ソフトは王様~録音クオリティの検証~Mercury

オーディオの世界では「ソフトは王様」と言われます。ですから、少し前になりますが「ソフトは王様か家来か?」という駄文を綴ったことがあります。しかし、これから取り組んでみたいテーマはその様な小難しい理屈をさらに小難しくひねくり回そうというものではありません。

ソフトは王様でも家来でもどっちでもいいのです。
数千万円を超えるようなお金を投資してどんなに立派なオーディオシステムを設えてみても、そこで再生するための「ソフト」がこの世に一枚も存在しなければ、それはただのゴミにしかすぎないという「自明の理」を表現するための言葉として「ソフトは王様だ」と言っただけなのです。
もちろん、この関係を逆にしてみても理屈は同じです。
どれほど膨大な音楽ソフトのコレクションを誇ってみても、それを再生するためのオーディオシステムがこの世に存在しなれば、それもまたただのゴミの山なのです。

つまりは、何が言いたいのかと言えば、オーディオの話をするならば「ハード」と「ソフト」に関しては等価に語られるべきだと言うことです。
ですから、オーディオ雑誌を開けば、少なくとも各号毎に「音楽ソフト」に関する話題が巻頭を飾るべきだと思うのですが、現実は「ハード(機械)」に関する話題ばかりが巻頭を飾ります。

「9種のアンプで探る B&W 802D3の実力」とか「タイプ別徹底比較! ベストバイスピーカー19モデルの魅力」とか「現代ハイエンドアンプが聴かせる音楽再生の極致」みたいなテーマが並ぶのがこの世界の常識です。しかし、同じ事を繰り返しますが、これらの「ハード(機械)」がどんなに優れていても、そこで再生される「ソフト」が存在しなければただの金属の固まりであり、さらには「クズのようなソフト」だけを鳴らしていれば、それはまたクズでしかないのです。

オーディオマニアとよばれる人は「ハード(機械)」に関しては貪欲であり、ホンの些細なことにまで神経を行き渡らしているのに、そこで再生する「ソフト」に関しては無頓着な人が少なくありません。
もっとも、いわゆるオーディオ評論家が推奨する「優秀録音」を集めている人もいますが、そう言うこだわり方は、「音楽」を聞くための道具としての「オーディオ」を考える上ではどこか違うような気がします。

その違和感の来るべきところを探ってみれば、それはオーディオを通して聞きたいのは「音」ではなくて「音楽」だと言う「当然の事実」に突き当たります。

もちろん、世の中には「音」そのものに興味があって、その「音」を聞くための手段として「音楽」を再生しているという人もいます。そのスタンスに立つならばオーディオ評論家推奨の「優秀録音」のみをターゲットにすることに何の違和感もないのでしょうが、残念ながら私はその様なスタンスには立っていません。そして世の多くの人もまた立ってはいないでしょう。

私が聞きたいのは「音楽」であって、その「音楽」の真価に少しでも近づきたいがために少しでもよい「音」を求めているのです。、
ですから、アナログ派の人で、古い録音の中から音楽の真価を探るべく「初期盤LP」の音にこだわる人の情熱は理解はできるのですが、さすがにその世界は今の私の手には余ることなので、ここでは敢えて触れないでおこうかと思います。
私がここで時間をかけてじっくりと考えていきたいのはそう言うレアな世界ではなくて、デジタル音源として普通に市場に出回っている「ソフト」のクオリティについて検証していきたいのです。

つまりは、私が日常の中で頻繁に聞くであろう「素晴らしい音楽の素晴らしい演奏」を封じ込めた(であろう)音源について検証してみたいのです。

何故、その様なことを思いついたのかというと、この録音のクオリティに関しては非常に無責任な価値判断がネット上を埋め尽くしていることに気づいたからです。
幾つか実例を挙げてみましょう。

  1. 1960年前後のCBSの録音はそれほど悪くはないのに、セルの録音だけはどうしようもなく悪い。
  2. セルのモーツァルトの40番は演奏は素晴らしいのに、ファーストヴァイオリンの響きのきつさだけは我慢できない。
  3. カラヤン&ベルリンフィルが66年に録音したボレロは残響過多でまるで風呂場で録音したみたいだ。
  4. シューリヒト&ハーグ・フィルによるブルックナーの7番はお世辞にも録音が良いとは言えず、ブルックナー的な広がりに欠ける。
  5. クナ&ミュンヘン・フィルによるブルックナーの8番は録音はデッドに過ぎ、モノラルかと思った。

思いつくままにザッとあげただけで、この手の「録音評」はネット上にあふれています。
セルを心から愛し、彼の録音が素晴らしく鳴るようにシステムを磨いてきたものにしてみれば(1)、(2)の評価などは「どんなシステムとどんな耳で聞いているんだ!\(`o'”) 」、と言いたくなるのですが、それでもこういう声がネット上にあふれることでそれが「真実」として定着してしまっているのです。
今流行の言葉で言えば「フェイクニュース」もしくは「オルタナティヴ・ファクト」とでも言えばいいのでしょうか。
そして、困ったことにそんな音の悪いセル録音でも「DSDマスタリングしたものが良い」とか「SACDは良い」等という出所不明の情報が市民権を得て、善良なる市民に「SACDプレーヤーは持っていないのですが、そう言うコメントを頂くと欲しくなりました」などと言わしめたりするのです。

そして、さらに困ったことには、そう言う基準点が曖昧な状態で、とりわけPCオーディオの世界ではちょっとした設定の変更にともなう音の変化に対して「よくなった」とか「今ひとつ」などと言う価値判断が飛び交うのです。
考えてみれば、どういう音源をどのような再生装置で再生しているかは不問に付して良いも悪いもないと思うのですが、そんなことを言い始めたら話は弾まないので(^^;、取りあえずはそう言うことには触れないようにして論議は進むのです。

オーディオの価値判断をしていく上では、「ハード(機械)」だけではなくて、そこで再生される「ソフト」に関しても同じような検証の対象にする事が必要なのです。それも、最初に触れたような、いわゆるオーディオ評論家達が試聴用に使う特別なリファレンス盤ではなくて、日常的によく聞かれる録音のクオリティに対する評価がネット上で交換されて一定の基準線が出来上がると言うことはとても大切なことのように思えるのです。

ただし、一個人でやれる範囲には限りがあります。
私が得意とするのは50~0年代の「モノラル録音完成時からステレオ録音発展期」における「クラシック音楽」という限られたジャンルだけです。
それ以外のことは分かりませんし、何よりも「パブリック・ドメイン」となっていなければ検証用として音源をフリーで配布することはできません。
ですから、このコーナーはそう言う狭い範囲に限定して話を進めていきたいと考えています。

現在予定している柱立ては以下の3点です。

  1. 50年~60年代において「優秀録音」との評価が定着して音源の検証
  2. 50年~60年代において「音が悪い」との評価が定着している音源は本当に音が悪いのかの検証
  3. 50年~60年代において私が見つけ出した音の良いソフトの掘り起こし

(1)は、いわゆる「基準点」の確立のためです。
(2)に関しては、それをふまえた上での検証です。特にセルの録音に関しては言いたいことがたくさんあるので、その辺りをきっかけに検証していければと考えています。
その合間合間に(3)の紹介ができればいいかと思います。

おそらく、1年や2年で終わるような話ではないと思いますので、気長にしつこくやっていきたいとは思っています。

もちろん、今後もPCオーディオの世界で目を引くような展開があれば、それは自分なりに取り組んで報告していきたいとは思っています。しかし、幸か不幸か、当分の間はこの「ソフト」の問題に力が傾注できそうな雰囲気です。

なお、調べていて気がついたのですが、あの「ステレオ・サウンド誌」でも「特集1 必聴のオーディオ名盤」というのが取り上げられていたようです。「巻頭を飾るこの企画は、これまで本誌では一度も実現していなかった「オーディオ名盤」をテーマにした特集です。」と書かれているように、オーディオの世界も少しずつ変わっていくのかもしれません。
「ソフト」の検証なくして「ハード」の検証もなく、「ハード」の検証なくして「ソフト」の検証もないという、ごく当たり前のことがやっと俎上に上がってきたように感じます。

とは言え、この課題はどこからどのように手をつけていけばいいのか全く持って五里霧中です。狙いは優秀録音を紹介することでもなければ、ましてや私がお気に入りの録音を紹介しようなどというものでもありません。

「50~60年代のモノラル録音完成時からステレオ録音発展期におけるクラシック音楽」という限られたジャンルではあるのですが、そのジャンルにおける録音された音源のクオリティの概要を概観しようというものです。そして、それを通してネット上に出回っている根拠のない「録音評」に対して一定の物言いができればいいかなとは思っているのですが、ハテサテ、どうなるものでしょうか。

リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 Op.34
アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1959年6月録音

まず最初に取り上げていきたいのは、「(1)50年~60年代において「優秀録音」との評価が定着して音源」です。何よりも、「優秀」の定義を明確にしておかなければ何も始まりませんから、これらが優劣の判断を行っていく上での一つの基準となります。
さらに言えば、この手の録音はネット上でも雑誌などでも数多く紹介されていますから、音源探しの手がかりには事欠きません。

特に、「録音の世界遺産」等というサイトは非常に参考になる情報がつまっていますし、なんと言っても、世間では録音が劣悪と非難されることの多いセルの演奏(R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」)を「世界遺産級の名録音」と認定してくれていたりします。(^^v

と言うことで、50年~60年代における「優秀録音」について論議したいのであれば、まずは「Living Presence」に注目せざるを得ません。
50~60年代の優秀録音と言えば、まずは「Living Presence」です!!
彼らのキャッチフレーズだった「You are there」は、決して誇大広告ではありません。

その録音の特徴は、とびきりの鮮明さと空間いっぱいに広がるダイナミックな響きの見事さにあると言えます。そして、この伝説の録音を実現したのが、録音史上最も耳の良いプロデューサーと言われたウィルマ・コザート(Wilma Cozart)でした。
彼女の録音哲学は、モノラルならば一本のマイク、ステレオ録音になってからは左右に一本ずつ追加して合計で3本という「ワンポイント録音」のスタイルを厳格に守り続けることでした。

RCAのルイス・レイトン等はもう少し寛容で、このワンポイント録音のスタイルをメインとしながらも、前方両サイドに立つサブメインを中心とした最小限の補助マイクを加える事を許容していました。

しかし、コザートは最後までこの「ワンポイント録音」のスタイルにこだわり続け、それが結果として会社の採算性を低下させ、それがひいては大手フィリップスの傘下にはいらざるを得なくなり、さらにはそのような採算度外視の徹底ぶりが経営陣に嫌われて追い出される羽目になるのです。
このコザートのエピソードはユーザーとしては心に刻み込んでおいた方がいいでしょう。
つまりは、コザートのように録音のクオリティに徹底的に関心を払うようなスタンスは、利潤を目的とするレコード会社からすれば「困った存在」以外の何ものでもなかったという事実です。

Wilma Cozart Fine

何故ならば、そこまで心血を注ぐことでコストは増加します。さらには、そこまでコストを投下して録音した音源であるにもかかわらず、その録音の真価を味わうためには再生システムにも一定のレベルを要求するのです。
レコード会社からすれば正論に固執するがゆえに「疎ましく」思わざるを得ない人物だったのです。

誰とは言いませんが、

「初期のワンポイント録音は、その場の空気感をとらえてあまり音圧を上げずダイナミックレンジを広いまま入れるような音作りでした。・・・それらは超高級オーディオで聞けば最高にいい音でもあっても、一般リスナーには迫力不足になりかねないのも事実でした。ですから、現在はどちらのユーザーにも満足してもらえるように・・・両立を心がけています。」

こういうスタンスを恥ずかしげもなく、公の場で口にできるエンジニアこそがレコード会社にとっては望ましい技術者なのです。

ということで、「録音の世界遺産さん」も「世界遺産」と認定している「リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 Op.34 アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1959年6月録音(Mercury Living Presence 「Collector’s Edition3 434 308-2」)」をトップバッターとして取り上げます。
この録音でもウィルマ・コザートがプロデューサーをつとめています。

音源は既にパブリック・ドメインとなっているのでリンク先から遠慮なくダウンロードしていただいて、ご自分のシステムで再生し検証してみてください。

なお、この検証においては同じ音源でもリマスターやCDの発売時期によって音質が微妙に変わりますから、検証に使って配布した音源に関してはマトリックス番号を記しておきます。なお、事前に付け加えておきますが、私が検証に使うのは基本的にCD規格(16bit 44.1KHz)に限ります。
いわゆるハイレゾ音源に対する疑義については今までもさんざんに語ってきましたので、ここでは繰り返しません。

ここが聞き所

楽器編成は以下の通りです。

2 flutes, 2 oboes (2nd also English horn), 2 clarinets (B♭, A), 2 bassoons, 4 horns (F), 2 trumpets (B♭, A), 3 trombones, tuba, timpani, bass drum, drum, triangle, cymbals, tambourine, castanets, harp, strings

古今東西の数ある管弦楽曲の中の最高傑作の一つであり、チャイコフスキーも「素晴らしい管弦楽法」と絶賛したほどの作品ですから、録音陣にとっても腕の見せ所という作品です。
そして、この録音で真っ先に素晴らしいと思うのは、上で紹介したような大規模な楽器編成の中において、一つ一つの楽器の質感がしっかりととらえられているところです。

例えば、この作品はもともとはヴァイオリン協奏曲として着想された作品ですから、独奏ヴァイオリンの響きがきちんととらえられていないと話になりません。そのヴァイオリンのソロは至るところに顔を出すのですが、とりわけ、第4楽章の「ジプシーの歌」におけるヴァイオリン・ソロの捉え方は絶品です。
小太鼓の連打に導かれて金管群がファンファーレを奏します。ここも見事です。
そのファンファーレが一段落してもドラムロールは鎮まることなく、それに導かれるようにジプシー風のヴァイオリン・ソロが登場します。そして、そのヴァイオリン・ソロが歌い終わるまで、バックではドラムロールが休むことなく鳴り続けます。
そのピアニシモのドラムロールの生々しさも特筆ものですし、そのドラムロールとヴァイオリン・ソロの関係はまさに見えるがごときです。

この質感の良さは至るところに指摘することができます。
数え上げれば、ホルンやクラリネットのソロパート、ちょっとしたシンバルの輝き、そして低弦楽器の深い響きなど枚挙にいとまがありません。

次ぎに驚かされるのは、トゥッティ(総奏)における混濁のないクリアな響きです。
それは冒頭のアルポラーダ(朝のセレナード)における輝かしい音楽に言えますし、何よりも圧巻なのはフィナーレにおける血管ブチ切れの迫力の中でも、一切の楽器の響きが混濁しないことです。

このコザートが実現した異次元レベルの鮮明さは顕微鏡で毛穴の奥までのぞき込むようなものと言われたのですが、こういうトゥッティ(総奏)の場面だけでなく、至るところでその凄さが指摘できます。オーディオ的に分かりやすい場面と言えば、例えば、多くの楽器が鳴り響いている中でカスタネットが鳴っている部分をスコアを見なくても指摘できるようなところでしょうか。

そして、そのようなコザート流のワンポイント録音では、録音をしてからバランスの調整などはほとんどできないことも確認しておかなければいけません。
録音してからいかようにも料理できるマルチマイク録音と違って、ワンポイント録音の場合は演奏する側に対しても一切の誤魔化しを許しません。
ですから、この録音で確認できるオケのクオリティには一切の誤魔化しはないのです。

その意味では、ここにはアンタル・ドラティとロンドン交響楽団という優れた演奏家達の魂が封じ込められています。

そして、最後に指摘しておきたいのは、そうやって楽器の質感を大切にすれば音がセンター方向に固まってくるのは仕方がない面もあるのですが、ここではホールいっぱいに広がるオケの響きが豊かなホールトーンとともにすくい取られています。この難しい質感と音場を両立させるための手法こそが、コザートが生涯にわたってゆずらなかった「ワンポイント録音」の功徳なのです。

再生システムが一定のレベルに達しているならば、音楽はスピーカーから完全に自由になって一つ一つの楽器がフロアの上で鳴り響いている場を明確に指摘できるはずです。

と言うことで、雰囲気としては、この辺りのクオリティが、50~60年代における優秀録音のスタンダートレベルと言っていいのでしょう。これ以下だと、さすがに世界遺産レベルの優秀録音とは言えないでしょう。
でも、いわゆる「最新録音」でも、このレベルに達しているものはそれほど多くはないでしょうから、それはかなり高いハードルだとは言えそうです。


10件のコメント

  1. YUNGさん、面白い企画、ありがとうございます。
    早速ダウンロードして、マーキュリーの超絶的な録音を堪能しています。こんなことでもなければ、敢えて「スペイン奇想曲」を聴こうとは思わないですからね。
    実は、先日、マーキュリーの録音による「兀山の一夜」のFLACとそれをWAVに変換したものを聞き比べる機会があって、その音質の違いに驚いてしまいました。「遂に、アンプが壊れたか!?」と思ってしまう程でした。何だか籠もったような音で、いつも聴いているマーキュリーの録音とは思えない音が出たのです。驚いてファイルを確認するとFLACになっていました。WAVの方を聴いてみると、いつも聴いている音が出ました。
    原因はファイルにあったのです。
    私はYUNGさんの音源は、WAVに変換したものを聴いているので、ここまで音質差があるとは思いませんでした。音源の質の重要性を再認識しました。

    1. 私はYUNGさんの音源は、WAVに変換したものを聴いているので、ここまで音質差があるとは思いませんでした。

      ハイレゾを先頭で牽引しているSONYの技術陣などはFLACとWAVEでは音質面での差はないとして、基本は全てFLACを推奨していると発言していました。確か、ネットワーク・プレーヤーの開発に伴う話だったと思うのですが、ネタ元はどうしても思いません。
      その時はそんなものかと思ったのですが、その後の経験からはこの両者は明らかに違うと確信するようになり、是非ともWAVEに変換してから聞いてほしいと主張するようになりました。

      こういう報告を聞くと心強い限りです。

  2. いつもお世話になっております。マーキュリーレーベルから、他にどんな世界遺産級録音が出てくるのか楽しみです。

    私のオフィスの再生装置は、Win XP(オフライン)+Foobar2000 ASIO出力–>
    Behringer UCA222 インターフェース –> Superlux 668B ヘッドホンという格安コースなのですが、終楽章のカスタネットを無事に聞き取ることができ安心しました(笑)。2:35辺りで鳴っているのが私が聞き取れた最も聞き取りにくい部分で、これが限界のようです。これよりも小さな音で鳴っているよ!という所がありましたら、後日答え合わせをお願いします。それにしても、こんな再生装置ですらオーケストラの立体感がわかるような録音は、本当に驚異的ですね。オーケストラの配置をある程度知っている事によるプラシボ効果もゼロではないでしょうが、ちゃんと右奥にトランペット、その前中央寄りに木管楽器、といった具合に聴こえてきます。

    同じCDにカップリングされている’56年録音の「金鶏・組曲」も併せて聴きました。これもなかなかの優秀録音だと思いますが、いかがでしょう。立体感というか、奥行き感ではスペイン奇想曲に一歩譲るかもしれませんが、左右への広がりや、解像度ではさほど劣らないと思います。(終楽章の大太鼓など、最低音部はちょっと苦しいかな?再生装置側の限界かもしれません。)特に、本来は録音されるべきではないでしょうが、オーケストラのどのパートが一斉にページをめくっているのか、さらに木管楽器のキーが当たるカチカチ音まではっきりわかります。

    1. これよりも小さな音で鳴っているよ!という所がありましたら、後日答え合わせをお願いします。

      カスタネットは冒頭の部分から最後まで鳴り続けていますから、どれが一番小さいのかは難しいでしょうが、感覚的には最後の総奏部分で鳴っているのを確認するのは一番難しいでしょうか。
      この部分はトライアングルも含めて全ての打楽器が同じリズムで鳴っているような感じなので、かなり音量を上げないと個々の音を聞き分けるのは至難の業だと思います。

      それから中間部のトライアングルも譜面では「P」と表記されているので、スコア見ながらでないと厳しいかもしれません。その少し後に「f」と記された部分ははっきり分かりますが・・・。

      本来は録音されるべきではないでしょうが、オーケストラのどのパートが一斉にページをめくっているのか、さらに木管楽器のキーが当たるカチカチ音まではっきりわかります。

      私は全く逆の考えで、こういう外部雑音までもがくっきりと記録されていることもまた優秀録音の条件だと考えています。

      1. まず、yung君のおかげで触れ合えた様々な録音を聴いていくうちに、最近気づいた事を1つ。

        私がクラシックを聴き始めたころは、例えばオーケストラ曲は、「とりあえずカラヤンにしておけば失敗しないだろう」、という前提でいろいろCDを買っておりました。その後、他のあらゆる演奏や優秀録音に出会い、「いつまでもカラヤン、カラヤンではないだろう」と当時よく聴いていたCDはここ数年お蔵入りしていたのですが、この度改めていろいろ聴き直してみました。すると、私が初心者だったころには分からなかった曲内部のディテールも今ではよく聴こえて、60年代までの物はもちろん、その後の「レガートカラヤン」もそんなにおざなりな演奏じゃないんじゃ?と、場合によっては思いました(私は絶対音感を持っているので、あの上げ過ぎの音程は何とも我慢なりませんが...)。カラヤンに限らず、他のジャンル、例えばピアノ曲でも、当時は「なんか速いだけでのっぺりした演奏だなぁ」と漠然と聴いていたものも、今聴き直せば以外にもしっかりした演奏だと考え直させられたりしています。(例えばポリーニの70~80年代のベートヴェンソナタ。昔は速いだけでつまらん、と思っていましたが、今ではその快速テンポの中にも実は様々なニュアンスが含まれていて、決して楽譜の細かな指示を無視しているわけではない、と分かるようになりました。)

        ただ耳が良くなった、と言えばそれまでですが、同じ曲でも多種多様な演奏を聴く事によって、その曲自体や異なる解釈への理解が深まるものなのか、と思った次第です。

        ここからは、重箱の隅をつつくような話で申し訳ありません、前回投稿への返信です(汗)。

        例のカスタネットの話ですが、こういう事は一度気になると確認せずにはいられない性格なので、スコアを見ながら何度か聴き直しました。結果は...(当然と言えば当然ですが)私のシステムは『まだまだ』ですね(笑)。IMSLPで見ることのできる版と、演奏で使われた版が同じだと仮定すると、ff でテュッティの部分を除いても、確実に聞き取れない部分がカスタネットに限らずいくつかのパートでありました。その気になればスコア事情も調べられるかもしれませんが、これ以上の深追いは無意味ですので止めておきます。

        >> 本来は録音されるべきではないでしょうが、オーケストラの
        >> どのパートが一斉にページをめくっているのか、さらに木管
        >> 楽器のキーが当たるカチカチ音まではっきりわかります。

        > 私は全く逆の考えで、こういう外部雑音までもがくっきりと記
        > 録されていることもまた優秀録音の条件だと考えています。

        10年前の私は、前回書いた通りで「あくまでも音楽を聴くのだから、その他の雑音は一切不要!」と考えていました。ただし、今現在はyung君が仰る通り、演奏という行為から発する雑音に関しては特に気にすることもありません(グールドの鼻歌にはいまだに抵抗感がありますが)。ただ、一般論ではあまり雑音(特に楽譜をめくる音や鼻息)は歓迎されないのでないかな?と漠然と思って書いた次第です。以上、弁解終わり(笑)。

  3. こんにちは。

    少々気になるのですが。

    Mercury Living Presence の3本マイクの配置は、L/C/Rの各マイクは相当な間隔を開けているのではないでしょうか?

    いわゆる「ワンポイント録音」とは別物だと思います。どっちかいうとデッカ・ツリーに近い(デッカ等がまねた?)気がします。

    1. 「デッカ・ツリー」に関してはDECCAのところでふれようと思っていたのですが、世間一般では「ワンポイント録音」というのは「マルチ録音」に対する言葉として使われることが多いようです。
      厳密に言えばマイク2本あればステレオ録音できるのですが、さすがにそれだけでオーケストラの響きを過不足なくとらえるのはほぼ不可能です。そこで、メインのマイク2本以外にそれぞれの楽器ごとに補助マイクをセッティングし、後からミックスダウンするのがマルチマイク録音です。
      しかし、その様なやり方では自然なオーケストラの響きは収録できないと考えた連中がいました。
      それが「Mercury」や「RCA」「DECCA」だったわけです。

      しかしながら、さすがにメインマイク2本では厳しいので、もう一本追加した3本での収録にこだわったのが「Mercury」や「DECCA」でした。「RCA」のルイス・レイトン等はもう少し寛容で、そのメイン以外に幾つかの補助マイクをセッティングすることを許容しました。
      ですから、「ワンポイント録音」と言うよりは「ミニマル・マイク・テクニック」と言った方が適切かもしれません。
      つまりは「最小限のマイクによる録音技法」と言うことです。

      なお、このあたりにもっと興味ある過多は以下のページが幾ばくかの参考になるかもしれません。(英文ですが、まあ大丈夫でしょう。)

      MERCURY RECORDS Living Presence – Wilma Cozart Fine and 50 Years Mercury Recordings

      このページの中の次の言葉からは彼らの強い矜恃が感じられます。

      「This forest of microphones as used by some Philips recording technicians, stands in clear contrast to the “simple” microphone placement applied by Bob Fine and the Mercury team.」

      1. ご丁寧な解説ありがとうございます。

        「最小限のマイクによる録音技法」と「ワンポイント録音」(1点ですべての音を収録する)とは、別物です。考え方の基本が違います。

        本来の「ワンポイント録音」を特徴にしているレーベルも多いので使いわけすべきと考えます。

        MERCURY RECORDS Living Presence – Wilma Cozart Fine and 50 Years Mercury Recordings
        は以前から見ていて、「Living Presence」をワンポイントと解説してあるサイトの多いのに疑問を感じていました。

        自分の感じでは、「Living Presence」が空間の表現と楽器の質感を両立しているのは、「ワンポイント録音」ではないからだと感じています。

        もちろん「マルチマイク録音」とは違います。LINNの録音はマイクがかなり乱立している「マルチマイク録音」に見えますが、録音のほとんどはメインマイク(デッカツリー)の音で、トラブルやバランスが乱れたときにその他のスポットマイクを利用するだけだそうです。

        現代の録音でも本来の「マルチマイク録音」は意外に少ないと感じます(ポストプロダクションにコストをかけられないという面も)。「最小限のマイクによる録音技法」が主流では無いでしょうか。

        とはいえ「Living Presence」の録音に優れたものが多いのは確かです(音色の再現性などは限界を感じますが、それが逆に鮮烈さを演出している感じです)。

  4. 雑談です(ごめんなさい)

    スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ氏が先日亡くなられました。

    おもえば、「Mercury Living Presence」に録音を残しておられる指揮者なんですね。
    ステレオ初期からハイレゾ録音まで・・・すごいですね。

    YungさんがFLACデータベースに音源を公開されいて、本当に感謝!

  5. 雑談です(ごめんなさい)

    嫌々、全く持って雑談ではないと思います。(^^v
    「Mercury」がメインとした指揮者と言えばドラティ・パレー、そしてMr.S(スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ)達でした。
    もちろん、ギャラの高い巨匠は使えなかったという側面もあるのでしょうが、オケを完璧にコントロールできる高い能力があったことこそがその選択の理由だったはずです。

    録音してからいかようにでも編集できるマルチ録音と違って、いわゆる「ワンポイント録音」では指揮者とオケの能力、そして録音したホールの音響的素性に規定されます。
    それ故に、「本当にいい音」とはどんなものなのかを結論を急がずじっくり考えていければと思います。

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