手腕がなければこの「音」は実現できなかったことは事実です。
さて、問題はこの素晴らしい音は何によって実現されたのかという問題です。
モノラル録音時代のDeccaを特徴づけるのは、大戦中の潜水艦ソナー開発からもたらされた「ffrr(Full Frequency Range Recording、全周波数帯域録音)」と呼ばれる録音方式でした。
ただ、分からなかったのが、この「ffrr」なる録音技術を用いたとしても、その録音媒体がワックス盤だったのか、新しい技術による磁気テープだったのが分からないのです。
ワックス盤から磁気テープへの切り替えが一般化するのは1952年だという話を聞いたことがあります。
その一般論からすれば、この録音はワックス盤に刻むことで録音されたと言うことになるのですが、実現している音を聞く限りでは最新技術だった磁気テープに録音されたように思われます。
磁気テープで録音する技術はドイツで開発されて、戦時中には実験的に使われたことはよく知られています。そして、第二次世界大戦後にその技術がアメリカやイギリスに持ち込まれて、1948年にはアメリカのAmpex社が磁気テープによる録音機を開発しています。
日本でも、1951年にキングレコードがキャピトルレコードの技術部長のバーケンヘッドを招請したときに、そのバーケンヘッドは「アンベックス400」という最新技術を搭載したテープレコーダーを導入して録音活動を行ったと伝えられています。
ですから、ワックス盤に刻み込む録音方法から、磁気テープによる録音に切り替わるのは1952年というのは俗説で、早いところでは1940年代の終わり頃から磁気テープによる録音が始まっていたのかも知れません。
そうなると、たとえ録音クレジットが1949年とか48年という「化石」年代に近いようなものでも、磁気テープで録音された音源ならばかなりの高音質が期待されると言うことになります。
それにしても、冒頭で鳴り響く鐘のような和音を聞くだけで、この録音がただ者でないことはすぐに理解できると思います。
リンパニーの強靱な打鍵が鍵盤を叩き、その鍵盤がハンマーを動かして弦を叩き、そして叩かれた弦がピアノのフレームまでをも鳴り響かせ、そして、その素晴らしい響きがホールいっぱいに広がっていく様子が見事にとらえられています。
また、最後の虚空に消えていくような精妙なピアニシモの響きも見事にとらえています。
戦争という「鬱屈」した時代から解き放たれて、技術的(録音エンジニア)にも芸術的(演奏家)にも大きな花が一気に開くような勢いを感じざるを得ません。
そして、マイナルディのチェロの録音を聞いたときにも感じたことですが、優れたモノラル録音というのは「がっちりとした音像」だけでなく、ホール全体に響く「音場」までをも想像させる力を持っていたことにお気付かされるのです。
そして、その様な素晴らしい録音が、SP盤からLP盤に、そしておそらくはワックス盤から磁気テープに切り替わったばかりの時期に実現していたと言うことは心に留めておくべきでしょう。
少なくとも、ステレオ録音やデジタル録音でこれより劣るようなピアノの響きがあれば、それは「罪」だとまでは言わないまでも、「恥」は感じるべきでしょう。
そして、最新録音と銘打ちながら、そう言う「恥」を感じるべき録音がゴロゴロ転がっているように感じる事が多いのですが、それは私だけでしょうか。
こんにちは。EMIにテープ録音機が入ったのは1949の秋で、初めて使ったのがフルトヴェングラーとウィーンフィルのベートーベン七番のようです。あの女声混入で有名な録音です。これは生誕125年記念でSACDが発売された時のPR映像で語られていたので、まず間違いはないと思います。そして、この時に出た七番は当時録音されたテープが残っていて、そこから復刻したそうです。何故かこの再発盤はあまり評判が良くなかったみたいですが。その映像は、日本語の字幕付きで暫く前にyoutubeで見ました。今も残っているかは分かりませんが。
そして1951のバイロイトも、テープ録音です。バイエルン放送の録音による別音源というのも数年前に出ましたが、こちらもテープ録音のはずです。テープ録音以前のSPの場合、長くても四分ぐらいのつなぎ合わせになりますので、必ず切れ目が残ります。聞いて分かる程度ではありませんが、音声編集ソフトで見れば明らかに分かります。
なのでデッカのような会社であれば、1951にはもうテープ録音でなかったかと思います。敗戦国のドイツの放送局でさえ、テープ録音機を持っていたようなので。これはもしかすると、戦前のマグネットフォンの生き残りだったかもしれませんが。
1949の七月のザルツブルグフェスティバルでのフルトヴェングラーの魔笛も(IGI337)、切れ目が確認できなくて、音質的にもSPではなさそうなのでテープ録音でないかと思います。年代的にはアンペックスのものでも不思議ありませんが、マグネットフォンの可能性があります。1947のフルトヴェングラーの復活公演は、間違いなくマグネットフォンです。
情報ありがとうございます。
「1952年」というのは、ほぼ全ての録音スタジオで録音媒体がワックス盤から磁気テープに変わった年だと認識すべきなのでしょうね。
そう言えば、最近シューリヒトの古い録音を聞き直していて、1943年にベルリンフィルと録音した「田園」が吃驚するくらいに音がいいのに気付きました。それはもう、50年代のモノラル録音全盛期にひけをとらないくらいの素晴らしさなので、これもまたドイツが開発をしていた磁気テープによる録音なんだと思いました。
この録音に関しては熱心なシューリヒトファンもほとんど言及していないのが不思議でした。