「TAS Super LP List」を眺めていると、その大部分が50年代後半から70年代までの録音で大部分が占められていることに気付きます。
それはアナログ・レコードを対象としているのですから仕方のないことかも知れません。しかしながら、デジタルによるソフトしかリリースされていない録音を含めたとしてもリストアップされる録音には大きな変化はないようです。
リストにデジタル音源がリストアップされていた時期もあったのですが、結局はアナログ・レコードだけに戻ったのはそういう事情もあったのでしょう。
ですから、このリストのかなりの部分はパブリック・ドメインになっています。
それが何を意味するのかと言えば、通常は文字情報としてして語られ、その優秀さを実際に確かめたければ身銭を切ってソフトを購入するしかななかったのが、ネット上で自由に配布して検証できると言うことです。
例えば、「TAS Super LP List」の2017年版ではクラシック音楽の「最優秀録音盤」として15枚がリストアップされているのですが、その内の半分近くの7枚がパブリックドメインになっています。(「Hi-Fi a la Espanola」には一部著作権が消失していない作品が含まれています)
- Herold-Lanchbery: La Fille Mal Gardee. Decca/ORG 0109-45 (45rpm)
- Hi-Fi a la Espanola. Mercury/Classic SR-90144
- Mahler: Ninth Symphony/Barbirolli, Berlin Phil. ERC/EMI ASD 596/597
- Prokofiev: Scythian Suite. Mercury/ORG 118-45 (45rpm)
- Rachmaninoff: Piano Concerto No. 3. Mercury/Speakers Corner SR-90283
- Ravel: La Valse/Paray. Mercury/Classic SR-90313
- Widor: Symphony No. 6, Allegro. Mercury SR-90169
この中で、既に以下の3つの録音を取り上げています。
- マーラーの9番(Mahler: Ninth Symphony/Barbirolli, Berlin Phil)
- ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(Rachmaninoff: Piano Concerto No. 3. Mercur)
- プロコフィエフのスキタイ組曲(Prokofiev: Scythian Suite. Mercury)
そして、マーラーの9番とラフマニノフに関しては肯定的に、そしてプロコフィエフのスキタイ組曲に関しては否定的に取り上げさせてもらいました。
当然の事ながら、熱心なオーディオファイルからすれば「何を言っているんだ」と言われるかも知れないのですが、そこはまあ、自分なりに感じたことは正直に述べた方が面白いでしょうし、そうでなければ情報として発信する意味がないとも言えます。
というわけで、そう言う「優秀録音盤」の音源を、私の自由な感想を交えてぼちぼちと紹介していきながら「TAS Super LP List」を検証していければいいかなと思っています。
これも長いシリーズになるそうな気配ですので(^^;、まあ、気長におつきあいいただければ幸いです。
ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」 ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団 1962年3月録音(マーキュリー・リヴィング・プレゼンス コレクターズ・エディション-2 Disc42)
優秀録音盤としてリストアップされているアンナログレコードのカタログ番号はMercuryの「SR-90313」です。
ネット社会というのは便利なもので、調べればすぐに、これが1963年に発売された初期盤であることが分かりますし、収録されているのは以下の4曲であることも分かります。
- Ravel:Rapsodie Espagnole(スペイン狂詩曲)
- Ravel:Alborado Del Gracioso(道化師の朝の歌)
- Ravel:Pavane Pour Une Infante Defunte(亡き王女のためのパヴァーヌ)
- Ravel:La Valse(ラ・ヴァルス)
- Ibert:Escales(寄港地)
そして、この中で「最優秀録音」という冠を与えられているのは「La Valse(ラ・ヴァルス)」だけです。
聞いてみれば、なるほどそう言うことかと思ってしまいます。
「道化師の朝の歌」の弾むようなリズムの切れの良さや「亡き王女のためのパヴァーヌ」の冒頭のホルンの響きなどは極上と言っていいものです。しかしながら、それらは「最優秀」という冠を与えるにはいささかインパクトが弱いと言わざるを得ません。
そう思って「ラ・ヴァルス」を聞いてみれば、「滅び」に向けてやけくそのようにテンポを速めながら、最後は砕け散るように幕を閉じるシーンはオーディオ的に見ればおいしさ満点です。
しかしながら、そんな言い方をすれば、これもまたプロコフィエフの「スキタイ組曲」で疑義を申し述べたような録音になっているのかと思われそうなのですが、そこは少し違います。
確かに、この最後のオーケストラが砕け散ってしまう場面での、一切の混濁を生じさせない録音は見事としか言いようがありません。
それをきちんと再生するのは並大抵のことでないことは事実なのです。
しかしながら、そこがこの録音の肝にはなっていません。それ故に、私は「スキタイ組曲」の録音とは違うと考えるのです。
「ラ・ヴァルス」における最後の滅びは一つの結末ではあるのですが、重要なのはその「滅び」に向けての動きの中にこそあります。
この上もなく華やかな舞踏会の底から何とも言えない苛立ちのような不安感が首をもたげてきます。
そして、ラヴェルの音楽の素晴らしいのは、その上辺の華やかさと底辺の苛立ちと不気味さが奇矯に同居しながら、その不気味なものが時々ぬヌッと顔を出すのです。
本当に恐いのは最後の「滅び」ではなくて、まさにこの「不気味」なものがヌッと顔を出す瞬間にこそあるのです。
それは言葉をかえれば、全てが破壊されて崩壊していく場面ではなくて、そこに至る過程においてワルツのリズムが徐々に乱れはじめ、テンポも不規則となり、繰り返される転調によって不気味な影が差しはじめる部分にこそ怖さがあるのです。、
そして、その怖さを見事に描き出すことに寄与しているのが録音の優秀さなのです。
言うまでもないことですが、その怖さをリアルに引き出すために必要なのは、それを実現しているラヴェルの高度な管弦楽法を一点の曇りもなしに描き出すことです。
そのためには、映像の世界で昨今言われる4Kとか8Kとか言われる超精細な世界と等価なモノを、音の世界においても実現しなければいけません。
そして、その凄いことを見事なまでに成し遂げているのがこの演奏と録音なのです。
確かに、一見するとこの録音は最後の破滅に向かっていく部分での圧倒的な盛り上がりにこそオーディオ的な価値があるように見えます。そして、そこだけに価値があると見誤ってしまえば、それは一種の「虚仮威し」だと言うことになってしまいます。
しかし、この精緻極まる録音が描き出しそうとしている世界はその様な「虚仮威し」ではないのです。
ですから、この録音の優秀さを再現するためには大きなシステムは必ずしも必要ではありません。
それよりは、分解能の高い精緻な表現に長けた小型のシステムの方がいいのかも知れません。
とは言え、そこに「最優秀」の冠を与えるには最後の「ぶっちゃきサウンド」も必要だというのが、オーディオという世界が抱えている宿痾の一つなのかも知れません。
そして、そう言う世界と精緻な表現が両立できればベストなのでしょうが、それでも精緻な表現には無頓着にぶっちゃきサウンドで再生されるくらいならば、小さなシステムでラヴェルの精緻な管弦楽法を描き出してあげる方が、この録音にとっては幸せなはずです。