「TAS Super LP List」をパブリックドメインで検証する(22)~ベートーヴェン:弦楽三重奏曲第2番&4番 ハイフェッツ/プリムローズ/ピアティゴルスキー 1957年3月27,29,30日録音

これもまた、前回に続けて悩ましい1枚です。なんだか、そう言う「訳あり」の1枚を探しているみたいなのですが、やはり、そう言う引っ掛かるものがあると目につきやすいと言うことなのでしょう。

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲第2番 ト長調 Op.9-1&弦楽三重奏曲第4番 ハ短調 Op.9-3 (Vn)ヤッシャ・ハイフェッツ (Va)ウィリアム・プリムローズ (Cello)グレゴール・ピアティゴルスキー 1957年3月27,29,30日録音

「TAS Super LP List」がリストアップしているのは以下の通りです。

Beethoven: String Trios Nos. 1 and 3/Heifetz, Primrose, Piatigorsky. RCA LM 2186 (mono)

1957年のRCA録音なのに、何故かモノラル録音

まず、何が引っ掛かるのかと言えば、何故かモノラル録音なのです。いやいや、1957年の録音なんだから、ギリギリでモノラルと言うことはあるだろうと言われるかもしれないのですが、これはRCAによる録音なのです。これが、EMIやColumbiaならば1957年でモノラル録音というのはある話なのですが、RCAでモノラル録音というのはあり得ない話なのです。
今さら言うまでもないことですが、この業界で最も早くステレオ録音に取り組んだのがRCAなのです。商業録音だけに限ってみても、すでに1954年から本格的にステレオ録音を開始しているのです。

Jascha Heifetz

確かに、ステレオ録音の黎明期は、ステレオで録音をしてもステレオで再生できるレコードはまだ商業化されていなかったので、モノラルのレコードで発売されていました。さたに言えば、ユーザーの側もすぐにステレオ再生に対応できたわけではないので、ステレオ再生ができるレコードが発売されるようになっても、かなりの期間はモノラルのレコードも平行して発売されていました。レコード会社にしてみれば、ステレオとモノラルという2系統で録音を行う必要があるというのは煩わしかったのですが、ユーザーの都合を考えればそれも仕方のない話だったのです。
ですから、RCAなどはモノラルに関しては「LM」、ステレオに関しては「LS」という記号を割り当てていました。
例えば、1957年4月に録音されたハイフェッツとライナーのコンビによるチャイコフスキーのコンチェルトなどは、モノラルのレコードには「LM-2563」、ステレオのレコードには「LSC-2563」という番号が割り振って発売していたのです。もちろん、ほかのレーベルもほぼ同じようなやり方でモノラルとステレオのレコードを平行して発売していました。

ですから、まず最初に浮かんだのは、「TAS Super LP List」はモノラルとステレオの2種類あるレコードの内、わざわざモノラルの方を「SPECIAL MERIT」としてノミネートしたのだろうという事でした。それは、ハリー・ピアソンが亡くなってからはモノラル録音に光をあてる傾向がはっきり見て取れるので、それもまた一つの見識かなと思ったのです。
ところが、いくら調べてもモノラル盤の「RCA LM 2186」に対応するステレオ盤の「RCA LSC 2186」と言うレコードが見つからないのです。
さらに驚いたのは、ハイフェッツの「Tge Complete Album Collectio」というデジタルのボックス盤に収められている音源を確認してみると、何とそれもまたモノラル録音なのです。
つまりは、「RCA LM 2186」に対応するステレオ盤の「RCA LSC 2186」と言うレコードはこの世には「存在していない」ようなのです。
そして、「RCAによる1957年の録音」であるにもかかわらずモノラル録音だというのは「あり得ない話」だと書いたのですが、どうやらその「あり得ない話」が「ここにあった」と言うことを意味しているのです。

Gregor Piatigorsky

そうなると、これはいったい何を意味するのでしょうか。
考えられることは2つです。
一つは、何らかの事情でステレオ録音に事故が起こって商品化することが出来なかったということです。
そして、この時代はモノラルとステレオという二通りのフォーマットで録音するのが一般的でしたから、ステレオ録音の方に事故が起こっても、幸いにしてモノラルの方は極めて良好な状態で録音できていたので、そちらの方だけを商品化したとと言う可能性が考えられのです。
もう一つの可能性は、演奏家の方が強くモノラル録音に固執したという可能性です。
ただし、ハイフェッツはすでに何度もステレオによる録音を行っていますから、彼がモノラル録音に固執すると言うことは考えにくいことです。そう考えると、そう言うハイフェッツの意向を押しのけてプリムローズやピアティゴルスキーがモノラル録音に固執したというのはさらに考えにくいことなのです。
そうすると、やはり何らかの事故があってステレオ録音の方がお釈迦になってしまったというのがもっとも真相に近いのかもしれません。

何故か突然リストアップされている

さらに、もう一つ腑に落ちないのがこの録音が「SPECIAL MERIT」にリストアップされた経緯です。
調べてみると、2016年の「TAS Super LP List」にも、2017年の「TAS Super LP List」にも、この録音はリストアップされていません。ですから、2018年に始めてリストアップされたと言うことになります。
なるほど、これもまたモノラル録音に光を当てるという流れの中でのチョイスかと思った次第です。
ところが、2018年のリストでは新しく追加された録音には「New entries on list」と言うことで太字でマーキングされているのですが、この録音にはその様な印はつけられていないのです。おかしいなと思って、念のために2018年の4月に事前に発表された「The TAS Super LP List: New Entries for 2018」、つまりは今年新しく追加された録音の一覧をチェックすると、そこにもこの録音はリストアップされていないのです。
ところが、2018年の「TAS Super LP List」では、さも何年も前からずっとリストアップされていますよと言わんばかりの扱いで一覧の中に登場しているのです。
つまりは、言葉は悪いのですが、なんだかこっそりとリストに追加したような雰囲気が漂うのです。

William Primrose

そこで一つ気になるのは、御大のハリー・ピアソン(Harry Pearson)が選出した最後のリスト「TAS Super LP List 2014」とそれ以降のリストを比較してみると、新しく改訂されるたびにリストに追加される録音の数がかなりの勢いで増殖しているのです。そして、その少なくない部分は新しく復刻されたレコードによって占められています。
その急激な増殖の背後に商売絡みの不正のないことを願うのみです。

とは言え、確かにこの録音は素晴らしい

ただし、このハイフェッツを中心としたトリオによるモノラルの録音は悪くありません。このトリオによるベートーベン関係の録音は以下の2回です。

1957年3月27日~29日録音(何故かモノラル録音)

  1. ベートーヴェン:弦楽三重奏曲第2番 ト長調 Op.9-1
  2. ベートーヴェン:弦楽三重奏曲第4番 ハ短調 Op.9-3
  3. ベートーヴェン:弦楽三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.3

1960年8月15日,17日&22日録音(当然ステレオ録音)

  1. ベートーヴェン:弦楽三重奏曲第3番 ニ長調 Op.9-2
  2. ベートーヴェン:セレナード ニ長調 Op.

ここで比較の対象にしたいのは作品9の3曲です。作品3と作品8の2曲は三重奏曲であっても本質的にはセレナードやディヴェルティメントであって、室内楽的な緊密さを追求した音楽ではありません。そして、音楽が求める方向性が違えば録音のスタイルも変わるのは当然であって、そう言う方向性の異なる録音を比較しても意味がありません。
57年のモノラル録音の最大の特徴は、モノラルという特性を最大限に生かして響きがギュッと凝縮して聞こえることです。そして、それが凝縮することによってエネルギーが圧縮されて、その圧縮された強いエネルギー感を維持した状態で音楽が構築されていくのです。それは、ハイフェッツの生真面目さが指向する音楽に対してはもっとも適切な響きだと思われます。
つまりは、演奏の素晴らしさを聞き手に伝えるために録音のクオリティが最大限に献身しているのです。

それと比べると、60年にステレオで録音された作品9の2番の方はエネルギーが外に向かって拡散してしまっています。
ただし、作品のスタイルとしては穏やかでスタティックな面が表に出た作品なので、凝縮されたエネルギー感を内包したまま突き進んでいく必要はないのかもしれません。例えば、57年に録音した作品3の三重奏曲は基本的にはディヴェルティメントなので、ハイフェッツもまた多少は手綱は緩めているように聞こえます。ですから、そう言う作品を凝縮されたモノラル録音で聞くと、そこまでまじりを決したような雰囲気で迫ってこなくてもいいのにと思ってしまうのも事実なのです。
とは言え、57年のモノラル録音と比較してみると、60年のステレオ録音の方は今ひとつ物足りなさを感じることは否定できません。作品9の2番は穏やかな面が前面に出ているとは言ってもやはりベートーベンの室内楽作品なのですから、出来れば57年のモノラル録音と同じような響きで聞きたかったと思ってしまいます。
そして、その事はステレオの方が必ずしもモノラルよりも優れているわけではないという当たり前の事実をもう一度思い出させてくれるのです。

それだけに、なんだかこっそりと紛れ込ませるようなやり方で「TAS Super LP List」にエントリーするようなやり方はするべきではなかったのです。それに、リストアップしているレコードは「RCA LM 2186」という初期盤なので、復刻盤のような商売絡みの疑惑とも無縁なのです。実に、不可解と言うしかありません。