この録音には見落とすことの出来ない歴史的な意味合いがあります。
それは、戦後一貫してカラヤンの録音を担当してきたウォルター・レッグとの関係が、この録音をもって終わりを告げたという事です。
ナチスとの関係がもとで活躍の場を失っていたカラヤンを拾い上げたのは「EMI」のウォルター・レッグでした。
その関係は戦後すぐの1947年から始まり、このバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」が録音された1960年11月を持って終わりを告げたのです。
ただし、その関係は急に終わりをむかえたのではなくて、両者の間には次第に溝が生まれ、そして広がっていったようなのです。
カラヤンは58年10月に「DG(ドイツ・グラモフォン)」と録音契約を結び、さらには同じ年の12月に「DECCA」とも録音を結んでいます。
当時の「DECCA」はウィーンフィルと完全専属契約を結んでいましたから、「DECCA」との録音契約がなければウィーンフィルとの録音はできませんでした。
1956年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したカラヤンであっても、ウィーンフィルとの録音を行うためには必要な契約でした。
それに対して、「DG」との契約は明らかに「EMI」と天秤にかける意図があったことは間違いないでしょう。
最終的に「EMI」との関係を終了させるための「手切れ金」になったのが、「カラヤン&ベルリン・フィル」という組み合わせで「EMI」が録音を行う事だったのです。
そして、その様な「手切れ金」もこれが最後となり、このバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」がレッグとの最後の仕事となったのです。
そして、そう言う「最後」への思いがあったのかもしれませんが、演奏も録音も素晴らしい出来となっています。
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1960年11月9日~11日録音
バルトークの作品というと、すぐにフィボナッチ数列による黄金比の適用だとか、中心軸のシステムなんかについて述べられる事が多いのですが、聞き手にとってはそのような難しいことを全く知らなくても、彼の作品に通底している厳しさと透明感を感じ取ることは容易に感じとることの出来る演奏です。
この作品は2組の弦楽器群とピアノ、さらに各種打楽器という、西洋音楽の伝統的な観点から見ればかなり変則ではあるのですが、オーディオ的には腕のふるい甲斐のある編成です。
さらに、前半部分のどこかトラディショナルな世界と後半部分の民族色の濃い世界が際だった対比を示していて、それもまたオーディオ的には腕のふるい甲斐があったことでしょう。
カラヤンは、ともすれば鋭角的で厳しい表情になりがちなバルトークの作品を、ある意味では妖艶ささえ感じる表情で仕上げています。それは、「アンダンテ・トランクイロ」と記された第1楽章では特に顕著で、弦楽器の響きはグラマラスと言っていいほどです。
また、低弦楽器も分厚く鳴らしているので、それなりのシステムで再生すればずしんとお腹にこたえるほどの迫力があります。
そして、第3楽章のアダージョはまさに幽玄の世界であり、弦の響きが細身に過ぎて鋭角的だとこの世界は表現できません。
それに対して第2楽章のアレグロでは、弦楽器を繊細で鋭角的に鳴らしていますし、ピッチカートの切れも抜群です。
最終楽章の「アレグロ・モルト」ではもう少しグラマラスな感じになって突き進んでいきます。
そして、そう言う演奏を捉えた録音なのですが、録音会場となったベルリンのグリューネヴァルト教会の空間情報を自然な形で誇張なく拾い上げています。
EMIはモノラルからステレオへの移行に完全に乗り遅れ、さらにはレッグという男がそう言う録音のクオリティに無頓着だったこともあって、オーディオマニアからは「音が悪い」と烙印を押されてきていました。
それだけに、左右だけでなく前後上下に音場がひろがり、その三次元空間の中にキッチリと楽器群が定位する生々しさは、「いったいどうしたんだ!」と言いたくなるほどの見事さなのです。
とりわけ、その空間上にかっちりと定位する打楽器の生々しさも特筆ものです。
さらに、低弦楽器のお腹にずしりと響く力強さも遠慮なくおさめられています。
そこに少しばかり贅沢を言わせてもらえば、空間上に左右に配置された弦楽器群の表現がやや誇張されていて、結果としてセンターの響きがいささか薄くなっている感じがするのが残念です。
しかし、バルトーク自身はスコアの中に弦楽5部を2つに分けて指揮者の左右に対向配置することを明記しているのですから、こういう左右でのやり取りがくっきり浮かび上がるのは、作曲家が望んだことなのかもしれません。
ただ、一つだけ驚いたことがあります。
音が悪いと言われ続けたEMIで、これだけ素晴らしい録音を仕上げたエンジニアは誰なのかと調べてみれば「unknown」となっているのです。
いろいろ調べてみたのですがこの素晴らしい録音を仕上げたエンジニアが誰なのかはどうしても分かりませんでした。
さすがは、録音に無頓着だったレッグの面目薬如です。(^^;
勘ぐれば、「EMI」の中での立場はどんどん悪くなり、さらには長年にわたって目をかけてきたカラヤンも去っていくという状況で、レッグは投げやりになっていたのかもしれません。
そのせいで、カラヤンも手兵のベルリンフィルと伸び伸びと演奏し、クレジットもされなかった録音エンジニアも自分の思うとおりに伸び伸びと録音できたのかもしれない、とも想像されます。
つまりは、これが最後だという「深い思い入れ」ではなくて、これが最後だという「投げやり」が功を奏したのかもしれないのです。さすがに、それは穿ちすぎかもしれませんが・・・(^^v
しかしながら、サラリーマン川柳に「部長留守仕事はかどりみな元気」というのがありました。
また、定年をむかえた年寄りが、まわりから「長年の経験で身につけたノウハウを若い世代に伝えてほしい」などと言われて再任用で残ることがよくあります。
でも結果として、ノウハウを伝えるどころか「俺たちの若い頃はなぁ」みたいなことばかり言って邪魔にしかなっていないという光景をよく見ます。
年寄りは若い世代を信じて、何も言わずに静かに消えていくべきなのかもしれません。
それから、最後に余談ながら、「TAS Super LP List」では1961年にリリースされた「Angel Records – S 35949」ではなくて、その翌年に発売された「Columbia – SAX 2432」をリストアップしています。
初期盤である「Angel Records – S 35949」はそれほど入手が難しいというわけではもないので、明らかに音質上のメリットが「Columbia – SAX 2432」の方にあると判断したのでしょう。
なかなかに細かいところまで目配せが聞いているようです。
初めまして。いつも楽しく拝見しております。弦チェレのバランスエンジニアはHOLST LINDNERです。因みに画家マチスの方はあのクリトファー・パーカーです。
Horst Lindnerが正しい名前でした。パーカーもクリストファー・パーカーですね。スマホでメールすると誤字脱字が多くてすみません。
Horst Lindnerは独Eurodiscのバランスエンジニアみたいですね。
ケンぺ指揮のスメタナ「売られた花嫁」が素晴らしい優秀録音だと思っていましたが(勿論演奏も名演)、彼の録音でした。
他にはRCAにジェイムズ・ゴールウェイの録音とかもあります。
貴重な情報ありがとうございます。
カラヤン&ベルリンフィルの録音にドイツ人のエンジニアを使うと言うことは殆ど丸投げだった可能性がありますね。
それで、優秀録音に仕上がったのですから、本当に「部長留守仕事はかどりみな元気」だったかもしれませんね。(^^v
それから、EMIはカラヤン&ベルリンフィルの録音にベルリンのグリュンネヴァルト教会を使っていたようですね。
DGはイエス・キリスト教会を録音に使っていますが、このあたりも違いも興味深いですね。
レスありがとうございます。
この時期EMIはイエスキリスト教会は使えなかったようですね。(DGGが許可しなかった?)
クリュイタンス=ベルリンフィルの録音は
L indnerですから、この頃のベルリンフィル録音はEMIと子会社の独エレクトローラの共同制作だったのではないかと思います。