「TAS Super LP List」をパブリックドメインで検証する(15)~バルトーク:ピアノ協奏曲 第3番 Sz.119 (P)ジュリアス・カッチェン イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団 1965年11月9日~10日録音

カッチェンはケルテスと組んだ録音以外に、1953年にアンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団とのコンビでこの作品を録音しています。
両方ともに「Decca」による録音であり、モノラル録音の方はプロデューサーがヴィクター・オロフ(Victer Olof)、エンジニアはギル・ウェント(Gil Went)という、モノラル時代を代表する組み合わせです。

(P)ジュリアス・カッチェン エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1953年11月録音

Decca LXT 2894(Mono)

ただし、その新旧二つの録音は随分と佇まいが異なります。
とりわけモノラル録音の方はこの作品に対して一般的にイメージされるような「天国的」な響きではなくて、バルトークという作曲家の中に息づいている土臭いマジャールの魂が炸裂するような音楽になっているのです。

多くの人がこの作品に抱くイメージとは、一言で言えば「彼岸」です。

バルトークはアメリカに亡命を余儀なくされた晩年に近づくと、第6番の弦楽四重奏曲やオケコンのエレジーのように、古典派やロマン派の音楽とは佇まいがかなり異なるものの、それでも素直に「美しい」と思える音楽に姿が変わっていきます。
それは、彼の白鳥の歌となった第3番のピアノ協奏曲ではさらに顕著となり、その「美しさ」には「天国的」なものがあふれてくるのです。
バルトークの音楽は「此岸」的な濁りからますます遠ざかり、まるでこの世のものではないような透き通った存在、つまりは「彼岸」的な響きをまとっていくのです。

しかし、モノラル録音による第3番の演奏は、そう言う「彼岸」の響きではなくて、こちら側の世界に引き戻された「此岸」の響きなのです。
それは、アンダとフリッチャイによるマジャールの魂が炸裂するような音楽よりも、さらに土臭さを感じさせてくれる演奏だったのです。

不思議なのは、この土着性を強く感じさせるスタイルがアンセルメとカッチェンという、そう言うマジャールの世界から遠く離れているとしか思えないコンビによって実現していることです。
しかし、このコンビによる演奏を聞き進んでいくと、その様な土臭さは確かにスコアの中に封じ込められたものであることに気づかせてくれるのです。

そして、録音に関してもモノラルとは思えないほどに楽器の分離がよくて、そう言うスコアに込められた微妙な綾のようなものが綺麗に捉えられているのです。
そう言う意味では、この演奏にはプロデューサーのオロフの意志も強くはたらいていたのかもしれません。

考えてみれば、このモノラル録音が行われたのは、この作品が生み出されてから10年も経っていない1953年なのです。
そう言う「生乾き」の状態であるが故に、カッチェン、アンセルメ、そしてオロフという優れた3つの才能が集まって、その様な意欲溢れる表現が実現したのかもしれません。

そして、そう様な意欲あるチャレンジを「Decca」の録音は見事にサポートしているのであって、それは同時にモノラル録音の「真価」を知る上でも貴重な一枚になっているのです。

しかしながら、生まれたばかりの作品が「生乾き」の時を経て多くの人によって演奏され、聞き続けられると、それは次第に「然るべき形」に乾いていきます。
バルトークの場合で言えば、それは「土臭さ」を洗い流す方向で乾いていったというわけです。
そして、それが「然るべき形」に乾いてしまえば、やがてはその「然るべき形」から外れて演奏するのは難しくなっていくのです。

(P)ジュリアス・カッチェン イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団 1965年11月9日~10日録音

Decca SXL 6209

それ故に、65年にステレオによって再度録音された第3番の協奏曲は見事なまでの透明感に満ちた「美しい音楽」に仕上がっています。

さらに言えば、最初の一音が出た時点で、演奏がどうのこうのという前にその録音のクオリティの高さに圧倒されるのです。
レコーディング・エンジニアはケネス・ウィルキンソン、録音会場はキングスウェイ・ホールですから、Decca録音の黄金の組み合わせと言っていいでしょう。
しかしながら、その録音クオリティの圧倒的な高さに感心はしながらも、この録音の最大の魅力は、録音という行為が演奏の美質を聞き手に伝えるために最大限の奉仕をしていることにも気づかれるのです。

そのクオリティの高さというのは、オーディオ的にどうだ凄いだろう!と言うようなあざとさは無縁であり、何よりも精緻さの中に素晴らしい透明感を導き入れた点にこの演奏と録音の主張があるからです。
それは結果として、オケとピアノが織りなすピュアな世界を聞かせてくれる事につながり、この世の中にこんなにもこんなにも無垢で美しい世界があったんだと驚かされるのです。(褒めすぎなかな^^;)

そう言えばムラヴィンスキーは音楽に取り組むときには、生活全てをその作品が持つ「アトモスフィア(atmosphere)」に染め上げなければいけないと述べていました。
「アトモスフィア」とは日本語には翻訳しにくい言葉なのですが、敢えて訳すとすれば「空気感」となるのでしょうか。
ですから、ムラヴィンスキーにしてみれば、全く異なった「アトモスフィア」を持った作品を取っかえ引っかえしながらコンサートツアーを行うなどと言うことは考えられないことだったのです。

話が横道にそれますが、それ故にムラヴィンスキーの芸術というのは彼が心底嫌っていた「ソ連型社会主義」という歪な社会であったが故に存在できたというパラドックスを含んでいたのです。

そして、この演奏を聞くと、カッチェンとケルテスもそれと同じような配慮を持って録音にのぞんだことがよく分かります。
何故ならば、同時に録音されたラヴェルの協奏曲もまた、全く同じ空気感の中で演奏され録音されているからです。

彼らは録音に取り組んだこの数日間を同じような透明感の中に身を浸し、そして、これらの作品を透明な空気感の中でとらえ直し、その空気感の中で演奏しています。
おそらくは録音陣もそれと同じような透明な空気感の中で仕事に取り組んだのでしょう。

そして、それらが全て見事に解け合うことで、無垢でピュアな世界が立ちあらわれているのです。

なお、「TAS Super LP List」では「Decca SXL 6209」という初期盤以外に「Linn Recut REC 01」という高音質の復刻盤もリストアップされています。

Recut Records ‎– REC 01

「TAS Super LP List」では、高音質の復刻盤が発売されているときは初期盤をリストアップしないことが多いのですが、60年代の中頃を過ぎれば、初期盤のクオリティには問題がないと言うことなのでしょう。
これもまた、面白い選択の仕方だと言えます。