EMIは音が悪い
これはオーディオマニアの中ではかなり定着してしまっている評価ではないでしょうか。
まずなんと言っても、レコードのフォーマットがモノラルからステレオに移行した時期に決定的に乗り遅れてしまいました。RCAやDECCAが1954年にはステレオ録音に軸足を移動させたにもかかわらず、EMIは1957年になっても軸足はモノラルの方に置いたままでした。
今の時代から見れば信じられないような暢気さなのですが、まあ、牧歌的な時代だったと言うことなのでしょう。
1955年に録音したカラヤン指揮の未完成などはステレオによる録音も残されていたという噂もあるので、モノラルからステレオと言うフォーマットの以降は視野には入れていたはずです。
しかし、モノラルとステレオという二つのフォーマットが同時に存在した時代にあって、多くのレーベルがステレオ録音に軸足を移し替えていくなかで、EMIの軸足は明らかにモノラルに乗り続けたままでした。
こういう事は一般論で話していてもわかりにくいので、具体例をもとに検証していきます。
EMIにとっては看板とも言うべきカラヤンの場合を例にしましょう。この移り変わりの時期を年表風に整理してみると以下のようになります。
黒の部分がモノラル録音、赤い部分がステレオでも録音されたものです。
- (モノラル)プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」 1955年8月1~6日録音 [録音エンジニア:ロバート・ベケット]
- (ステレオ)ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」 1955年10月11、12日、56年6月18日録音 [録音エンジニア:ダグラス・ラーター]
- (ステレオ)ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」 1956年6月18、21~23、25~29日、7月24日録音[ 録音エンジニア:ダグラス・ラーター、クリストファー・パーカー]
- (モノラル)ヴェルディ:歌劇「トロヴァトーレ」 1956年8月3、4、6~9日録音 [録音エンジニア:ロバート・ベケット 、録音エンジニア:ダグラス・ラーター、クリストファー・パーカー]
- (ステレオ/モノラル)R・シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」作品59 録音年月日:1956年12月10~15、17~22日録音 [録音エンジニア:ダグラス・ラーター、クリストファー・パーカー]
- (ステレオ)プロコフィエフ:交響的物語「ピーターと狼」作品67他 1956年12月22日録音 [録音エンジニア:ダグラス・ラーター]
- (モノラル)ワグナー:管弦楽曲集 1957年1月7・8日、2月18・19日録音 [録音エンジニア:不明]
- (モノラル)シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120 1957年4月25、26日録音 [録音エンジニア:ホルスト・リントナー]
- (ステレオ)ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 1957年5月23~25日録音 [録音エンジニア:ホルスト・リントナー]
腰が据わっていないことは一目瞭然です。
57年5月に録音されたブルックナーの8番でデータを切っているのは、これ以降は全てステレオで録音されているからです。
56年に録音された「薔薇の騎士」や「ファルスタッフ」などはステレオでも録音されているのですが、モノラルとステレオの間で揺れ動いているのがよく分かります。
そして、その背景には、録音というもののクオリティに全く無頓着だったレッグの存在が大きかったと伝えられています。
さらに、こうやって資料を整理してみると、録音エンジニアの「ダグラス・ラーター(Douglas Larter)」が孤軍奮闘している姿が浮かび上がってきます。
あくまでもカラヤンの録音に限った話ですが、ダグラス・ラーターが担当した録音はステレオ、それ以外のエンジニアが担当したときはモノラルというように、見事なまでに棲み分けています。
「ダグラス・ラーター」は1900年生まれなので、ボスであるレッグよりも6才年上で、録音エンジニアとしては1920年代から活動を始め、EMIの屋台骨を支えてきた立役者だったようです。
そんなベテランが一人孤軍奮闘していたとは驚きです。
そして、ブルックナーの8番で「ホルスト・リントナー」という「ダグラス・ラーター」以外のエンジニアがはじめてステレオ録音をすることで、漸くEMI全体の軸足がモノラルからステレオに移行したことがはっきりと読み取れます。
ウィーンでの大失敗~ミサ・ソレムニスの録音
ところが、この「ダグラス・ラーター」が大失敗を強いられるのです。
それが1958年に行ったベートーベンの「ミサ・ソレムニス」の録音です。
この録音のクレジットを見てみるとこうなっています。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン楽友協会合唱団、フィルハーモニア管弦楽団
(S)エリザベート・シュワルツコップ
(Ms)クリスタ・ルートヴィヒ
(T)ニコライ・ゲッダ
(Bs)ニコラ・ザッカリア■録音年月日:1958年9月12日~16日
■録音場所:ムジークフェライン・ザール、ウィーン
■録音:ステレオ
■録音プロデューサー:ウォルター・レッグ、録音エンジニア:ダグラス・ラーター
「ミサ・ソレムニス」はウィーンに出向いて録音を行っているにも関わらず、オーケストラはウィーンフィルではなくてフィルハーモニア管を使っています。
理由は簡単で、当時のウィーンフィルはDECCAと完全専属契約を結んでいたので、DECCA以外のレーベルと録音を行うことは出来なかったからです。つまりは、レッグもカラヤンも、ウィーンフィルは使いたくても使えなかったのです。
当時はこのような専属契約を結んでいるオケや演奏家が多くて、どうしてもレーベルの壁を乗り越えて録音したいときは名前を変えて「覆面オーケストラ」にすることがよくありました。
しかし、さすがにウィーンフィルを覆面にするわけにもいかなかったのでしょう。
ただ理解できないのは、ウィーンフィルが使えないならば、何故にウィーンで録音を行ったかです。
普通に考えれば、ウィーンフィルが使えないのならば、本拠地のイギリスでフィルハーモニア管を使って録音すればいいはずです。
確かに、ソリストにはクリスタ・ルートヴィヒやニコライ・ゲッダというドイツやウィーンを活動の舞台としている歌手を起用しているのですが、オケをウィーンに連れて行くよりはソリストをイギリスに連れてくる方がビはるかに経費は安く上がるはずです。
合唱団に関しても、ウィーンで録音をしたのでウィーン楽友協会合唱団を使ったのでしょうが、イギリスで録音をすればそれに変わる合唱団はいくらでも用意できます。
と言うこと、結局レッグはウィーンの「ムジークフェライン・ザール」で録音したかっただけではないかと想像されます。
ただし、この「引っ越し公演」ならぬ「引っ越し録音」はかなり話題となったようです。
あのクレンペラーがコンマスの横に椅子を置いて、このセッション録音を見学していたというエピソードも伝えられています。
クレンペラーと言えば、カラヤンの魔笛の公演に出かけて、客席から「悪くないぞ、ヘルベルト!みんなが言うほど悪くないぞ!」と野次を飛ばして観客の爆笑を誘い、公演を滅茶苦茶にしたという因縁の相手です。
カラヤンにしてみれば絶対に願い下げにしたい振る舞いだったと思うのですが、おそらくはレッグとのコネクションを悪用してごり押しをしたのでしょう。
そして、プロデューサーのレッグにしてみれば、その様な事も「話題」を作ることにつながり、それが「売れる」事にもつながると判断したのかもしれません。
この「ミサ・ソレムニス」は1958年9月12日から16日にかけて録音されています。そして、時間が余ったということで、16日から17日にかけてモーツァルトの交響曲が1曲(プラハ)録音されています。
つまり、この録音日程を見る限りでは、レッグはフィルハーモニア管を12日から17日までの6日間も拘束してセッション録音を計画していたのです。
オーケストラメンバーの往復費用と滞在費までを考えれば、この録音のために投下した金額は半端なものでなかったことは容易に察しがつきます。
ところが、そこまでの手間とお金をかけて録音したにもかかわらず、この「ミサ・ソレムニス」の録音は大失敗してしまうのです。
特に「ステレオ」による録音は全く使い物にならず、モノラル盤のLPとして発売しただけで、ステレオ盤は最後までリリースされることもなく、さらにはCD化もされることがありませんでした。(後にTestamenがCD化したようです)
当然の事ながら、近年リリースされたカラヤンのEMI録音のボックス盤にも収録されていません。
つまりは、密かにEMIのカタログからは抹消されて、なかったことになっている曰く因縁つきの録音になってしまったのです。
そして、そうなった責任の大部分は録音会場として「ムジークフェライン・ザール」を選んだ人物が背負うべきであり、それは間違いなくプロデューサーのレッグだったはずです。
何度も繰り返しますがウォルター・レッグはプロデュースする能力にかけては一流でしたが、何故か録音のクオリティに関しては無頓着だったので、そもそも録音に関する技術的な事に関してはあまり理解していなかったと思われます。
おそらく、レッグにしてみればオケだけはウィーンフィルではないけれど(ちょっと残念、でもおれのフィルハーモニア管は腕では負けてないぞ!!)、このベートーベンの偉大な作品を、世界一素晴らしいウィーンのホールで、若きカラヤンが颯爽と指揮をすれば「売れる」と判断したのでしょう。
しかし、ここで大切なことは、コンサート会場としてすぐれているのと、録音会場としてすぐれているのとは全く異なると言う事実です。
そんな事は、録音というものに技術的な側面で関わっている者ならば簡単に分かることなのですが、レッグには全く理解できなかったのです。
今さら言うまでもないことですが、コンサート会場としてすぐれているホールというのは観客が入ったときにベストの響きになるように出来ています。
しかし、録音で使うときにはその観客が入っていない状態で演奏をしなければいけません。
ここで何が問題になるのかと言えば、観客は基本的には吸音材として働くということです。
ですから、観客がいない空の状態で演奏をすると吸音材を全て取り払った状態になるので、結果としてとんでもなく残響過多なホールになってしまうのです。
さらに言えば、「ムジークフェライン・ザール」は残響2秒と言われるほどに響きの豊かなホールです。ウィーンフィルの弦楽セクションというのはかなりショボイ楽器を使っていることはよく知られた話ですが、そう言う楽器の方が「ムジークフェライン・ザール」では美しく響くのです。
あのフルトヴェングラーがウィーンフィルの美しい響きを自分のオケにもほしいと思って、彼らが使っていたのと同じモデルのヴァイオリンを自分のオケにも導入して大失敗したというエピソードが残っています。
ホールと楽器は一体のものであって、楽器だけを同じものにしてもウィーンフィルの響きは手に入らないのです。
そんな「ムジークフェライン・ザール」を空の状態にしてフィルハーモニア管が演奏するのです。どんな恐ろしいことになるかは容易に想像がつきます。
さらに、「ダグラス・ラーター」に課されたのは、そういう厄介な会場で、オケと合唱、4人のソリストという、これまた厄介な構成の音楽を録音する事だったのです。
最初から勝負の帰趨は見えていたのです。
ちなみに、ウィーンでのステレオ録音の経験を積んでいる「DECCA」は絶対に「ムジークフェライン・ザール」は使わず、常に「ゾフィエンザール」を使っていました。
そして、こういう厄介な構成の音楽ならば、たとえDECCAの技術の蓄積と「ゾフィエンザール」の響きを持ってしても容易な録音ではなかったはずです。
時々砂金がまじるEMI録音
しかし、そんなEMIのステレオ録音なのですが、初期のステレオ録音には驚くほどクオリティの高いものが存在していることも、マニアの間ではよく知られた話です。
それは、ステレオという技術に乗り遅れたがために、初期の頃は仕方がないのでシンプルなワンポイント録音でスタートしたからです。ただし、そのワンポイントは「Mercury」のコザートのような信念に基づいたものではなく、おそらくは出遅れがもたらした「偶然の産物」でした。
今さら確認するまでもありませんが、ワンポイント録音というのはツボにはまると素晴らしい録音に仕上がります。そして、言い方が悪いかもしれませんが、EMIの初期のステレオ録音の中には「まぐれ当たり」のようにツボにはまったものがあるのです。
そして、不思議な話ですが、ステレオ録音の経験を重ね、知識とノウハウを積み重ねていく中で彼らは原始的(?)なワンポイント録音という手法から離れていき、結果としてどこにでも存在するありきたりの録音を大量に生産していくようになり、「EMIは音が悪い」という伝統を再び頑なに守っていくことになるのです。
これは最近聞いて、あまりにも音が良いので驚かされた一枚です。
「こんなところにお宝が眠っていたとは!!」という感じで大喜びしたのですが、調べてみると知っている人は既に知っていたようです。
オーディオメーカーである「ESOTERIC」がいい音のCD(SACD)を作ろうと言うことでリリースした「Master Sound Works」シリーズの中におさめられていたのです。
基本的に「SACD」というフォーマットは亡んでしまったのでこのシリーズも終了したのかと思っていたのですが、今も細々とリリースは続いているようです。(こんなものの言い方をするから嫌われるんだな、反省m(_ _)m・・・。)
しかし、こういう「音の良いソフトを作ろう」みたいなシリーズはもともとの音源のクオリティが高くなければ話にならないわけです。
いくら「使用するマスターテープの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業が行われている」と言ったところで、もとの音源が屑だったら仕上がったSACDも屑です。どんな魔法をっつかっても屑がお宝に化けるわけはないので、その意味ではここでの選定眼はとても大切です。
そして、元来がオーディオメーカーである「ESOTERIC」が細心の注意を払ってデジタル化した音源であるならば、私が配布しているBox盤のCDよりはかなりいい状態で仕上がっていることは想像できます。想像は出来ますが確認は取れていないので、責任は負えません。
この録音の美点は(おそらく)シンプルなワンポイント録音ゆえの自然な音場表現に尽きます。そして、三次元空間の中にキッチリと打楽器群が定位する生々しさは、「いったいどうしたんだ!」と言いたくなるほどの見事さです。
また、その空間上にかっちりと定位した打楽器の生々しい響きも特筆ものです。
また、ともすれば鋭角的で厳しい表情になりがちなバルトークの作品なのですが、弦楽器群はある意味では妖艶ささえ感じる表情で仕上げています。それは、「アンダンテ・トランクイロ」と記された第1楽章では特に顕著で、弦楽器の響きはグラマラスと言っていいほどです。
また、低弦楽器も分厚く鳴らしているので、それなりのシステムで再生すればずしんとお腹にこたえるほどの迫力があります。
もちろん、このあたりの響きは当然の事ながらカラヤンの手になるものなのですが、録音会場となったベルリンのグリューネヴァルト教会の空間情報を自然な形で誇張なく拾い上げています。
ただ、好みから言えば、センター付近の響きが少しばかり薄味な感じがするのですが、バルトーク自身が二つの弦楽器群を左右に配置することを要求しているのですから、こういう形で左右でのやり取りがくっきり浮かび上がるのは、これはこれでいいのかもしれません。
聞くものを仰け反らせるような派手さとは無縁ですが、こういう自然な形で演奏の美質をすくい取った腕前はなかなかのものだと思います。
と言うことで録音のクレジットを探してみれば、プロデューサーとしてレッグの名前はしっかりと刻まれていたのですが、エンジニアの方はまさかの「unknown」でした。
これほどの録音を仕上げたエンジニアの名前を記録として残していないという事実にEMIの本質を見る思いがするのですが、それもまたこのレーベルの伝統なのでしょう。
なるほど、最後の最後まで、さすがはEMIなのです。
お世話になっております。
このエントリーのタイトルからすれば完全に余談なのですが、ミサ・ソレムニスの録音についてです。恐らくご存知の通り、 Testament 盤には1997年に行われたシュワルツコップのインタビューも入っており、録音時のいろいろな裏話が聞けて面白いものです。彼女によれば、フィルハーモニア楽団はこの録音セッションの2日前までルツェルンでコンサートを開いたそうです(1つはスタインバーグと、もう1つはクレンペラーとだったそうで)。その都合で、ウィーンに寄り道しても経費はそんなにかからなかったのかもしれませんね。レッグの鶴の一声ももちろんあったのかもしれませんが。そして、クレンペラーがコンサートの後見物についていった可能性も十分あります。また、リハーサルでは彼女が歌いだした直後にカラヤンが左耳に手を当て、「聴こえんぞ、歌ってくれんかったらバランスのとりようもないわ!」と言ったそうで。どんなに大声で歌っても聴こえにくかったようで、声が割れないか心配になったそうです。やはり音響的に難しいセッションだったようですね。
私がこの録音に出会ったのはもう15年くらい前の事で、当時は「1958年の録音ならこんなもんか。」と音質の事はあまり気にしなかったのですが、その後 yung君のおかげで同年代の素晴らしい録音に触れる事で、すっかり私の耳が肥えてしまいまして(笑)。しかし、これはそんな難ありの録音だったのかと考えれば、全て合点がいきます。
なるほどね、音楽祭への招待と言うことであれば往復の交通費は浮くかもしれませんね。それでも、ウィーン滞在中の宿泊費はEMIの負担になるでしょうから安くはない経費です。
オーケストラ録音ではまともなセッション録音も難しくなっている昨今の事情から考えれば夢のような話ではあります。(^^;
はじめまして。
録音エンジニアについてですが、
e-onkyo( http://www.e-onkyo.com/music/album/wnr825646244584/ ) のページで記述がありました。
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Bartok: Music for Strings, Percussion and Celesta
■トラック1-4
Recorded:9-11. XI. 1960, Grunewaldkirche, Berlin
Producer:Walter Legge
Balance Engineer:Horst Lindner
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9.(ステレオ)ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 1957年5月23~25日録音 [録音エンジニア:ホルスト・リントナー]
の録音エンジニアと同じ人物でしょうか?
そうであれば、バルトークでの優秀な録音状況から、ブルックナーの方も期待してしまいますが。
実際はどうなのでしょうか?(FLAC データベースで、ブルックナーもダウンロードできれば、幸いです。)
貴重な情報ありがとうございます。
なるほど、ブルックナーの8番を録音したエンジニアと同一人物だったのですね。
ただし、ブルックナーの8番に関しては世間一般の評価はあまり高くはなくて、モノラルかと思ったという人もいるほどです。
はっきり言って「失敗」のレベルと切って捨てる人もいます。
ただし私はそこまで酷い録音だとは考えていませんが、優秀からはほど遠い録音であることも事実です。やはり、57年という時期にこういう規模の大きな響きをすくい取るのは大変だったのだと思われます。
と言うことで、FLACファイルは以下のページからダウンロード可能です・・・と書こうと思って調べてみると、何とアップしていないことに気づきました。
ついうっかり失念していたようです。
さっそくにアップしましたので、以下のページからダウンロード可能です。
1858年収録のカラヤン「ミサ・ソレムニス」について《近年リリースされたカラヤンのEMI録音のボックス盤にも収録されていません》とありますが、管弦楽曲を収録した第1集には入っていませんが、声楽曲を集めた第2集のボックスセット(2008年)にはステレオ録音で入っています。ワーナーから2014年に発売された分売セットの「カラヤン/合唱作品集1947-1958(5CD)」にも収録されています。2008年のEMI盤で聞くとご指摘のように残響過多ですっきりしない傾向があります。96 KHz/24 bitによるリマスタリングを施したワーナー盤ではその辺を改善してあり、1958年のステレオ録音としてはまずまずの出来で、大失敗というほど悪くない印象を受けました。ワーナー盤にはこの録音のプロデューサーはLegge、バランス・エンジニアはFrancis Dillnutt との記載があります。
EMIは戦後~50年代半ばまでに行われたフルトヴェングラートやカラヤンを起用したウィーンフィルとのセッション録音を「ムジークフェライン・ザール」で行っています。その中には「ワルキューレ」や「フィデリオ」など声楽入りの録音もあります。カラヤンの「ミサ・ソレムニス」の録音をあそこで行うことに違和感はなかったのではないかと想像します。当時のEMIにとっては勝手知ったる録音会場と理解しています。