発想と実装
LINNのDSシステムは素晴らしい製品だと思っています。
音楽再生において、操作系と再生系を分けるという発想はyanさんの情報によると、MPDよりもSqueezeboxの方らしいです。
科学の世界では、誰が最初に思いついたのかというプライオリティーは何よりも優先されますから、こういう事はとっても重要です。時には、このプライオリティーをめぐって大騒動が持ち上がることも珍しくありません。
しかし、物作りの世界では、そのようなプライオリティーよりは、その発想を「実装化」して現実のモノとして提示すること、さらにはそのモノの優秀性を万人に納得させる事こそが重要です。
この事ですぐに思い浮かぶのがGoogleの基礎を築いたとも言うべき「ページランク」システムです。
今日ではもう「ページランク」なんて誰も気にしません。しかし、Googleが初めてこの「ページランク」という発想を実装化して、それを元に検索システムを起ち上げたときは、まさに画期的なシステムでした。
ページランクとは「価値のあるサイトは多くのサイトからリンクを張られている」という実にシンプルな発想から、個々のサイトへの被リンクをポイント化してページのランクを1~10の範囲で数値化するというものでした。そして、検索依頼があったときにはそのページランクを基本としながら表示していくことで、どの検索サイトよりもユーザーが求めている情報へと的確に導いてくれました。
この「どの検索サイトよりもユーザーが求めている情報へと的確に導いて」くれるということが、ページランクの発想の優秀さを万人に納得させた「モノの形」であり、それがGoogle神話の原動力となったわけです。
しかし、数学的に言えば、この「ページランク」という発想は極めてシンプルなものらしいです。どこかの先生がその発想の原理を説明している論文を読んだことがあります。私の頭では極めて難解なもののように見えたのですが(^^;、数学専攻の学部生レベルでも理解できるようなレベルらしいです。
しかし、その論文で強調されていたのは、そのようなことを「発想すること」と、それを現実の形あるものとして「実装化して具体的な製品として提示すること」との間には「天と地ほどの開き」があると言うことでした。
実験的に100や1000程度のサイトをインデックス化してページをランキング化することは容易に実現できます。しかし、世界中に存在する膨大な量のサイトを片っ端からインデックス化してランキング化していくとなると、その困難さは実験レベルとは比べものにはならないというのです。
つまり、モノ作りの現場では、「発想」よりも「実装化」こそが重要なのです。
LINNの素晴らしさは、音楽再生に関わるこの「発想」を、誰よりも見事に実装化して、その優秀性を明らかにしたことにあります。
PCオーディオを突き詰めていけば、再生に関わるPCをできる限り安定した状態で動作させる事の重要性は誰でも気づきます。この「気づき」から、「操作系と再生系をセパレートする」という発想が生み出されるまでには、それほどの時間は必要としないでしょう。そして、そこまで発想が広がれば、再生系PCのOSはWindowsやMacではなく、できる限りシンプルなOSの方がいいことは容易に察しはつきます。
さて、問題はここからです。
では、そこまで「発想」が拡がったのならば、誰でもLINNのようなシステムが作り出せるでしょうか?
問うも愚か、答えは言うまでもないことです。
さらに言えば、LINNの凄味は、この発想を実装化しただけでなく、決して評判の悪くなかった自社のCDプレーヤーにあっさりと見切りを付けたことです。これは大変な決断だったと思います。
そう言うわけで、ネットワークオーディオと呼ぼうが、PCオーディオと呼ぼうがどちらでもかまいませんが、レガシーオーディオとは異なる新しいオーディオのスタイルを切り開いていく上でLINNが果たした役割は決定的と言っていいほどに重要でした。
デザインと所有する喜び
しかしながら、この「発想」を具体的な製品として提案したメーカーはLINNだけではありませんでした。記憶は定かではありませんが、いくつかのメーカーからも似たような製品が提案されました。しかし、生き残ったのはLINNのDSシステムだけであり、大部分は歴史の闇へと消えていきました。
昨今、市場を賑わしているネットワークプレーヤーの大部分はLINNの成功を見た同業他社が後追いで生産したモノにすぎません。
では何故、LINNだけが一人勝ちしたのでしょうか。
他社の製品と比べると高音質だったのでしょうか?もちろんそれもあったかもしれません。しかし、決定的だったのは、おそらく「デザインの素晴らしさ」がLINNの製品にはあったからでしょう。
前回の「PCオーディオへの疑義」のなかで、オーディオという趣味において「デザインの素晴らしさ」や「所有する喜び」を全く否定しているように受け取れる文章になっていることに、「しまったなぁ^^;)」という思いを持っています。
私は、オーディオという趣味においては「デザインの素晴らしさ」や「所有する喜び」というのは大きなウェイトを持っていると思いますし、大切にすべきことだと思っています。
いや、そう言う狭い枠の話ではなくて、自分が所有し、身につける「モノの形」には無頓着であってはいけないと思っています。
例えば、別室に資料を届けるときに、スーパーの袋に詰め込んで持って行こうとした若い人がいました。確かに、機能的にはそれで問題はありません。
しかし、不思議なことに、そんな風にして運ばれた資料は粗雑に扱われます。つまり、スーパーの袋に入って届いた瞬間に、資料もまたスーパーの袋並みの価値しか身にまとわなくなります。
人は見た目が8割と言います。最近は9割という人もいるようです。
この事は、人はいかに本質を見抜く目を持っていないかという文脈で語られることもありますが、心すべきはその逆でしょう。大切なことは、自分でも気づかないような己の本質という「厄介なモノ」は、何気ない外見を通して外に漏れ出すという怖さを心に刻め!!、と言うことです。
そんな時に、意外と大きな役割を果たすのは、自分が使用し、身にまとっている様々な「モノどもの姿」です。
こいつらは、それを所有し、使用し、身にまとっている人に憑依します。
間違いなく憑依します。
先に挙げたように、スーパーの袋をカバンの変わりに代用すれば、スーパーの袋は中におさめられた資料にも、それを持つ人にも憑依します。志の貧しいモノは、間違いなくそれを所有し、使用し、身にまとう人の品性を貧しくします。
ですから、自分が日常的に使用し身にまとっているモノは、己の面構えだと言う覚悟が必要です。
そう思えば、オーディオのような趣味においては「デザインの素晴らしさ」というものは絶対に無視できないし、無視してはいけない要素だと言えます。
ただし、ひとこと言い添えておきたいのは、この「デザインの素晴らしさ」というのは、決して都会的に洗練されたモノだけを持って良しと言っているのではないと言うことです。
私が考える「デザインの素晴らしさ」というのは「己の面構え」です。
例えば、マッド・エンジニア的オーディオマニアの中には、まるでどこかの物置か実験室みたいになっているリスニングルームがあります。そこには都会的な洗練は微塵もありませんが、しかし、それが己の面構えを表す自信に満ちたモノであるならば、それはそれで立派に優れたデザインだと思います。そして、そう言う人が選ぶオーディオ機器が無骨なデザインであったとしても、それはそれで「優れたデザイン」だと思うのです。
つまりは、デザインの優劣というのは、結局は提供する側と受け取る側の合作によって完成するモノなのです。これはデザイナーにとっては承服しがたいことかもしれませんが、私はそう考えます。
貧乏人のひがみかもしれませんが、世間的には優れたデザインだと言われる家具やオーディオ機器を買い集めてきて、それらを同じ部屋に同居させて、結果として吐き気がするような成金的なデザインを完成させることだってできるのです。
もしくは、どこかのショールームのコピーみたいな部屋に仕立ててみても、そこから使い手の面構えが全く見えてこないのならば、それはそれで寂しい限りです。
「PCオーディオへの疑義」のなかで、いささか棘のある言い方になってしまったのは、「高い金をかけて買ったLINNのシステムと安物PCオーディオを一緒にしてくれるな」と言う偏狭さみたいなモノが感じ取れたからでした。
しかし、その事と、LINNのシステムとの間には何の関係もないことですから、客観的に評価してみればLINNの機器はどれをとっても非常に優れたデザイン性を持っていることは事実です。
ただし、そう言う優れたデザインの製品を上手く使いこなすには、使い手の側にもそれなりの「面構え」が必要だと言うことは忘れたくありません。
LINNへの苦情
ここまで書くと、もしかしたらLINNから何か付け届けがあるのではないかと期待できそうな文章になっていますので、最後に一つだけ苦情を申し述べておきます。
LINNはハイエンドのレガシーオーディオに負けないだけの高音質を実現しました。デザインも惚れ惚れするほどに優れたモノです。
しかし、LINNの製品に欠けているのは「所有する喜び」です。
「所有する喜び」というのはお金持ちには経験できません。お金持ちというのは、この喜びをもてない不幸な人々なのです。なぜなら、彼らはどのように高額な商品であっても、欲しければ簡単に手に入れることができるからです。そのような人間にとって、「所有する喜び」というものは存在しません。
ところが、LINNのDSシステムのように300万円近い価格設定だと、今度は貧乏人は言うまでもなく、普通の人々も所有することはできません。そのような製品をポンと買えるのは、「所有する喜び」をもたないお金持ちだけです。
よって、LINNの製品には「所有する喜び」が存在しません。
もちろん、DSシステムはフラグシップ機の下にいくつものバリエーションが存在しますから、貧乏人や普通の人はその範囲の中でチョイスすればいいのかもしれません。しかし、できることならば、そのフラグシップ機であっても、いつかは頑張れば手に入れることができる範囲に収まって欲しいのです。
また、そうしないと、オーディオの世界には未来は見えてこないと思うのです。
この辺りのことを、車と比べて考えてみました。
20代の若者が、正規雇用されて真面目に働いていれば、100万~200万円程度の車は買えるでしょう。結婚をして家族を作り、家のローンを抱えて頑張って働いている世代も可処分所得は似たようなモノです。
この層が趣味のためにポンと出せる資金は、あまり根拠はありませんが、車の購入資金半分程度・・・50万円から100万円程度でしょうか・・・。
うーん、独身貴族で親と同居しているのならば、それくらいは出せそうです。ローンを抱えながらも正規雇用で頑張って働いていれば、妻とのハード・ネゴシエーションの末にそれくらいは獲得できそうです。
これを全てオーディオに投入するならば、スピーカー:50万円~25万円、アンプ30万~15万円円、プレーヤー20万円と~10万円という分配になります。
ところが、調べて驚くのは、オーディオの世界ではこの価格帯の製品は極めて層が薄いのです。
とりわけ、アンプやプレーヤーに関しては、この価格帯に魅力を感じるような製品はほとんど存在しません。
車産業ならば、もっともボリュームが大きいこの層にアタックするために100万~200万円程度の車というのはもっとも品揃えが充実しています。ところが、オーディオの業界はもっとも大きなボリューム層にアタックすることを最初から放棄しているかのように見えます。
実に不思議な話であり、不思議な業界だと言わざるを得ません。
次に、ローンも無事に払い終わり、子どもも独立してお金もかからなくなった世代だと、300万円から500万円程度の車には乗れるようになります。
世間ではよく見る姿です。
トヨタのかつてのキャッチコピー、「いつかはクラウン」というのは実にうまい言い方です。
この層だと、趣味に200万円から300万円程度は投入できるでしょう。
彼らならば、頑張れば一本100万円程度のスピーカー、それをドライブするアンプに100万円、そしてプレーヤーに50万程度は投入できるはずです。
私が「フラグシップ機であっても、いつかは頑張れば手に入れることができる範囲に収まって欲しい」と書いたのは、この範囲に製品を収めて欲しいと言うことなのです。つまりは、この価格帯に「いつかはクラウン」といえるような製品を集中して欲しいのです。
ところが、ステレオサウンドの紙面を賑わすハイエンドの機器というのは、この価格帯よりはるか上のゾーンの製品ばかりです。
つまりは、オーディオ産業というのを車産業にたとえてみれば、ベンツやポルシェみたいな高級車のみで成り立っているという、極めていびつな構造に見えるのです。
そして、みんなが買えるような普及車の価格帯にはまともな製品がほとんど存在しないのに、売れない売れないと愚痴だけをこぼしているのです。車産業でそんな愚痴をこぼしている奴がいれば、あっという間にゴーン君に首を切られるはずです。
ところが、オーディオ業界では大の男が顔をつきあわしては売れない、売れないと嘆いているのです。
もういい加減、「所有する喜び」を持たない金持ちだけを相手にしたハイエンド路線と決別する必要があります。
みんなが頑張れば買える価格帯に、買いたいと思えるような魅力がいっぱい詰まった製品をどんどん発表していかないと、本当に未来はないと思います。そして、いつかはあの製品を手に入れたいと思えるような魅力のある商品を、頑張れば手が届く範囲で実現して欲しいのです。
その意味で言えば、LINNのDSシステムで唯一不満なのは、常識的に言えば「所有する喜び」を持ち得ない価格設定だけです。
一台あたりの利益が200万円で100台売るのも、一台あたりの利益を20万円にして1000台を売るのも、結果としての総利益は同じです。
大切なポイントは、どうせ100台くらいしか売れないだろうと決めてかかって300万円という価格設定をするのか、それとも50万円という価格設定で1000台売るための努力をするかです。
もちろん、これは「心の有り様」について述べているのであって、この数字をあげつらって反論されても困ります。
もちろん、LINNはハイエンドの世界では上手く成功したメーカーですから、「これでいいんだ」と開き直る事も可能でしょう。
もしそうならば、そのような開き直りを根底からひっくり返すような製品が、他のメーカーからどんどん発表されることを心の底から期待するのみです。
前回に引き続き、愚にもつかない話で、深謝m(_ _)m
yungさん、こんばんは。
私は所有する喜びの一つのバロメーターに「ガジェット感」と言う表現を使っています。
ガジェット感は、直訳では「小物」と言う表現になりますが、操作感やデザイン、愛くるしさを
含めた所有感を満たすことを表現しようとしています。
「長く愛せるもの」はガジェット感がしっかりしていると考えてます。
オーディオ機器の価格については、オーディオ市場の縮小による償却費用(型費、開発費など)の割かけが大きな分母を使えなくなってしまい、小さな分母で計算せざるを得ない状況になっていることも一因であり理解はしますが、あまりにひどすぎる価格ですね。
yungさんに同意します。
オーディオに興味をもってオーディオ雑誌を立ち読みをした若い人が表紙をめくって製品の金額を見て「?」と目が点になるような金額がページをめくれどめくれど出てくると閉じずにはいられないと思います。
「俺とは、私とは住む世界が違う…」
ここをなんとかPC Audioであるべき姿(金額)に戻したいものです。
今日もあるオーディオ誌で付録を改造した製品と改造したユーザーの写真を掲載しているものを読みましたが、そこに出てくる人が男性ばかりでかなり年配の方ばかりなのを見て「もうダメかも…」とオーディオと言う趣味に危惧を感じずにはいられませんでした…。
カメラですら「女子カメラ」なんて本が発行されているのに(^_^;)
やはり少しでもオーディオに興味をもった人がヘッドホンでなく、システムを組める適正な金額で商品を展開して欲しいものです…それを実現するには、PC Audioと小型なDACとデジタルアンプと言う流れが一つの可能性ではないかと思い…反面、寂しさもこみ上げてくる…複雑な気分です。
ひとつだけ。
前回の「PCオーディオへの疑義」のなかで、オーディオという趣味において「デザインの素晴らしさ」や「所有する喜び」を全く否定しているように受け取れる文章になっていることに、「しまったなぁ^^;)」という思いを持っています。
「受け取れる文章」 ではなく、「誤解され得る」という意味だと理解しておきます。
前回の「PCオーディオへの疑義」のなかで、「デザインの素晴らしさ」や「所有する喜び」が否定されているのではなく、相対的に低いことが述べられているだけだと読み取れます。 その意味では、今回「全く否定」と書いたことが、また誤解を生みそうな気もします(笑)。
世の中、世界規模で貧富の二極化がどんどん進んでいますから、ハイエンドオーディオの世界にとっては、むしろこれからが稼ぎ時かも知れません。
しかし、一方で再生する音楽媒体はというと、音楽CD(SACD)の値段はせいぜい1枚数千円でしかありませんしYouTubeならフリーです。2千万円のシステムであろうと2万円のミニコンポであろうと、再生する音楽そのものは同じなんです。我々貧乏人がガッカリしなくて良いのはソコです。
とりあえず私の目標はiTunesの収録曲を現在の1万曲から2万曲にすることです。ハイエンドだろうがローエンドだろうが、糞耳(失礼)で聴く分にはどっちでも良いんです。聴きたい音楽がいつも手元にある、これこそが一番重要なのだと思います。