室内楽録音の優秀さとは言うのは、煎じ詰めれば目の前で演奏されているかのような「錯覚」をどれほど実現しているのかに尽きるのでしょう。
ジュリアード弦楽四重奏団はこのバルトークの作品を3回にわたってコンプリートしています。そして、「TAS Super LP List」では63年の2回目の録音をリストアップしています。
リストアップしているレコードは3枚組の全集盤「Columbia D3S 717」です。
不思議なのは、このレコードは「Speakers Corner LP Columbia D3S 717」という180グラムの重量盤が復刻されているのですが、何故かそちらの方ではなくて初期盤の方をリストアップしていることです。
「TAS Super LP List」では初期盤信仰のスタンスはとらず、優秀な復刻盤が入手できるときは躊躇わずにその復刻盤をリストアップしているだけに、この選択は珍しいと言わざるを得ません。
ただし、その初期盤も復刻盤も所有していませんから、その是非をここで論ずる資格はないので事実を記すだけに留めておきます。
しかし、アナログレコードの選択は脇におくとしても、3回の録音から63年録音のレコードを選択したというのはなかなかに興味深いと言わざるを得ません。
3回目の録音は1981年に行われていますから、それはまさにアナログレコードの最後を飾る時期だったからです。
それにもかかわらず、「TAS Super LP List」ではステレオ録音が漸く軌道に乗り始めた頃の古い録音を選んでいるのです。
それは、この世の中は古いものから新しいものに向けて常に進歩発展していくというシンプルな進化論的立場からすれば解しかねることなのですが、実際に聞き比べてみればその選択は妥当なものであることが分かるはずです。
ただし、81年録音の方はパブリック・ドメインにはなっていないので、聞き比べるには自腹で音源を買い込んでもらわなければいけません。
調べてみると、その81年盤は2015年に「期間生産限定盤」として復刻されたようなのですが、2018年の今も「在庫あり」で売れ残っています。
ただし、63年盤も現在は「廃盤」になっているようですし、「Juilliard String Quartet – The Collection(50年のモノラル録音と61年録音の両方が収録されている)」も「廃盤」になっているようです。
こういうサイトをやっているとよく分かるのですが、室内楽というのは本当に人気がありません。
新しい録音を追加した当日のアクセス数で比較すると、室内楽作品はオーケストラ作品の半分以下、酷いときは三分の一にも満たないときもあります。
CDが売れないと言われる中でクラシック音楽などと言うジャンルはとりわけ売れないのであって、その中でも室内楽作品というのはさらに人気がないわけですから、次々と廃盤になっていくのも、そして頑張ってカタログに残しても売れ残るというのは仕方のないことかもしれません。
63年盤と81年盤を比べれば、録音のクオリティとしては明らかに63年盤の方が好ましく思えます。
目の前で演奏されているかのような「錯覚」を引き起こしてくれるのは、明らかに63年盤の方なのです。
それでは、どうしてそうなってしまったのかと言えば、少なくとも二つの要因は挙げられると思います。
一つは81年盤はデジタルで録音されていることです。
もちろん、デジタル録音がアナログ録音に劣るなどと言いたいわけではありません。
そうではなくて、70年代の中頃から録音現場の録音ファーマットはアナログからデジタルに切り替わっていくのですが、その切り替えが最初の頃は明らかに上手くいっていなかったのです。
一般的な見方として、録音エンジニア達がデジタル録音の勘所をつかまえることが出来たのは80年代の終わり頃くらいではなかったかと言われています。私もその意見に概ね賛意を示すものです。
81年のデジタル録音と言うことになれば、83年のCD離陸を目前にして手探りを繰り返していた時期でした。
振り返ってみれば、この時期はデジタルで録音されたアナログレコードというものが大量にリリースされて、レコード会社も「デジタル録音」されたことを「売り」としていました。
しかし、その「売り」を前面に押し出すためにかなり歪な録音が行われた雰囲気が否定できないのです。
個人的な意見になりますが、「細身」で「ヒンヤリ」したような音色こそが「デジタル的」だと言わんばかりのレコードが多かったのです。
この81年盤もその様な歪さを身にまとったアナログレコードだったような気がします。
また、余談ながら、そう言う流れの中でCDが離陸したものですから、多くの聞き手から「CDは硬くて冷たい」と批判されたのはある意味では当然のことだったのかもしれません。
つまりは、「CDは音が悪い」と言われた責任は録音エンジニアとレコード会社にあるのであって、決してCDというフォーマットにあったわけではないのです。
しかしながら、その時の残像は今も根強く生き残っていて、ひたすらCDというファーマットを否定し続ける人はなくならないのです。
二つめの要因は、録音エンジニアの技術継承が上手くいかなかったことがあげられるかもしれません。
それは、「CBS(Columbia)」だけに限った話ではなくて、「RCA」でも「Decca」でもおこったことでした。
63年盤を担当した録音プロデューサーは「ポール・マイヤーズ(Paul Myers)」でした。
彼は60年代にはジョージ・セルやグレン・グールドなどと優れた録音を残しています。そして、68年からは「Columbia’s UK label」に移って、多くの優れたオペラ録音を担当することになります。
しかし、70年代の中頃にどういう経緯があったのかは分かりませんが(死亡記事には「Eventually Myers was recalled to New York, 」としか記されていません)、Deccaに移籍してしまうのです。
細かい事情はそれぞれに異なりますが、各レーベルでアナログ録音の黄金期を作った優れた録音プロデューサーやエンジニアの多くが、アナログからデジタルへの移行期に録音現場から引退しているのです。そして、結果として経年の少ない録音チームが「デジタル」という全く新しいフォーマットと取り組まざるを得なかったのです。
おそらく、この世代交代はたんなる偶然ではあったのでしょうが、例えばDeccaにもう少し先を見通す力があって1980年にPolyGramに吸収されるようなことがなければKenneth WilkinsonはそのままDeccaで録音を続けていたでしょう。
もしも、そうなっていればCD離陸時の景色は随分かわっていたかもしれないのです。
おそらく、この63年盤の最大の魅力は、まさに4人のプレーヤーが目の前で演奏しているかのようなリアリティのある音場空間が実現していることです。そして、その空間は実際の弦楽四重奏団の演奏を実際に聞いたことがある人ならば「なるほどこれは実演と同じだ」と思わせる様な自然さに溢れているのです。
それは、ありとあらゆる手練手管を使って実現したイリュージョンのようなホログラフィではなくて、極めて自然な佇まいとして提示されているのです。
ですから、そこにはオーディオ的に人を驚かすような派手さはないのですが、まさにこのような自然な形で音場が表現されることこそが難しいのです。
それから、もう一つ指摘しておきたいのは、この録音ではジュリアード弦楽四重奏団らしい切れ味の鋭い響きが捉えられているのですが、その響きは鋭さ一点張りではないと言うことです。
そこでは、ヴァイオリンという楽器が本質的に持っているある種の官能的な美しさも含まれているのです。
ですから、これをジュリアード弦楽四重奏団によるバルトークだと言うことで、切れ味と鋭さだけで満足しているならばもう一歩踏み込む必要があるのです。。
そして、その事は、バルトークだけに限らず弦楽詩重奏曲というジャンルを再生するときの試金石のようなものでもあります。
ヴァイオリンの官能的な美しさを追求して再生音を丸め込んでしまえば切れ味が失われます。それは明らかに駄目です。
しかし、逆もまた同じで、切れ味を追求するあまりその響きが耳を刺すようでは、それもまた駄目なのです。
おそらくは、この両立しがたい二つの要素をどれほど高いレベルで実現できるかはオーディオにとっては試金石なので。
そして、それが再生システムの試金石になるためには、このようなレベルの高い録音が必須アイテムとなるのです。