ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30 (P)バイロン・ジャニス アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1961年6月2日録音~「初期盤信仰」への異議申し立て

前回も少しふれたのですが「TAS Super LP List」は毎年更新されます。
何の注釈もなしにサラッとそう書いたのですが、考えてみれば次々とアナログ・レコードによる新譜が発売されるような状況ではないのですから、毎年リストを更新しなればいけない理由はないように思われます。

しかし、調べてみると、このリストは結構入れ替わっているのです。
例えば、最優秀盤を示す「BEST OF THE BUNCH」だけに限ってみても、2017年版のリストには以下のレコードが新しく追加されています。

  1. Brahms: Symphonien 1-4/Rattle, Berlin Phil. Berlin Philharmonic Recordings BPHR 160041
  2. Mahler: Ninth Symphony/Barbirolli, Berlin Phil. ERC/EMI ASD 596/597

Berlin Philharmonic Recordings BPHR 160041

この二つの新顔のうち、ラトル指揮によるブラームスはアナログ・レコード復権の動きを象徴するようなノミネートです。
なぜならば、このアナログ・レコードは磁気テープを通さないダイレクト・カッティングという手法で制作されたレコードであり、その結果としての音質の優秀さが評価されたであろう事は容易に想像がつくからです。

ダイレクトカッティング

それと比べれば、バルビローリによるマーラーの9番にはその様な新しさはありません。もちろん、今頃になってこの音源の優秀さに気付いたので新しくノミネートされたわけでもありません。(^^;
そうではなくて、「優秀録音盤」として「ERC/EMI ASD 596/597」をあげていることが重要です。

このアナログレコードは「The Electric Recording」という会社が新しく復刻をしたレコードです。
つまりは、その復刻盤のアナログ・レコードの音質が「最優秀盤」としてノミネートするに値すると判断したので新しくリスト・アップされたのです。

この復刻盤のアナログ・レコードのカタログ番号に「ERC/EMI」と記されているのは、「The Electric Recording」が「EMI」からマスターテープを譲り受けて復刻したアナログレコードだと言うことを示しているのでしょう。

ただし、こう書くと少なくない方が首をひねられるはずです。
なぜならば、アナログレコードに関しては「初期盤こそがベスト」だという「常識」があるからです。

そして、その様な「常識」があるからこそ、中古市場において一部の初期盤LPにとんでもない高値がついたりするのです。
しかしながら、「TAS Super LP List」はその様な「常識」に反して、復刻盤である「ERC/EMI ASD 596/597」が発売されたことによって、そのアナログ・レコード対して「BEST OF THE BUNCH」という冠を与えたのです。

そして、その様なスタンスは新しく追加された音源だけでなく、既にノミネートされている音源に対しても共通しています。

例えば、昔から優秀録音として有名なバイロン・ジャニスによるラフマニノフの3番コンチェルトに関しても、「Speakers Corner」というレーベルが復刻した180グラムの重量盤LPを「BEST OF THE BUNCH」としてチョイスしているのです。
これなどは、1961年にリリースされた「Mercury Living Presence – SR90283」は「Mercury」を代表する優秀録音盤だったのですから、それを押しのけてこの復刻盤を選んでいる意味は大きいのです。

確かに、初期盤LPはマスターテープから直接カッティングされていることが多いので音質的には大きなメリットがあることは事実です。かつて「国内盤」と呼ばれたようなアナログ・レコードは、マスターテープから何回ダビングしたのかも分からないようなテープからカッティングされている事もありましたから、音質的には大きなハンデを負っていました。

しかしながら、もう一つ考えてみなければいけないのは、アナログ・レコードの製造技術が時代とともに進歩したという事実です。
それは、アナログ・レコードの材料である塩化ビニルのクオリティが大きく向上したことや、何よりもカッティング・マシーンの性能が70年代に入ってから大幅に向上したことは忘れてはいけません。

その事を考え合わせれば、マスターテープの経年変化による音質の劣化を割り引いても、良好な状態で制作された復刻盤の方が初期盤のアナログ・レコードよりは音質的にメリットがあると言うことです。
もちろん、どこかの権威を借りてきて何の検証もなしに鵜呑みにするのは愚かな事ですから、最後は自分の耳で確かめる必要はあります。しかし、この「TAS Super LP List」のスタンスは初期盤を絶対視してきた世の常識に対する一つの警鐘にはなり得ているでしょう。

ただし、念のために確認しておきますが、上で述べたことはある程度良好な状態でマスターテープが保存されていて、その保存されているマスターテープから新しくカッティングが出来ることを前提にしています。
ですから、そういうマスターテープが既に存在しない音源に関しては初期盤LPの価値は揺らぐことはないでしょう。

そしてもう一つ、この事実から確認できるのは、状態の良いマスターテープが存在する音源であるならば、そこから然るべき手段でデジタル化された音源の音質は初期盤LPの音質を凌ぐはずだ、と言うことです。
ここでアナログとデジタルの優劣に関わる論議を行うつもりはないのですが、それでも、状態の良いマスターテープから復刻されたアナログ・レコードの音質が初期盤のクオリティを凌ぐのならば、そのマスターテープからデジタル化された音源が初期盤のクオリティを下回ることはあり得ません。

なぜならば、以下の三段論法が成り立つからです。

  1. 初期盤アナログレコード < 復刻盤のアナログ・レコード
  2. 復刻盤のアナログ・レコード = 復刻盤のデジタル音源
  3. 初期盤アナログレコード < 復刻盤のデジタル音源

二段目の「復刻盤のアナログ・レコード = 復刻盤のデジタル音源」は「復刻盤のアナログ・レコード < 復刻盤のデジタル音源」としても問題はないと思うのですが(^^;、まあ控えめに「イコール」としておきましょう。
そして、その復刻されたデジタル音源は必ずしも「ハイレゾ」である必要もないように思われます。
とくに、70年代までのアナログ録音の音源に関しては、マスターテープに収録されている音のクオリティは「16bit 44.1Khz」というCD規格の中に十分おさまるものだからです。

ですから、この「TAS Super LP List」の中で復刻盤のアナログ・レコードがノミネートされている音源に関しては、そのデジタル音源に関してもそれなりのクオリティを持ったものが多いと目星をつけてもいいはずです。
実際、先に挙げたバイロン・ジャニスとアンタル・ドラティによるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の録音ならば、「マーキュリー・リヴィング・プレゼンス・コレクターズ・エディション」として発売されたCDの音質は十分に満足のいくものです。

一部では、結構なプレミアムがついている「SACD」でないと駄目だという意見も聞こえてくるのですが、然るべき再生システムを組めばCDであっても十分な音質は確保できるはずです。
その「然るべき再生システム」というのは、CDをそのままプレーヤーに放り込んで再生するという「安易」な方法では駄目なことは言うまでもありません。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30
(P)バイロン・ジャニス アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1961年6月2日録音(マーキュリー・リヴィング・プレゼンス~コレクターズ・エディション CD22)

この録音が、その他のピアノ協奏曲の録音を凌いでいるのは、その圧倒的な透明感によって、繊細なニュアンスから分厚い響きまでをも含むこの音楽を一切の混濁感なしに描ききっていることです。
もちろん、それ以外にも様々な褒め言葉を並べることも可能なのですが、この圧倒的な透明感を前にすれば、それらの全ては些細なことに思えてくるのです。

ラフマニノフのピアノ協奏曲というのは、多くのピアニストにとっては全曲を大きな破綻なしに弾きこなすことすらも困難な作品です。ですから、実演でこの音楽に接したとしても、時にはピアニストの指先が曖昧となって響きが混濁する場面に出くわす事は珍しいことではありません。

今さら言うまでもないことですが、「Mercury」の録音ですから、これはたった3本のマイクで音を拾っています。
ですから、録音してから細かい部分を後で編集することはほぼ不可能です。

この素晴らしい透明感に満ちたピアノの響きは第一義的にはジャニスの腕前に依存します。
そして、その素晴らしい響きを見事にすくい上げたのは、録音エンジニアのウィルマ・コザートの耳の良さと素晴らしい感性です。

Watford Town Hall

もちろん、録音エンジニアの耳と感性だけで優れた録音が可能となるわけではありません。
その背景には、「ワトフォード・タウン・ホール」という響きの良い会場と、恐ろしくコストのかかる「35mmフィルム・レコーダー」の存在があります。
しかしながら、それらの機器や会場を使ったからと言って、誰でもがこのような録音が出来るわけでもありません。

素晴らしい演奏と素晴らしい録音エンジニア、そして素晴らしい会場と優れた録音機器の全てが出会うことでこのような録音が可能となるのです。そして、その素晴らしい響きは何も初期盤のアナログ・レコードを探さなくても、さらに言えばアナログのレコードでなくても、ハイレゾの音源でなくても、私たちの手にはいるのです。