「TAS Super LP List」には素っ気なく「Berlioz: Symphonie Fantastique/Munch, BSO. RCA/Classic LSC-1900」と記されています。
確かに、ミンシュにとってベルリオーズの「幻想交響曲」は名刺がわりみたいな作品ですし、RCAの録音も優秀でしたからノミネートされるのは当然だろうなと思いました。ところが、リストアップされている「RCA/Classic LSC-1900」はどの音盤なのかなと思って調べてみて、驚かされてしまいました。
ミンシュの指揮による「幻想交響曲」と言えば基本的には以下の3点です。
- ボストン交響楽団 1954年11月14・15日録音(RCA)
- ボストン交響楽団 1962年4月7日録音(RCA)
- パリ管弦楽団 1967年10月録音(EMI)
演奏という観点ではミンシュ最晩年のパリ管弦楽団との録音が最高だと言われてきました。
しかしながら、ボストン時代の二つの録音とパリ管弦楽団との録音は優劣を云々出来るような同一のライン上には存在していない演奏であり、それは全く別種の音楽であると見た方が妥当なように思えます。そして、録音のクオリティという点で言えば、パリ管弦楽団との録音を行ったEMIも健闘はしているとは思うのですが、RCA黄金時代を代表する二つの録音と較べれば一歩も二歩も譲らざるを得ないようです。
と言うことになれば、当然のように62年録音の「幻想交響曲」がリストアップされていると思ったのですが、驚くなかれ、「TAS Super LP List」が選んだのはもっとも古い54年録音の方だったのです。
これにはいささか驚かされてしまいました。
しかし、そう言えばボロディンの交響曲第2番でも1954年録音のアンセルメ盤をリストアップしていました。あの録音は、「Decca」の商業録音としては一番最初のステレオ録音でした。
それならば「RCA」にとってのステレオ初録音であったライナー指揮の「英雄の生涯」はどうだったのかと言えば、そちらの方は残念ながら「TAS Super LP List」にはリストアップされていません。
しかし、その二日後に録音された「ツァラトゥストラはこう語った」はリストアップされています。
- R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1954年3月6日録音
- R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1954年3月8日録音
そして、ライナーの「ツァラトゥストラはこう語った」 にも1962年に録音したレコードがあるのですが、ミンシュの「幻想交響曲」と同じように「TAS Super LP List」は新しい録音を選んでいません。
つまりは、「TAS Super LP List」は「Decca」や「RCA」というステレオ録音という新しい技術を切り開いたレーベルの、まさに「ステレオ録音黎明期」とも言うべき録音にスポットライをあてているのです。
そのあたりの事情を、ミンシュの54年盤を俎上に上げて探っていきたいと思います。
まずは、録音に関する細かいクレジットを確認しておきましょう。
まずは、録音プロデューサーとエンジニアですが、それぞれ二組の名前がクレジットされています。
「Produced by John Pleffer / Recording Engineer:john Crawford」と「Produced by Richard Mohrr / Recording Engineer:Lewis Layton」です。
これは言うまでもなく、ステレオ録音の黎明期はステレオ再生が出来るアナログレコードは存在していなかったので、モノラルとステレオという二つのフォーマットで録音を行う必要があったからです。そして、ステレオ再生が出来るアナログレコードが存在しない以上、ステレオによる録音は将来を見すえた「先行投資」という意味合いが強かったので、本線はモノラル録音だったのです。
ですから、モノラル録音の方は「Richard Mohrr/Lewis Layton」という大御所が担当し、ステレオ録音は「John Pleffe/john Crawford」という若手が担当したのです。
「Decca」などでは、その様な二種類の録音を行っていることが演奏家にばれるとギャラの割り増しを要求されるかもしれないと言うことで、ステレオ録音のチームは演奏家に気づかれないように別室でこっそりと録音したという話も伝わっています。
「RCA」の場合はそこまで酷くはなかったでしょうが、それでも本線がモノラル録音であったことは間違いありません。
しかしながら、その本線を担当していた「Lewis Layton」はステレオ録音には多大なる関心を持っていたはずですから、モノラル録音という本務をこなしながら、ステレオ録音を担当しているチームとも情報交換などは行っていたのかも知れません。
それでも、この若手二人は実にいい仕事をしたものです。
そして、そう言う「いい仕事」に貢献したのは録音会場として使用した「ボストン・シンフォニー・ホール」の音響特性の良さでしょう。
誰が言い出したのかは分かりませんが、ボストンのシンフォニーホールとウィーンの楽友協会ホール(ムジークフェライン)、そしてアムステルダム・コンセルトヘボウのことを「世界3大コンサートホール」というそうです。これらのホールに共通するのはすべて長方形のシュー・ボックス型のホールであり、残響が多くて理想的な響きが得られることです。
しかしながら、コンサートホールとしての特性がいいと言うことと、録音会場としての特性がいいと言うことはそれほど簡単にはイコールにはなりません。
何故ならば、コンサートホールとして使用する場合は座席を埋める聴衆が吸音材の役割を果たすからです。
それに対して、録音会場として使用するときは客席は空席なのですから、聴衆が入った状態がベストとするならば、空席の場合はいささか残響過多になるのです。とりわけ、ウィーンの楽友協会ホールは録音を行うには手強いホールでした。
しかしながら、フィラデルフィアのようにどうしようもないホールは客席が埋まっていても空席でもどうしようもないのであって、そして、そう言うどうしようもない特性はどれほどの凄腕エンジニアであってもどうしようもないのです。
その事を思えば、ボストンのオケは幸せだったのです。
この二人の若手録音チームは、そう言う録音会場の特性もよく踏まえた上で、実にがっちりとしたボディ感のあるオケの響きを捉えています。
おそらくは、この黎明期のステレオ録音はマイク三本という極めてシンプルなセッティングであったっと思われます。そして、そのマイクセッティングによって響きすぎるホールの特性と折り合いのつくポイントを探り当てることが出来たのでしょう。
それはもしかしたら、あまり多くのことは出来ないという制約がある中で、逆にその制約故に難しいことは考えずに割り切れた結果だったのかもしれません。
そして、この割り切りがステレオ黎明期における録音が驚くほどのクオリティを持ち得た最大の要因かもしれません。
しかし、「がっちりとしたボディ感のあるオケの響き」などと言う書き方をすると、なんだかゴツゴツとした響きなのかという誤解を招くかもしれません。
そうではなくて、こういう残響過多になりがちなホールでの録音というのは、ともすればスイートではあるものの輪郭がボケがちになることがあるのですが、ここではそう言うボケた感じは一切せずに、中身がミッシリとつまった楽器の響きがすることをいいたかったのです。
そして、当然の事ながら、そう言う中身のつまった響きでありながらスイートな味わいは失っていません。
おそらく、そのあたりの響きの質だけに耳を澄ましてマイクセッティングを詰めていったのかもしれません。
「TAS Super LP List」では、この録音に対して「Exceptionally natural and musical sound」と言う評価を与えています。
非常に自然で音楽的なサウンドという事なのですが、それは裏を返せば演奏の美質を表現する上で録音の高いクオリティが貢献していると言うことでもあります。
ですから、この録音の魅力は「断頭台への行進と処刑」、さらには「魔女の夜宴の大騒ぎ」ではなくて、なによりも第3楽章の「野の風景」にこそあらわれています。
とりわけ、二人の牧人がかわす牧歌の生々しさは特筆ものです。
ベルリオーズはこの場面をコールアングレと舞台裏のオーボエで演奏することを指定しているのですが、この二つの楽器の遠近感が実にナチュラルに再現されます。
この部分に関しては遠近感をあざとく強調する録音もあって、それを優秀録音とするムキもあるのですが、「TAS Super LP List」はそう言うスタンスはとっていないという事です。
そして、それと同様のことがティンパニーによって表現される遠雷と、コールアングレによって表現される恋人の亡霊の響きにもあてはまります。
そう言う精妙な響きというのは基本的には演奏の素晴らしさに負うところが大きいのです。
新しい方の62年盤ではなくて古い方の54年盤が「TAS Super LP List」に選ばれたのは、54年盤の演奏にはその様な高い録音のクオリティを引き出すだけの力があったのです。
オーディオショーなどのデモでは「魔女の夜宴の夢」ような派手な部分を使いたがるところが多いのですが、オーディオ的なクオリティを本当に確かめたければ弱音で演奏される微妙な色合いが何処までリアリティを持って表現されているかをチェックすべきなのです。
そう言う意味では、この録音の第3楽章は最適のチェック音源と言えるはずです。
もちろん、ミンシュによる62年盤もそんなに悪い演奏ではないのですが、演奏のクオリティと録音のクオリティがもっとも幸せな形で結びついているのはもっとも古い54年盤だったという事なのでしょう。
ミュンシュとパリ管弦楽団の幻想がこの曲との関わりのスタートです。
LPを昭和40年代半ばに購入し、毎日のように聞いていたときもあります。
CDになってからも購入し、ときどき聞いていました。
でも、1954年のボストン交響楽団での録音と比べると、パリ管は、なんかカスミがかかっているような・・・・。
録音のクオリティの違いだったのでしょうね。このページを読んで、そんな感想を持ちました。