「優秀録音」を紹介する意味について、今回はもう一つのクエスチョンについて私見を申し述べておきます。
もう一つのクエスチョンとは、「音楽」を聞くことを重視している人にしてみれば「優秀録音=優秀な演奏」とは限らないのだから、問題にすべきは「録音のクオリティ」ではなくて「演奏のクオリティ」だろうというクエスチョンです。
これは全くその通りであって、一部にはオーディオというのは「音」を聞くことであって「音楽」なんぞはどうでもいいと豪語する人もいたりするのですが。あくまでも少数派です。
または、「音」そのものに傾注するオーディオというものがあってもいいのではないかと主張する評論家もいたのですが、あまり賛同は得られなかったようです。
ただし、その様に主張する人にとっては「TAS Super LP List」などと言うものはある意味では「かけがえのないリスト」と言うことになります。
しかし、私はその様な存在としてこのリストは見ていません。
「TAS Super LP List」の中にはどう考えても「優秀な演奏」とは思えない「優秀な録音」もリストアップされていると思うときもありますので、そう言うときは、その旨をはっきりと申し述べてきました。
しかしながら、「TAS Super LP List」をざっと眺めてみれば、その大部分は演奏としても優秀なものが多いことは認めざるを得ません。
それは、このリストの重要なポイントの一つだと言っていいかもしれません。
確かに、録音のクオリティなどと言うものは一切関係ないと思えるような凄い演奏というものは存在します。
20歳を前にしたメニューヒンによるバッハの無伴奏とか、古き良き時代のおもむきを残したティボーのヴァイオリンとか、はたまた第2次大戦下におけるフルトヴェングラーの録音のようなものです。
そのようなSP盤の時代の録音はクオリティと言うことに関してはお話にならないものであることは事実なのですが、それでも聞くものの心をとらえて放しません。
そして、その様な歴史的音源は数え上げていけばきりがありません。
ですから、「音楽」を聞く上で「録音」のクオリティなどと言うものは副次的な意味しかもたないという意見にも一理はあります。
しかし、忘れてはいけないのは、その様なメニューヒンやティボーやフルトヴェングラーの音楽は、あの様な貧しい音で鳴り響いていたわけではないという「厳然」たる事実です。
「実演」と「録音」の間には埋めがたい溝があることは事実であって、その溝は歴史を遡れば遡るほど大きいことは言うまでもありません。
しかし、多くの録音エンジニア達はその溝を埋めるためにありとあらゆる努力と献身を捧げてきたわけです。
そして、当初は「実演の代替物」にしかすぎなかった「録音」という行為を、「音楽を享受するためのもう一つの柱」という地位にまで引き上げたのです。
ですから、「TAS Super LP List」にノミネートされた一連の録音は、「音楽を享受するためのもう一つの柱」としての録音がどのレベルにまで達しているのかを世に示すものだと言えるのです。
つまりは、「ショボイ録音を聞いて、録音なんてものは所詮は実演の代替物などと言ってくれるな、少なくともこれらを聞いてから価値判断してみろ」という「挑戦状」のようなものでもあるのです。
どれほどの「実演至上主義者」であっても、全ての録音媒体を拒否して自らの音楽体験を完結できる人はいないでしょう。
そうであるならば、「録音」と言う行為を通して、どこまでの音楽的感動を享受できるのか、その「最先端」を示すものとして「TAS Super LP List」にリストアップされているような「優秀録音」を紹介することには意味があると言えるのです。
ベートーベン:交響曲第6番「田園」~ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1958年1月13日,15日&17日録音(CBS/SONY 30DC 743)
「TAS Super LP List」にはワルターの録音は3点リストアップされています。
- Beethoven: Symphony No. 6/Walter. Columbia/Analogue Productions AAPC 077
- Brahms: Alto Rhapsody/Walter. Columbia MS-6488
- Dvo?ak: Symphony No. 8/Walter. CBS/Sony 20 AC 1822
面白いのは、嶋護氏が強く推薦しているマーラーの1番がリストアップされていないことです。
もちろん、だからどうなんだという話ではありますし、どちらの鑑識眼が優れているのかという話でないことはもとより言うまでもないことです。
それどころか、このようにして違う「評価」をお互いが提示しあうことの方が、「優秀録音」というものの内実をより豊かにしてくれます。
ちなみに、嶋氏がマーラーの録音を強く推したのは以下の3点によります。
- ダイナミックスの広さ
- サウンドステージの展開
- オーケストラの透明な内部ディテール
この特質の中で、「田園」の録音からも真っ先に感じ取れるのは「オーケストラの透明な内部ディテール」です。
ワルターの特長であるどっしりとした低域を土台として生み出されるオーケストラの響きが一切の混濁なしに収録されています。
嶋氏によると、ColumbiaというレーベルはLPにカッティングするときに低域をバッサリとカットする「悪癖」があったそうなのですが、「TAS Super LP List」にリストアップされている復刻盤LP(Analogue Productions AAPC 077)ではそれが回避されているようです。
また、CDへの復刻に関してもそのあたりの「悪癖」は是正されているようなので、どっしりとした低域を土台とした濁りのないオーケストラの響きが蘇っています。
さらに付け加えるならば、ワルターが生み出す弦楽器群の自然な美しさも特筆すべきです。低弦楽器の中味のミッシリとつまった響きは誇張のない自然さですし、例えば、終楽章冒頭のテーマを歌うヴァイオリンの透明感とふくよかさのある響きも実に美しいです。
ですから、この録音に関しては初期盤を求めることには何の意味もありません。
また、この一連のコロンビア響との録音ではマイクセッティングはメインに3本、後は必要に応じてごく僅かの補助マイクが追加しただけでした。
つまりは、そのあたりのマイクセッティングに関して言えば、RCAやMercury等と同じようなワンポイント録音に近いものだったのです。
その結果として、実に自然なサウンドステージが実現していることももう一つの特質として指摘することが出来ます。
そして、この自然なサウンドステージと透明な内部ディテールによって、聞き手は録音のクオリティなどと言うことは殆ど意識することなく、ワルター演奏の素晴らしさに集中することが可能となっています。
それはいつも指摘しているように、録音のクオリティの高さが自己主張するのではなくて、演奏の素晴らしさを伝えるために献身をしているのです。
ですから、その録音の優秀さをそれなりのシステムで再現してやらないと、ワルターの演奏の素晴らしさを十全に味わうことが出来ないということになります。
そして、ここで述べたことは、もう一つの優秀録音、ドヴォルザークの交響曲第8番に関してもそっくりそのままあてはまります。
ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 作品88~ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1961年2月8&12日録音
なお、嶋氏がマーラー録音で指摘したダイナミクスの広さはこの録音ではそれほど感じとることは出来ません。
ベートーベンもドヴォルザークも、マーラーと較べればオーケストラの編成ははるかに小さいのですからそれは当然のことであり、その意味で、これらの録音を再生するためには耐入力に優れた大型システムは必須というわけではありません。