「TAS Super LP List」をパブリックドメインで検証する(13)~ベルク:ルル組曲 ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1961年6月19日~24日録音

「TAS Super LP List」にノミネートされているレコードは「Mercury SR-90278」です。
2013年に完全限定盤として発行された「Mercury Living Presence 6lp Box Vol.2」として復刻された180グラム重量盤もあるのですが、いわゆる「初期盤」がノミネートされています。

MERCURY LIVING PRESENCE: COLLECTOR’S EDITION 2( 6LP Stereo Box )

今まで見てきた「TAS Super LP List」のスタンスから言えば復刻盤の方をノミネートしそうなものなのですが、「ルル組曲」のために高価な6枚組のボックス盤をノミネートする事への躊躇いもあったのでしょう。
さらに言えば、初期盤とは言っても「Mercury SR-90278」は中古市場を眺めてみると数千円程度の価格がついているところが殆どですし、流通量も多いようですからそれほど入手困難ではないようです。それよりは、完全限定の復刻ボックス盤の方が入手が難しくなってきているようなので、妥当なチョイスといえるのかもしれません。

さて、この録音について考える上で、新ウィーン楽派におけるベルクの特殊な立ち位置と言うものをおさえておく必要があります。
新ウィーン楽派というのはシェーンベルクを始祖として、無調や12音技法という新しい音楽の流れを切り開いた一派でした。そして、そのシェーンベルクの切り開いた世界をより前へ推し進めたのがウェーベルンだったと言っても異論はないでしょう。

彼らが、巨大化の果てにどうしようもなくなっていた後期ロマン派の隘路に風穴を開けた意義は大きかったのですが、それは同時に、彼らが信念に基づいて音楽の新しい姿を提示すればするほど聴衆との間に深刻な乖離を招くというパラドックスを招きました。
戦後の前衛音楽はそのようなパラドックスなどには見向きもしないでより急進化の流れを強めるのですが、それは結果として修復不可能なまでに聴衆との距離を広げてしまいました。

私は、シェーンベルクやウェーベルンの音楽を受け容れようとしないのは聞き手としては怠慢に過ぎると思うのですが、戦後の「前衛」と称した一連の「音楽」らしきものに関してはそう言う自己省察すらも必要のない存在だと確信しています。

しかし、ベルクの音楽はそう言うパラドックスからは不思議なほどに自由でした。

「ヴォツェック」と「ルル」という無調で書かれたオペラは興行的に大成功をおさめましたし、今も世界中の歌劇場にとってはなくてはならないレパートリーとして定着しています。
「ある天使の思い出に」と献辞された12音技法によるヴィオリン協奏曲もまた20世紀の古典としてレパートリーに定着しています。

確かに、彼の音楽は後期ロマン派に至る西洋音楽の響きと比較すれば異質であることは事実です。
しかし、ベルクの音楽の根底にはたぎるようなパッションが溢れているがゆえに、そのパッションに身を浸すことによって伝統的な響きになじんだ耳にも受け容れやすいものとなっているのです。

ですから、彼の音楽はスコアを読み込み、その成果をひたすら精緻に再現するだけでは足りないものがあるのです。

新ウィーン楽派の録音と言って真っ先に思い浮かぶのが、カラヤン&ベルリンフィルによる1972年から1974年にかけての一連の録音でしょう。
あれは、新ウィーン楽派の音楽を20世紀の古典として客観的に見つめ直し、その細部に至るまでの構造をこの上もない精緻さで描き出したものでした。
おかしな喩えになるかもしれませんが、それは空を舞う蝶をつかまえて、一欠片の鱗粉も失うことなく綺麗に展翅をして標本にしたような録音でした。

もちろん、それがいいとか悪いとか言う話ではなくて、まさにその様な方法論で新ウィーン楽派の音楽を再構築して見せたのです。

しかし、このドラティの録音は、空を舞う蝶の姿を「舞うがままの姿」で描き留めたような演奏でした。
そして、シェーンベルクやウェーベルンならばいざ知らず、少なくともベルクに関してはそのような同時代的な共感を持って演奏しなければ取り落としてしまう部分が多いことに気づかせる演奏でもあったのです。

ここでのドラティの音楽は「ルル」の暗い情念を見事なまでの自由さで描き出しています。
そう言えば、カラヤンは「管弦楽のための3つの小品」は録音していますが「ルル組曲」は録音していません

確かに、「管弦楽のための3つの小品」の冒頭部分における、打楽器のトレモロにのったホルン、弦、フルートのかすかな和音の響きなどは聞いていてゾクゾクさせられます。
そして、音楽が膨張してクライマックスを築くところでは明らかにマーラー的世界を感じさせます。

そう言う音楽であれば、カラヤン的アプローチでもそれほど大きな不満を感じないのかもしれません。
しかし、「ルル組曲」のような作品では、「ルル」を標本箱に綺麗に展翅してしまったのでは、その魅力は伝わりません。
カラヤンもまたその事を十分に理解していたのでしょう。

おそらく、音楽の構造を描き出す精緻さという点では、カラヤン録音の方がマルチ・マイク録音による功徳もあって一日の長があるかもしれません。
しかし、「魔性の女」であるルルの暗い情念のうごめきと不条理な悲劇を描き出すには、精緻さを犠牲にしてでも描き出さなければいけないアグレッシブさが必要なのです。

そう言う意味において、このMercury録音はドラティが描き出す情念のうねりに従って収縮と膨張を繰り返し、時には突出を伴う音楽の相貌を見事にとらえきっています。

この録音において、何よりも聞くものの心臓を打ち抜くのはルル組曲の第5曲「Adagio」における不条理な悲劇を象徴するルルの悲鳴でしょう。
この突き抜けるようなソプラノの悲鳴ほどに聞くものの心に突き刺さる場面はありません。それは、マーラーの6番の最後に下される鉄槌と並んで「怖さ」の双璧かもしれません。

そして、オーディオ的には「ソプラノ」というものが持っている圧倒的なエネルギーを何処まで受け容れることが出来るのかという試金石のようなものでもあります。

ベルク:ルル組曲 ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 (S)ヘルガ・ピラルツィク 1961年6月19日~24日録音(マーキュリー・リヴィング・プレゼンス・コレクターズ・エディション2:CD1)

Mercury SR-90278(初期盤)

録音は言うまでもなく、ウィルマ・コザートの手になるものです。

録音クレジットを見てみると、マイクはSchoeps M201をいつものように3本使い、テープは35mmと1/2-inchの両方を使ったと書いてあります。ですから、シェーンベルク,、ウェーベルン、ベルクの4作品の中で、どれに35mmテープが使われ、どれに1/2-inchテープが使われたのかはいろいろ調べたのですが不明でした。
何故に全てを35mmで録音をしなかったのかもよく分からなかったのですが、それでも60年頃には1/2-inchテープでも音質的にはほぼ頂点とも言えるレベルにまで磨き上げられていたそうですから、そう言うテープの違いによるクオリティの差を聞き分けられるシステムと人はまずいないのではないでしょうか。

<追記>
その後、あれこれ調べていると2013年に発売された6枚組のボックス盤が2016年に分売されて再発されていたことが分かりました。
このベルクの録音も「Vienna 1908-1914(Mercury Living Presence 483-629)」と題されて発売されています。

ただし「ユニバーサルミュージック」から発売されたこのレコードは録音年月日が「1967年7月」という誤った情報で告知されていますし、ジャケットには麗々しく「35mm」と言う数字が記されています。
先にふれたように、この一連の録音は35mmテープと1/2-inchテープの両方を使っていますから、ジャケットに大きく「35mm」と記すのは問題ありと言わざるを得ません。

アナログ復活の流れの中で、こういういい加減な仕事が増えていくならば、それはいささか困った話だと言わざるを得ないのですが、それ故に「TAS Super LP List」がこの復刻盤を取らなかったのだとすれば大したものだと言わなければいけません。

<追記の追記>
さらに調べてみると、2003年に「The Living Presence Of 20th-Century Music」という形の3枚組でも収録されているようです。
The Living Presence Of 20th-Century Music
それ以外には「Speakers Corner」からも復刻されているようなので、そう言う状況下で敢えて初期盤の「Mercury SR-90278」を選んだというのは、それほどまでにその音質が素晴らしいと「TAS Super LP List」が判断したのでしょう。

2件のコメント

  1.  はじめまして。高橋敦と申します。
    最近DEQ2496関連の記事を拝読させて頂き、感銘を受けてメール差し上げてました。

     1980年から音楽が生活の中心です。ラジカセでのエアチェックが至福のときでした。当然、良い音で聴きたくなりバラコンをクリスマスに購入。社会人となってからは、引越しを繰り返したためにCDラジカセがメイン。
     CDのWAVデータ化をはじめたのが2001年。i Pod発売の年です。「ジャケットを眺めコーヒーを飲みつつレコードに耳を傾けるできる」ようなタイプではないので、ミニコンポにi River(i Podの類似製品)を繋げて好きな楽曲をエンドレスで再生していました。 

     2006年 海外へ異動となり、オーディオをセットできるスペースを確保できました。ハードロック・ヘヴィメタルを主に聴いています。そのため、このジャンルでは有名なオーディオショップにてスピーカーを購入。手持ちのアナログアンプと合わせたのですが、期待外れ。

     2007年 PRO CABLEのサイトを見つけました。オーディオ業界のことやマック製品の音響のこと。いかがわしさ満載でしたが理解できるコメントも多くあり、結局ピュアオーディオから業務用オーディオへ方向転換しました。更に試行錯誤を重ね、ある程度妥協できるシステムとしました。しかしジャンルごとに差があり、ハードロック・ヘヴィメタルの楽曲は総じて録音状態が悪いために納得ゆかない。

     2016年 日本へ戻りました。リビングルームは狭く天井は低いし内装もデッドな雰囲気。音量も出せないので音楽を聴くのがストレスになりました。オーディオ雑誌やウェブサイトで改善方法を探すのですが、機器やアクセサリーの買い替えのことばかり。オーディオ専用ルームの所有は当然ムリ。吸音材を敷いたりスピーカーを非対称にすることもしんどい。やったところで物理的に良し悪しを判断する方法もない。何気なく業務用オーディオでは有名なサウンドハウスのウェブサイトを見るとDEQ2496を発見。以前よりグライコは利用しており、自分の好みの音で聴く事が自然。原音再生と称して好みでない音を聴くような求道心もありません。ということで早速購入。
     
     2018年 海外出張が多くオーディオに関わる時間が取れない状態が続きましたが、そろそろ自分の音の仕上にかかろうかと「DEQ2496」の情報をネット検索。「PCオーディオ実験室」にたどりつきました。DEQ2496のシリーズを拝読させていただくと、僕の思っていた事が文書化されています。音楽を楽しむ手段としてオーディオがあるということを認識されている。オーディオへの関わり方がクールです。ピュアオーディオやリスニングルームの所有をステータスとして考えたり、オーディオで生計を立てるすることが悪いとは言いませんがね。

     もう少しDEQ2496を使いこなして、現行システムでのベストを目指します。PCオーディオにも興味がありまして、先月オーディオショップでNASを視聴。いいなとは思いましたが、i Padの音とどの程度違うのかはわかりませんでした。ピュアオーディオ系の怪しさも感じましたし。。ちょっと様子見です。
     
     1980年から僕が取り組んでいるのがサラウンドです。スピーカーを前後計4本として、左前後と右前後に同一音源をパラで入力して、擬似4Chとしていました。現在の本格的なサラウンドとなると、音源が限られたりAVアンプなどの機器導入とピュアオーディオテイストが濃いです。擬似4Chにひと工夫加え、サブウーファーではなくボディソニック用スピーカーを採用します。以前はよく耳にした記憶があるのですが。DEQ2496の外部出力2系統を利用し、更に分岐して3系統。これにより擬似6Chを構築します。ご興味があればお試しください。クラシックでの効果は未確認ですが。

     とりとめのない文章で申し訳有りません。お気付きの点などありましたら御教示ください。PCオーディオを体験できる日を勝手に楽しみにしています。

    1. 丁寧なコメントありがとうございます。

      「DEQ2496」の最大のメリットはデジタル領域でイコライジングが可能な点だと思います。そして、最大の弱点はそのデジタル領域が96Khzまでしか対応していないことです。
      192Lhzまで対応している機器がでればすぐに買い換えますね。

      ただし、この機器は驚くほど音の姿を変えてしまいますので、使いこなしは難しいですね。
      おそらく自分の中に実演の音がしっかりと入っていないと基準点を見失って「さまよえるオランダ人」になってしまう怖さがあります。

      もしくは、そう言う細かいことなどは無視をして、ひたすら自分の好きな音に仕上げるという開き直った使い方もあるかもしれません。
      イコライジングのカーブは何通りもメモリーに保存できますから、私もそう言う「我が儘」な設定で時々は聞いていますが、それもまた楽しからずや・・・です。

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