「TAS Super LP List」をパブリックドメインで検証する(4)~ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15 (P)クリフォード・カーゾン ジョージ・セル指揮 ロンドン交響楽団 1962年5月30日~6月1日録音

セル絡みの録音で「The TAS Super LP List」にリストアップされている録音は、前回紹介したヤナーチェクのシンフォニエッタを含めて3枚です。
ただし、残りの2枚はオケ伴ですから、やはり録音には恵まれなかったのだなと思わざるを得ません。

  1. Brahms: Piano Concerto No. 1/Curzon, Szell. London/ORG 103 (45rpm)
  2. Mahler: Des Knaben Wunderhorn/Schwarzkopf, Fischer-Dieskau, Szell, LSO. EMI ASD 1000981

マーラー:子供の不思議な角笛 [EMI ASD 1000981]

「マーラー:子供の不思議な角笛」がパブリック・ドメインになるにはもう少し時間が必要です。
ですから、ここではブラームスのピアノ協奏曲第1番を取り上げます。

なお、この録音の初期盤は「Decca SXL 6023」ですが、「The TAS Super LP List」がリストアップしているのはORG(Original Recordings Group)というレーベルが復刻した「ORG 103」です。
このレコードは180グラムの重量盤であり45回転盤です。
おそらくは、「Decca SXL 6023」の音質が芳しくないというわけではなくて、より条件の良い復刻盤がリリースされれば躊躇わずにそちらを選ぶというスタンスにもとづくものなのでしょう。

このあたりにも「初期盤信仰」にとらわれない「The TAS Super LP List」の柔軟性がうかがわれます。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15 (P)クリフォード・カーゾン ジョージ・セル指揮 ロンドン交響楽団 1962年5月30日~6月1日録音(London K30y 1556)

この録音が「The TAS Super LP List」の「SPECIAL MERIT」に選ばれているのを見つけたときは不思議な思いがしました。
なんと言ってもこの録音は「録音」よりは「演奏」の方に注目が集まる一枚でした。

私もこの録音を何度も繰り返し聞いてきました。しかし、そうやって何度も繰り返し聞いている中で「いい演奏だな」とは思うのですが「いい録音だな」と思ったことは一度もなかったからです。
もちろん、悪い録音ではないのですが、それでもその他の録音と較べてみて、何か抜きんでた部分がある録音だと思うことはなかったのです。言ってみれば、時代相応のスタンダードなレベルだと感じていたのです。

しかし、今回、この録音が「SPECIAL MERIT」にリストアップされていると言うことを念頭に置いて、つまりは「演奏」よりは「録音」の方に注意を傾けて聞いてみると、なるほどこれは面白い録音だと思いました。

この録音のエンジニアは「Kenneth Wilkinson」です。
つまりは、この時点で、この録音が悪かろうはずはないのです。

まず、この録音を聞いてみて真っ先に感心するのは、どっしりとした低域を土台とした暖かみのあるオーケストラの響きです。
そして、こういう厚みのあるオケの響きをセルの棒で聞いた録音と言えば、1970年の東京ライブのシベリウスの2番を思い出します。とりわけ、最終楽章のコーダで鳴り響く金管のフィナーレからは、オーケストラ芸術に人生を捧げた一人の男の到達点を聞く思いがしたものでした。

しかしながら、その響きがセル&クリーブランド管のスタジオ録音から聞こえてきたことは一度もありませんでした。「Epic」レーベルの録音ではこの響きは聞けないのです。

おそらくは、セルという指揮者は録音という行為に対しては懐疑的であり、その結果として録音のクオリティに関しては無頓着だったのでしょう。
セルはどこまで行っても基本的には「劇場の人」でした。

George Szell

セルの録音にのぞむスタイルは一貫していました。

レーベルから録音の依頼があれば、そしてその依頼がセルの認めるべきところとなれば、彼はその作品を定期演奏会で取り上げます。そして、その定期演奏会に向けて入念にリハーサルを繰り返し、さらには本番の演奏会も終えたそのすぐ後に録音に取りかかるのです。
既に十分すぎるほどの準備を重ねた後ですから、録音は基本的に全体を通して一気に行われます。
全体を幾つかの部分に分けて丁寧に仕上げ、その部分部分を編集によってつなぎ合わせるなどという行為は「忌まわしいだけだ」とセルは明確に述べています。

そして、そうやって一気に録音したものがセルにとって満足がいくものであれば、それでお仕舞いです。ですから、セルのスタジオ録音には一発録りのものも多いようです。
もしも不都合に感じた部分があれば、あるいはオーケストラのメンバーがミスを申告をして録りなおしの要求があれば、その問題の部分を再度録音したのです。

セルが録音に「OK」を出すか否かの判断基準はあくまでも「演奏」の良否であって、決して「録音」の良否ではなかったのです。
ですから、プレイバックを聞き直しても、その録音が商品としてのレコードとして仕上がったときに、それが聞き手の環境でどのように響くのかと言うことには一切無頓着だったと思われるのです。

おそらく、この無頓着さが「Epic」という録音クオリティに少なからぬ問題を抱えているレーベルからリリースされ続けても文句を言わなかった原因なのでしょう。
そう言う意味では、このブラームスこそは、セルが本来指向したオーケストラの響きが「Kenneth Wilkinson」によってとらえらた貴重な一枚だと言えるのです。

ただし、言うまでもないことですが、このオケの響きの違いはロンドン響とクリーブランド管の違いではありません。
この時のクリーブランド管がロンドン響に劣るなどと言うことはあるはずもないことで、それは、たとえ比較の対象がベルリンフィルであったとしても事情が同じであることを、1970年の来日公演で彼らは日本の聴衆に見せつけたのでした。

そして、それにもかかわらずこれが取り分けて優秀な録音だと言うことを聞き手に誇示しない背景には、バルビローリのマーラー録音と共通する要因があることは確かです。
ここでも、録音は演奏に傅いています。

とは言え、録音クオリティに関して細かく数え上げていけば、1962年の録音としては見事なまでに3次元的な音場空間を実現している事に気付きます。その立体的な空間の中にオーケストラの楽器は鮮やかに定位をして芳醇な響きを聞かせてくれています。

Clifford Michael Curzon

しかし、それ以上に素晴らしいのはカーゾンのピアノの響きです。
この気まぐれなピアニストの響きを録音という行為で捉えるのは「空を飛ぶ小鳥をつかまえるよりも難しい」と述べたのはカルショーでしたが、「Kenneth Wilkinson」はその難しいことを見事に成し遂げています。

一般的に、ピアノの録音というのは難しいものです。
ピアノストが鍵盤を叩けば、それにあわせて羊毛に包まれたハンマーが鋼のワイヤーを叩きます。
普通の録音は大抵がここまでです。

しかし、振動する鋼のワイヤーはピアノのフレームをも鳴り響かせることでさらに深々とした響きを放ちます。そして、それらの響きがコンサートホール全体に広がっていくのですが、そこまでを捉えきっている録音というものは滅多に存在しません。
確かに、ここでも、ピアノの響きがコンサートホール全体に広がっていくところまでは捉えきれていないかもしれないのですが、ピアノのフレームを鳴り響かせることによって生まれる深々とした響きは捉えきっています。

そして、その事によってカーゾンのピアノが小手先だけの芸になることがなく、セル&ロンドン響とがっぷりと組み合った「協奏曲」になり得ているのです。
そして、その困難な事を、「協奏曲」という、オーケストラと独奏楽器のバランスを取る必要がある「困難」さの中で実現しているのです。
そう思えば、「BEST OF THE BUNCH」にはならなくても「SPECIAL MERIT」にリストアップされる価値は十分にある録音であることは間違いありません。

最後に余談ながら、面白いエピソードを一つ紹介しておきます。

それは、この録音の時のセルとカーゾンの関係についてです。

カーゾンはグールドほどエキセントリックなピアニストではなかったのですが、それでも狭いスタジオに幽閉されるのは好きではなかったことは間違いありません。
セルは自らも一流のピアニストでしたから、協奏曲におけるピアニストへの注文は厳しいものがありました。

そして、何よりも彼は基本的にオーケストラ・ファーストだったので、「ピアノ協奏曲」であってもそれを「ピアノ独奏付きの管弦楽曲」にしてしまうような人だったのです。

セルとグールドが協演したときに、いつまでも椅子の高さを調整し続けるグールドに対して「君のお尻を16分の1インチ削ったら、リハーサルを始められるのだがね。」と言ったという話は有名です。リハーサル前の椅子の調整はグールドの儀式みたいなものだったのですが、そう言うことは許さないのがセルという恐いおじさんだったのです。

でそんなセルとカーゾンが録音スタジオで顔を合わせたのですから、最初から最後までいがみ合っているとしか思えないような最悪の関係の中で録音は進められたらしいのです。
それ故に、オケのメンバーだけでなく、プロデューサーのカルーショーも無事に録音を終えられるのかとハラハラし続けたのでした。

しかしながら、出来上がった演奏は最高のできばえというのですから、本当に音楽というものは、そして、とりわけコンチェルトというカテゴリは不思議なものです。
そして、その音楽を、色々な意味で困難極まる現場であったにもかかわらず、最高のクオリティで録音してみせた「Kenneth Wilkinson」の腕の冴えもまた見事なものだったと言わざるを得ないのです。

«
»

2 comments

  • ROYCE

    最近タワーレコードから出たセル/ クリーブランドOのベートーヴェンやブラームスのSACD盤は聞いておられるでしょうか?1970年の東京ライブに近い肉太の音質になっています。LPレコードやCDで聞くエピックの貧相なイメージとはだいぶ違っていて、最晩年のEMI録音の雰囲気に近いので驚きました。

    • yung

      セルの録音に関しては新しいシリーズで再発されるたびに同じようなことが言われ続けてきました。
      それだけ「Epic」レーベルのレコードには問題が多かったという証左でしょうね。
      ただし、異論もあるでしょうが「SACD」というのは「終わった技術」だと思いますから、この件に関しては個人的にはスルーしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です